月別 | よりぬき


19981222
▼倉谷さん、橋本さんと京都で茶を飲みつつ発生の話。橋本さんの話だと、高校の生物などで、ウニの卵割とかカエルの卵割の図が時間を追って描かれている。あれを見ると、いかにも一貫して卵の上下があるかのように見えるけど、じつはそうでもないらしい。どの細胞群を固定するかによって、卵の上下の解釈は変わるという。発生地動説のような話。卵の上の特定の場所にカメラを置いて、そこから見える細胞移動の様子を記述すると、発生の風景はずいぶん変わるのかもしれない。

▼−昭和六十九年というのに、最近また米不足ですが。
「コメがなくったって、ほかのものがあるだろう、パンとかウドンとか。パンなんかウイスキーのつまみにはいいよ。」
(戦中派天才老人山田風太郎/関川夏央/ちくま文庫)

▼コメでパンでウドンで主食の話かと思うと、「ウイスキーのつまみにはいいよ」なのだ。いいなあ山田風太郎。▼しかし健忘ってすごいことばだな。健康の健に忘れる。どういう意味なんだ。健を忘れるのか。それとも健忘を忘れるのか。何を忘れるんだっけ。


19981221
▼「浮世絵の世界」(美術出版社)2500円。これはいい。なんたって片手で読める。よくある分厚いハードカバーの大判の本って、どう考えても浮世絵の重さじゃないもんな。そこへいくと、これは草双紙みたいに、喫茶店で読める。しかもカラー。安い。近世から現代まで、浮世絵史の流れがコンパクトに追える。いや、そんなこと考えずにぼーっと見たっていい。仕事さぼって読むのにちょうどいい。▼これ読んで、彦根屏風に見られる誘うようなしぐさ、そして誘う先の隠蔽と露出が、じつは春章・文調の向かい合うような役者絵、あるいは鳥居清長の三枚絵という形で受け継がれたのである、と(んなこと書いてないけど)勝手にわかっちゃいましたよ。▼それを踏まえた上で、あらためて国芳ってすごい。ばか。この3段ぶち抜きクジラ。むだ書き三枚絵。▼コマ間の呼応、コマ段ぶち抜き、といった(手塚治虫がやったような)マンガのアイディアは、じつは屏風絵、そして浮世絵の二枚絵や三枚絵の中に仕組まれていたのだ、などとこれまた勝手に理解。▼でもいちばん色気を感じるのは春信だったりして。笠森稲荷の水茶屋の看板娘お仙。あらいい女。

▼春信の「雪中相合傘」にじつは磯田湖龍斉による春画バージョンがあるというのは、スクリーチの「春画」で読んで知ってたんだけど、ああいうパロディーは、じつは二枚絵、三枚絵のような空間を使った隠蔽と露出を、時間を使って行っている、と、とらえることもできるのではないか。▼呼応する二枚を目が往復する。二枚の交代。ソーマトロープ。映画の夢。

▼木村大治氏の「インタラクション」に関する発表を聞きながら思いついたことをメモ。

▼「プロセッサの速さとレスポンスの速さの比が問題」というフレーズ。▼コミュニケーションが速くなってくると、プロセッサの速さが追いつかなくなるんだけど、とにかくなんか行為を出力しないとしょうがない。すると、プロセッサがとにかく適当な拘束条件を持ち出してをはやいとこ収束させちゃって行為を出力する。いったん出力された行為は、プロセッサをさらに拘束する。ぐいぐい行為の連なりが絞られてくる。▼速度とは比較の問題なので、いったん速度を論じ始めたら、何に対して何が速いかを語らなければならない。速さを語るとき、少なくとも二つの過程が問題にされている。たとえば、あいつ速いなあ、というとき、あいつでない速さが問題になっている。○○度、ということばに関して同じことが言える。○○度、ということばは、測りうる、ということを示している。測定は二つの過程の比較から生まれる。▼強度、というとき、どのような二つの過程が考えられているか。武満徹が「音、沈黙と測りあえるほどに」というタイトルを書いたのは、キャッチーだった。アバ、沈黙と測りあえるほどに。茄子、沈黙と測りあえるほどに。いろいろ応用がきく。▼コミュニケーションの導管モデルに欠けてるのは時間、もしくは速さの概念である。▼しかし、じつのところ、測定の感触だけがあるのではないか。過程があるから速さや速度が考えられるのではなく、速さ、とか、速度、といったとたんに、過程が浮かんでくるのではないか。▼かなしい、たのしい、こわい、感情を表すことばには、どうして目的語が明示されないことが多いのか。▼定延さんの名言。「インタラクションをあらわす構文には、{が}と{と}で表すことができるものがあると思うんです。インタラクションのあるものしか、{が}と{と}で結ばれる資格がない。たとえば、たこが大根と煮られている、とか。」


19981220
▼銀座線の浅草駅から地下鉄が出るとき、車両が「ひーよー」ときしむ。その音が、トッド・ラングレンの「Cold morning light」の出だしのフルートに似ている、いや単に似ているというよりは地下鉄がトッド・ラングレンを鳴らしてるようで、ぞっとするような気持ちよさだ。と、何ヶ月か前に思ってそれっきり忘れてたんだけど、この前、浅草で地下鉄にのったら、またしても「ひーよー」。ああトッド・ラングレンが発車する。と、思ってる人が東京に何人かはいるはず。

▼彦根芹川沿いの小さな一角、元勘定人町を歩く。何辻ごとに覗き窓があって、通りが監視されるような仕組みになっている。辻、とは道と道が交差する場所だが、ここではそうはなっていない。北に進もうとする。辻で、監視窓に直面する。進路はいったん、東に曲げられる。そしてすぐにまた、北に曲がる。まっすぐ北に直進できるはずの通りが、いちいち脱臼させられる。監視窓が建物ごと、辻に張り出しているためだ。こうした通りにくさが、大量輸送や人の移動を拒み、防戦力を高める、らしい。▼つきあたりの窓から見られながら歩く。近くの店で手に入れたチラシには「居住性を犠牲にして市街戦に備えた」町なのだとあった。


19981219

 小野十蔵が、目ざす家の前へ立ったのは、その日も夕暮れになってからである。
 光照寺という寺の横手に、その小間物屋があった。
 ささやかなその店の戸は、かたく閉ざされてい、虚無僧すがたの十蔵は、そこへ足をとめた瞬間に、
 (妙だな・・・・・・?)
 役目がらの直感がひらめいたものだ。
 そこは、浅草も北のはずれの新鳥越町四丁目の一角で、大川(隅田川)の西側二つ目を通る奥州街道が山谷堀をわたり、まっすぐに千住大橋へかかろうという、その道すじの両側に立ちならぶ寺院のすき間すき間に在る町家の一つであった。
 道の東側の寺院と路地ひとつをへだてた小間物屋のとなりはひろい空地で、材木置場になっているのだが、そこからも春の土の香がたちのぼり、おだやかな夕空に雁が帰りわたってゆくのが見られた。
 十蔵は通りから材木置場と小間物屋の間の細道へ入って、尺八を吹きはじめた。
(鬼平犯科帳(一)/池波正太郎/文春文庫)

▼さて、ちくま文庫の「江戸切絵図集」を見てみよう(p291)。すると、ちゃんと光照寺という寺が見つかり、その南側が空白になっていることが確認できるのだが、それだけなら、時代小説家とは、かくもきちんと裏を押さえているものなのか、という話に過ぎない。▼おもしろいのは、この冒頭で言われる「西側二つ目」の通りが、じつは山谷堀の少し手前の三叉路で分岐し、一方が隅田川に沿って流れ、もう一方のみが「まっすぐに千住大橋に」向かっていることだ。その三叉路とは、いまの言問橋西であり、山谷堀と三叉路で囲まれた地帯には待乳山聖天宮、そしてじつは、池波正太郎の生家がある。


▼つまり、「大川(隅田川)の西側二つ目」を通る奥州街道をたどるとき、作家の生家がその分岐点となるのだ。「山谷堀をわたり、まっすぐに千住大橋へかかろうという、その道すじの両側に立ちならぶ寺院のすき間すき間に在る町家の一つ」と書くとき、作者は隅田川、奥州街道、山谷堀という三つの線によって生まれた場所を位置づけ、そこから、この小説の舞台へと道をたどっているのだ。▼生まれた場所のすぐそばを通過し、小間物屋への道を彼ならぬ虚無僧姿の十蔵が歩く。(妙だな・・・・・・?)と足をとめる。とめたところから、作者の意識は、生家からの道筋をたどる。十蔵が察知する犯罪の気配に、作者が察知する記憶の気配が織り込まれている。 ▼さらに続く下りにも、作家が自らの記憶を察知しているらしい部分がある。材木置場から土の匂いがするところだ。ここには、少年期の作者の材木の香りの記憶が混じっているのではないか。「江戸切絵図散歩」の深川の話に次のようにあるのは偶然ではあるまい。


 木の香にまじりというのは、いうまでもなく、江戸の材木商の大半があつまっていた場所、すなわち[木場]で、その広大な材木置場や堀川に集積されている膨大な材木の香りは、樹木の生命力を濃厚に感じさせ、少年の私には生臭いほどだった。
(江戸切絵図散歩/池波正太郎/新潮社)

▼そして材木置場からの匂いを確認したところで、作者は十蔵となり、十蔵から虚無僧になる。尺八を鳴らし始める。▼この、十蔵の「妙」な間。寺と寺の間の細道のようなわずかなすき間。テクストが立ち止まり、生家へ帰っていく、春の匂いのようなすき間。尺八を鳴らすとき、最初に洩れる息のようなすき間。それらをたとえば植草甚一にならって「リラックス」と言ってみようか。


 余談になるけれど「鬼平犯科帳」はもちろん、池波正太郎の「剣客商売」でも「必殺仕掛人」でも、いまの下町にあたる江戸時代の町が事件の重要な背景になっていて、ぼくみたいな時代小説にたいする頓珍漢でも、「江戸名所図絵」をひろげて楽しむことがある。池波ファンとしてそんな気持ちになっているとき、人形町の焦点に明かりがつく夕暮れどきからがいいんだが、たとえば横町の小間物屋のまえを通りすぎたときなど、まあ京都の町にちょっとばかり似たところがあるなと思うのはとにかくとして、ぼくは「鬼平犯科帳」のある場面をふと連想することがある。そうして歩きながら気持ちがリラックスするのだった。
(鬼平犯科帳(一)解説/植草甚一)

▼この、作者の生家から道をたどりはじめた鬼平犯科帳の第一話は、鬼平こと長谷川平蔵が、妻の久栄に子供を引き取る話を持ちかけるところで終わる。「おれも妾腹の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ・・・・・・」。生まれた場所から始まった話は、生まれ落ちることを語ることで終わる。つぶやく声が洩れている。声にならぬ、息のようなすきまが、冬の朝の陽ざしのように縁にながれこんでいる。リラックス。

▼とはいえ、読者はなにも池波正太郎の生家がどこかを知る必要はない。浅草のそのあたりがどのような場所か、予備知識が必要なわけでもない。ただ、十蔵が立ち止まるときの「妙」なすき間に敏感であればよい。その敏感さが、川沿いに道を走らせ、堀を渡らせ、道をたどり直させる。そして、鬼平犯科帳の「リラックス」に立ち会える。


19981218
▼新幹線のなかで昨日古本屋で買った「江戸切絵図散歩」(池波正太郎/新潮社)。虫食い痕の対称形も楽しいカラーの切絵図の上を、池波正太郎の指がなぞるかのような本。帰ったらちくま文庫の江戸名所図絵を広げてみよう。じつは鬼平犯科帳も剣客商売も読んだことがなかったのだけど、それも読みたくなった。

▼山川さんが劇団に入るという。その、アグリー・ダックリングという劇団の芝居のあらすじを聞く。彼女の語るあらすじはとっちらかっていたが、これはすごい芝居だと思った。

▼で、その聞いたあらすじを、さらにうろ覚えのままメモしておこう。(だからこれはアグリー・ダックリングの芝居とかなり違うかもしれない)

▼学校である男の子が人殺しをしてしまうの目撃した女の子。その日から眠りが学校に広がる。眠りに憑かれるときは、まず何かが止まらなくなり、そして眠ってしまう。▼女の子は先生に相談に行く。先生は、むかし自分に来たラブレターを女の子に渡す。それを読めば、自分はこんなに大事にされている、ということが分かり、何かに憑かれずにすむ、と。▼眠るとどうにかなってしまう、眠らずにいなければ、トロイの木馬団(だっけな?)なる集団が結成される。手紙を持った女の子はその隊長にまつりあげられる。そして男の子が教室に入ってくる。▼いっせいにあちこちに隠れるトロイの木馬団たち。しかし隊長である女の子は、男の子の前に出て、話をする。男の子の話。ナイフを持ってざくざくやり始めると止まらなくなった。止まらなくてどんどんざくざくやっていた。そして振り返ったときに女の子がいて、はっとわれに帰った。人殺しをしていた。そしてその日から、眠り始めた。▼女の子は、先生から渡された手紙を男の子に渡す。▼裏切り者、と女の子に迫る隊員たち。その隊員たちも、手を振り上げては振り下ろすのが止まらない。▼やがて女の子は屋上に追いつめられる。このままでは屋上から落ちてしまう。そのとき男の子が、だいじょうぶだよ、ぼくが受けとめてあげるから、という。▼そして女の子は落ちる。▼先生の部屋の窓から女の子が落ちるのが見える。

信頼と不眠症


19981217
▼前田愛の世界(=モンド)論。

■そういえば、浅草は昔から「世界」のイメージにことのほか執着する盛り場だ。たとえば浅草の十二階はパリでひらかれた万国博覧会で人気をあつめたエッフェル塔の不細工なコピーだったし、同じ明治二十三年に開場したパノラマ館では、オルゴールの音色にあわせて、ゲッティスバーグの激戦の場面が幻影のように浮びあがる仕掛けだった。このパノラマ館の傍につくられた珍世界から、戦後になって瓢箪池の跡地に何とも味気ない真四角のビルを屹立させた新世界にいたるまで、浅草は世界ないしは宇宙の模型づくりに専念してきたとおもわれる節がある。
(前田愛/都市空間のなかの文学/筑摩書房)

▼で、いよいよこの不細工な十二階がなんだったのか洗いざらい明かにするから、浅草十二階ファン(そんなのいるのか?)は来来月のユリイカを乞うご期待なのだ。

▼レンタサイクルで古本屋まわり。「染太郎の世界」があったので買う。一度行ったから、もう攻略本解禁だ。▼浅草文庫におじゃますると、係の方が戦前に国際通りの西に住んでおられたとのこと。で、「染太郎の世界」に載っている芸人横町の地図を広げて、あれこれ思い出していただく。「ああ、1号館と2号館ね、この辺がはらっぱでよく遊んでたんですよ」指が地図の上をあちこち動く。するとほら、その指がまるで魔法にかけたみたいに、地図が生々しく見えてくるではないか。瓢箪池から伝法院そばの築山には抜け道があったというではないか。

▼通りがかりにあった古書店にふらっと入ったら探してた浮世絵資料と貴重情報。歌舞伎の本がたくさん置いてあったから当てずっぽうで尋ねてみたんだけど、やっぱり知ってる人は知ってるのだ。

▼信号で止まったとき、新聞配達所の窓ガラスに貼られた記事に気づく。米、イラク空襲。店構えが古いので、湾岸戦争のときの記事かと思った。でも日付を見たら今日だ。信号が青になった。

▼羽子板市。店頭であれこれうんちくを聞く。秀徳の5000円羽子板を売ってる店には歌舞伎ファンの人が集まってて、店の人がこれはどういう芝居の誰というのをいちいち説明してくれる。押し絵をバラしたのを見せながら、安いのは中が発砲スチロール、ちゃんとしたのは中が綿ですよ、ほらこうやって押してみるとわかります、と声をかける店もある。子供くらいの背丈がある大羽子板は一枚が数十万する。しかし、ぼくは「押絵と旅する男」の読者なのだから、大きな羽子板は必要ない。双眼鏡で拡大して、それが視野いっぱいに広がるほどの大きさがあればよい。というわけで、5000円のちっちゃなやつにする。合わせがたくさんあって、あちこち立体に見えるやつだ。

▼さて夜だ。なんとあの、自称田町からタクシーを飛ばす超多忙なのれーさんを30分待たせるという快挙をなしとげた後、えーと、何軒まわったんだ、まあ浅草のアフター5は制覇したと思う(うそ)。mmkさん登場、お忙しいところをおつきあいいただきどうもでした。

19981216-2
▼木馬亭の見城たかし公演。開演前からけっこうお客が並んでいる。ほとんどは年配の人で、ざっと数えたところ百数十人か。▼おもしろうてやがて悲しいふりしてババンバンな大衆演劇。ショー全般を通して、MCが舞台裏からマイクでしょっちゅう「けんじょう!」とか「友也!」とかアオるのが、ほとんどパチンコ屋のよう。なんだか玉が吸われてるのに玉が出てる感じなのだ。▼かつて橋幸夫の前座で歌っていたという見城たかしは、やはり歌うときがいちばん堂々としている。若手の一城進吾の「ブラジル音頭」たのし。イパイパイパネマでサンパウロなアチャラカ歌詞に乗せて、「ブラジル音頭」と縫った着物にひょっとこのお面をつけて細い腰を振る。ひょっとこ世界。世界ひょっとこ。▼それで突然思い出したんだけど、高杉弾さんがずっと前に写真時代という雑誌に「モンドとはひょっとこのようなものである」と書いてたことがあった。ぼくは「モンド・ミュージック」のモンドよりも、この「ひょっとこ」の方が、ぬけぬけと力が抜けてて好き。

▼宿に帰りがけに「染太郎」に入ってみる。メニューの「お好み焼き」の項に「パンカツ」とある。「ビールにパンカツ」というと、「あのう、パンカツはできればご注文の最後にしていただきたいんです、油まみれになりますから」「パンカツはおなかいっぱいにならない?」「あ。なります。なると思います」にこっと笑うので、「じゃあパンカツ。それとビール」▼まず食パンが一枚出てくる。これに、ミンチの入ったお好み焼きのタネをバターのように塗る。そこにパン粉をまぶす。慎重に、均等にまぶす。▼鉄板にラードを引く。かなりたっぷり引く。お好み焼きの油の量ではない。焼くというより揚げる量だ。そこにパン粉のついた側を乗せる。味が予想できない。▼裏返し、また裏返す。「このパンカツはわたしの中ではベスト3に入りますね」かなりいい出来らしい。はじめて見るからどうなれば出来がいいのかわからない。「でも、パンカツだけ頼むお客さんは珍しいですね。」「いや、なんか気になる名前だったから」「いいと思います。なんか神秘的。わたしの中ではミステリアスですね。」わたしの中で、というのが口癖らしい。「これ誰が考えたの?」「先代のおばあさんが。戦後すぐに食べるものがないときに、ってバイトのお姉さんから聞きました」ということは彼女もバイトなのだ。▼できあがりかなと思うと、またたっぷり油を引く。焼けたパンを半分に切って、切り口を下にして今度は縦に焼く。「これ、安いけどさ、けっこう人件費かかってるね」「そうですね、なにしろ二次元で揚げてますからね」二次元揚げか。いいフレーズだ。わたしの中で最近のベスト3に入るぞ。▼で、パンに染み入った油は、パンを揚げたあと再び染みだしてくる。そのパンを通過して茶色く染みでた油を何度も小手でさらう。▼ようやくざくざくと4つに切ってできあがり。「さくさくっとなってたら、いい出来なんです」これに塩かウスターソースをかけて食べるという。▼んー、これはですね。サクサクだ。とりあえず作ってくれた彼女にうなずく。うなずいたが、しかし、そのサクの中にパンがある。パンのくせにモチのようでもあり、しかしモチほど弾力があるわけではなし、心なしか紅茶にひたした食パンの味がするようでもあり、しかし、そこを詮索するよりも早く口の方がサクのサクで噛み砕いてしまう。大脳の分析意欲に口の動きがさからう。油を嗅ぎ過ぎて頭がやられてるのかもしれない。というわけで、もう一切れサクといく。またパンだ。いや、パンのふりをしたなにものかだ。もしかしてこれがブンガクなのですか高見順先生。▼サクのサクで四つ食べると、ちょうどいい腹具合になった。ビールは進むし、飽きそうで飽きない。おいしいか、と言われると、よくわからない。たぶん、また食べにきてしまうだろう。「今度はパンカツじゃないのも食べに来て下さい。」


19981216-1
▼レンタサイクルって手があった。と思いついて観光案内局で尋ねてみると、浅草松屋のすぐ裏にあった。1日200円。やった、馬を手に入れたよ。すごいすごい、橋場まであっという間だ。今日も休みなのか玩具ミュージアム。そこから日本堤を抜け見返り柳、千束神社、おそれ入谷の鬼子母神、ほんとは鬼の字からツノを取るらしい、おっとこんなところに柄井川柳碑が、で、台東区図書館まで寄り道しながらたったの1時間とはな。▼染太郎の世界、という本があるので、てっきり芸人の話だと思って手に取ったら、どうもそうではないらしい。高見順の小説に出てくる風流お好み焼き屋らしい。芸人と無縁、というわけではなく、芸人の来客も多かったという。見開きの地図を見ると、なんだ、今日の宿のすぐそばじゃないか。よしわかった、もう読まないぞ。攻略本を先に読んでプレイするのはヤだ。それにつわものどもの夢のあとめぐりなんてぞっとしない。いまちらと読んだ開高健の文章でもうじゅうぶんゲンナリきた。

▼「男流文学論」という本で、谷崎潤一郎が読みにくくてしょうがない、という上野千鶴子に対して富岡多恵子が、あなたは近代読者なのよ、といっているのが妙に記憶に残っている。谷崎作品のような声にこだわる文章に抵抗を感じる上野千鶴子を「近代読者」と富岡多恵子が呼ぶのがおもしろかったのだ。で、今日、前田愛の著作集をくってたら、まさにその「近代読者」の話。

■現代では小説は他人を交えずひとりで黙読するものと考えられているが、たまたま高齢の老人が一種異様な節廻しで新聞を音読する光景に接したりすると、この黙読による読書の習慣が一般化したのは、ごく近年、それも二世代か三世代の間に過ぎないのではないかと思われてくる。こころみに日記や回想録の類に明治時代の読者の姿をさぐって見るならば、私達の想像する以上に音読による享受方式への愛着が根づよく生き残っていたことに驚かされるのである。(音読から黙読へ/前田愛著作集第二巻/筑摩書房)

▼音読には、一人が家族に読み聞かせるという「朗読」と、一人で吟じるように読む「朗詠」とがあった。前者は家族という読書単位について考えさせるし、後者は書生にとっての唄、あるいは集団朗詠という歌唱単位について考えさせる。内容よりもことばの調子を味わう、というのも、この「朗詠」のポイントだ。美麗な擬古文から言文一致に変わったということは、単に文章がわかりやすくなったということではない。読み、声を出すという行為が、作者の裏声ではなく、肉声に近づいた、ということなのだ。
▼ところで、ここでトンデモなことを思いついたが、黙読の力というのが発揮されたのは、意外に春本の類ではないのか。声をひそめて読むべき本。
▼知人と長電話していると、電話の向こうで「そういえば谷崎の小説に」と言って、その一節を読んでくれることがある。午前二時に、対面することなく朗読の声だけを聞く。まるで「盲目物語」だ。



19981215


▼新幹線の中で「浅草偏奇館の殺人」(西村京太郎/文藝春秋)。ハトヤで始まりハトヤで終わる小説。ぼくは推理ものがとんと苦手なので、この謎解きが推理小説としてどれくらいのクォリティかはわからない。が、昭和7,8年頃の浅草の気分が破綻なく描かれていることはわかる。時事ネタなどもしっかり裏をおさえてある。▼にもかかわらず、なにかそういう裏の取り方がかえって時代の言質を取って回っているようで鼻についてしまう。引き合いに出されている川端康成の浅草もののほうが、むしろ旅人としての自分のありように素直に書いている。震災の後に、古い上着をさらりと脱ぎ捨てた浅草にたまたま居合わせた、その居合わせたことの距離を、距離として描いている。

▼いつもの旅館の白猫を見て、W-だ、と思う。夜中にオレンジ通りで猫がごみをあさってる。茶色にサバトラ縞でしっぽが長い。wwO-T-ssL-かな、なんて頭の中で考えてみる。遺伝子記号を覚えてると、その猫の両親の毛色のことなども思い浮かんだりする。遺伝を考えるということは、世代と世代の関係を考えることであり、空間と空間を隔てる時間のことを考えることでもある。

▼寿司屋で羽子板市のことを聞く。三、四年前に火事があって、市の左半分は焼けてしまったそうだ(この火事でも観音さまの手前で火が止まったという話)。焼ける前は昔風の羽子板が出ていて、それは引目鉤鼻(ひきめかぎばな)で、いかにも押し絵風だったのが、最近は作者も若い(といっても40,50らしい)せいか、ぱっちりした目の板が多いらしい。5000円くらい出せば、小ぶりだけど糊付けしてない一枚板の、かっちりしたのが買える、とのこと。▼酉の市にしても羽子板市にしても、最近では、万単位の大きなのを抱えてくるのは市の間で4,5人とのこと。▼寿司屋さんは店があるから、板や植木を買いに行くのは朝早くか、夜中近くになってから。植木市などは、最近は朝にはやっていないらしく(近所の水商売の人にとっては朝寝の時刻にがたがたされるのは迷惑なのだろう)、買いにいく時間がなくて困る、とのこと。夜はといえば、だいたい11時頃に店をこわしはじめるらしい。11時から12時のあいだに各店で清掃を終えてほしい、ということなのだろう。▼こうした話のはしばしに「観音さま」「ご先祖さま」ということば何気なく顔を出す。彦根から来た、というと、柔和な顔のタヌキの置物を見せてくれる。彦根城で買ったそうだ。あの急な坂道、段差のある階段を85歳のおばあさんと上ったという。時間がないのをおして、いと重の和菓子を買ったという。▼「でもふなずしは食べられないわねえ」▼境内では夜を徹して市の店の準備が進められている。

▼寝っ転がって「浅草紅団・浅草祭」を読み直す。増田みず子の解説。

 「重要なのは、この作品を書きだしたとき、作者はまだ三十歳にしかなっていなかったことである。そうして浅草という町が衰退に向かって動きだしたころだったことである。
 浅草という町は、この小説を読めばわかることだが、不良少年少女と浮浪者のたむろする町であって、仕事と遊びが目的でない三十歳の男には、居場所などないのである。三十歳の男は、浅草に身を置くとしたら、観光客の一人でいるしかないのである。いったい観光客にその土地の何がわかるだろうか?」

▼そして増田みず子は川端康成を「観察者」として規定する。痛い話だ。

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