月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



19991015
打ち込みを一休みすると雨。

両親に電話。ここ数年、十年日記というのが流行っていて、母の知り合いでつけてる人がけっこういるという。毎年同じ日に同じページに書くようになっていて、「一年前のわたしは・・・」とか感慨にふけったりできるんだとか。

「彼氏と彼女の事情」3〜5を一気に見る。ラーメン屋の実録ヤクザ漫画をチャーシューがわりに、少女漫画をトランキライザーがわりに暮らしていた昔に逆戻り。えーえー、どうせわたしゃくらもちふさこのマーガレットコミックスを全部持ってましたよ。いくら釣りバカ日誌読んでシブがったって汁飛ぶアムール読んで悶絶したって、三原順で泣いた十代は取り戻せませんよ。

12弦がかきならされる「夢の中へ」を聞いてると「中学生日記」の昔のテーマ思い出しちゃうなあ。ドラマじたいはほとんど見たことがなかったけど、12弦ギターのじゃかじゃか鳴るテーマがとても好きだったんだ。さ、「喜劇・爬虫類」を見るか。
十二番の室にいる医科卒業生に、二時間許りも赤痢病に関して訊ねた。これは”鳥影”に書くための準備だ。(一)書いて栗原君に。
19991014
iMac DVの動画取り込み能力が具体的にはちーともわからない。鳴り物入りで登場したヨセミテの動画取り込みが、デジカムの機種依存などによるトラブル続きだったことを考えるとうかつに手が出せない。要は1/30コマでコマ落ちなしでFireWire経由でスムーズに取り込める環境があればそれでいいのだが。

漱石の「猫」は「白湯を飲むやうな文」といわれ、啄木は自分の歌を「煙草」や「日記」に喩えた。

夜、「TVチャンピオン」の大食い大阪決戦、「どっちの料理ショー」マツタケ対サンマ栗茄子対決と食番組ハシゴで3時間。どうかしてるね、早くもビール。
「彼氏と彼女の事情」2、市川昆「満員電車」。今日もヘンな取り合わせ。カレカノの校舎の廊下カットが泣ける。そして「満員電車」の会社寮の無限廊下でめまい。川口浩の下着姿。笠智衆の実直な語りを満員精神病院に反転させるなんて怖すぎ。狂ってるぜ市川昆。
”鳥影”。モデルの金矢君がきてハッとする。
19991013
ところで、昨日毎日放送で深夜やってた番組は、往年の豪快御影屋をほうふつとさせる内容。吉本の新人二人にハンコタワー(文房具屋とかにあるハンコがやたら入ってるやつ)のハンコ1000人分配りながら梅田からなんばまで歩くというもの。あのタワーは重さ80kgあるんですと。

人間行動学、幻燈の巻。スイスで買ってきた幻燈を見せる。あまりにささやか過ぎて反応はいまいちだったが、終了後、社会人の聴講生の方が集まってきて、しばしろうそくを灯して種板鑑賞会。

原稿校正。さて、もうひとつの原稿をなんとかせねば。
小川珈琲でかちゃかちゃやってるとすごい夕立。

 Problems of versions in everyday situations (E. C. Cuff 1994, University Press of America)は、人間関係のトラブルによって生じる多元現実を会話分析で明らかにする話。

 レンタルで(いまごろ)「彼氏と彼女の事情」1、市川昆「あの手この手」。どちらもよく中身を知らずに借りたのだが、ヘンな取り合わせ。バック・トゥ・ザ・スクールから足袋の裏のような結婚生活へ。
”静子の恋”を取出してみたが、我ながら面白くない。稿を改めて”鳥影”とすることにした。
19991012
この啄木の日記はほとんどパノラマ的感覚。
「この」って書いたけど、じっさい、ぼくがいま書いてるウィンドウのすぐそばに啄木の同じ日付の日記が表示されている。これはHyperCardのスタックで作った日記入力ソフトで、この本文の隣りにメモを書き込む場所が作ってある。そこにすでに啄木日記抄録を一年分ぶちこんである。で、10月12日のページを開くと、明治41年10月12日の啄木の日記があたかも日めくりカレンダーの金言の如く表示されて、その下に本文入力ウィンドウが開く。

で、日記を書き終わってボタンをポンと押すと、二つの日記がHTMLのテーブルに並べられて出力されるという仕組み。

日記を何日か分まとめて読むのもおもしろいけど、こうやって、切り取られた一日をゆっくり読むと、また印象が違う。髪を切り、風呂に入り、お湯と徹夜あとのせいで、なんだか世の中が遠くなりながらふらふら歩いていく啄木。

加藤典洋「日本という身体」。日露戦争後のへなぶり狂歌の話から啄木の話。へなぶり狂歌の話が載っている木股知史「瘋癲院の窓」(冨岡書房)は要チェック。

モスバーガーで、着メロを聞かせあって楽しむ客。店内BGMがたまたま着メロと同じだというので、急いで携帯を取り出して再生して聞かせる客。呼び出し音としての着メロは、途中で切られることによって機能する。だからフルコーラス聞くためには、呼び出しという機能が剥奪された場が必要。

昨日岩淵さんから借りたSakura-FMの「パラレル・ワールド」31回分を少しずつ聞きつつビール。
斬髪、入浴。 徹夜したあと、の気持というものは面白いものだ。四辺の物が総て平生より遠く見え、一切の見聞が、自分と一向関係のない処での出来事の様に思える。 和歌!
19991011
昨日買ってきた大友良英「山下毅郎を斬る!」。いやあ、これいい。すごくいい。1曲めから猛烈にかっこよくかつ最後まで泣ける。豪華なだけじゃなくて、じつに泣かせる布陣。エンケンがジャイアントロボワッショイだよ。スーパージェッターはHACOさんで(スーパージェッターの声が泣ける)、山本精一の時間ですよ、そしてPhewのガンバと仲間たちがもうPhewでしかない。
伊集加代子にチャーリー・コーセー大復帰、で、新しい。どれも耳タコの歌なのに、全部初めて聞いたように聞きました。

岩淵さん、ゆうこさん取材で来訪。

横に啄木の明治41年の日記を並べてみる。こういうの、だれか見も知らない人とやるとおもしろいかもね、複数の人の日記を横に並べちゃうってスタイル。昔、リプチンスキーのビデオで画面を分割して平行世界を見せるってやつがあったけど、そういうの。

深夜、関西TVの「クレイアニメの奇妙な世界」(だっけな?)という番組で、すげえおもしろいアニメをやってたんだけど、途中から見てたので、題名がわからなかった。胎児風つるつる頭の子供が主人公で、実写の巨人世界とクレイアニメの小人世界が交錯するというもの。実写もすべてコマ撮りでアニメ化してあって、妙な統一感。
漸々三十五首だけ。晶子氏から二円の小為替券。 鈴本亭で義太夫。眠い。昇菊に京歌のつれ引、眠くて眠くて、見台を叩く音にびっくりする、昇菊が素的に美しく見えた。 写真が出来て来ていた。予は立って、金田一君が腰かけて。 桜庭ちか子さんから絵葉書。 毎日新聞から小説の話。
19991010
京都で日本進化学会設立大会。
倉谷さんのは発生における遺伝子レベルと形態レベルの齟齬という本質的なテーマだったんだけど、意外にこういう視点て少ないのだな。

帰りに古本屋で「田村隆一エッセンス」。日伊会館でビール飲みつつ。ああ、昨日原稿に50枚も使って書いたことなんて、もう田村隆一の最初の詩集の詩で刺すように言い当てられてるよ。

加藤典洋「日本の無思想」。あれ、ここにも花袋と啄木が。
思想と精神分析が対比されているのだが、その精神分析の代表例が土居健男と病理学によるお手軽文学解釈なのだ。うーん。「あなたの夢に出てくる鉛筆はペニスの象徴です」式精神分析なら加藤氏の議論でいいと思うのだが、精神分析ってそんなもんだっけ?
なんて言ってるぼくも精神分析はど素人だが、フロイト流の精神分析ってなによりもことばに表われたことを手がかりにするんじゃないのかな。だからことばに表われたもの対ことばにあらわれないものという構図で思想と精神分析を対比するのはヘン。
むかーし読んだフロイトの精神分析入門は「言い間違い」(スリップ)の話で始まっていて、それがいちばんぐっときた。それは、ことばと無意識を一対一対応させる手法ではなくて、ことばとことばが齟齬をきたしているとき、そこに働いている力は何かを考える手法だったんじゃないかといまでは思ってる。だから政治家の失言を考えるときは精神分析の方がしっくりくるってのは、当然だと思う。ことばに表われないできごとは、(クライアントと医者との対話を重視するタイプの)精神分析さえも届かないのではないか。このあたり精神分析、精神医学系の人の意見も聞きたいところ。
言い間違いが精神分析の対象になるからといって、思想と精神分析の対比は、ことばの一貫性対ことばの齟齬、でもない。一貫性をめざして一貫性が破綻しない思想なんてあんのか?

と、まああれこれツッコミをいれたくなったが、たぶん、この本は、ことばの齟齬があるのにそれが分析の対象にも思想のありかをさぐる手がかりにもなっていない事態を問題にしているのだろう。その限りでは賛成。

てな疑問があれこれ湧いて(つまりこれはいい本だ)、後半の公的・私的をめぐる部分はとりあえずざっと。べしみをめぐる三角関係は、ちょうど啄木をめぐるまなざしの三角関係(月末のユリイカを待て)を書いたところだったので、対応させて楽しむ。
せつ子から代用教員になってもよいかと手紙。 写真が来てから返事を出さないでいるので、筑紫へ簡単な手紙。 千駄ヶ谷。
19991009
原稿見直してユリイカへ。もう一本あるのだが、とりあえずビールを飲もう。
新聞の海外電報。ボスニヤ、ヘルゼゴビイナ合併など。此活劇の脚色家は、独帝にあらずして誰だろう! 吉野君から久しぶりの長い手紙。友は僕を羨ましいと書いた。予は、予を羨んでる人もあるのかと思って驚いた。 鈴本亭に義太夫。明日の電車賃五十銭平野君からかりた。
19991008
さらに原稿。小川珈琲、カンタータ、モス。BGMにヨ・ラ・テンゴとステレオ・ラブ買う。削っては足し削っては足し。結局50枚。
”青地君”を十七枚目まで書いた。
19991007
さらに原稿にもんもんとする。
夜、TVチャンピオンでプロモデラー対決。ベルリンの壁の穴ごしの隠蔽と露出。ほんとモデラーの人の風景論は聞いてみたい。
”青地君”
19991006
絵葉書趣味に「無言絵葉書」を追加。
人間行動学の第一回も「絵葉書趣味」。
”今日は六日ですね”と女中が言ったのでヒヤリとした。 ”青地君”と云う題だけ書いて十枚も紙をしくじった。 中央公論。明星。
19991005
原稿。などといいながらものまね王座決定戦。いつもながら、よくわからない採点基準。ようやく40枚。The MIT Encyclopedia of the Cognitive Sciences の項目拾い読み。くそ重たいことを除けば知らない領域を手っ取り早く俯瞰するには便利そう。Sperberが文化・進化の章を担当している。
鈴本亭に義太夫。美人の顔を黙って見てると、実に気持が可い。一つの心は、義太夫を聴いて味っている。一つの心は、美しい顔を眺めて喜んでいる。そして一つの心は、取留もない空想に耽っている。
19991004
原稿。などといいながら旺文社文庫版内田百間をどかんと。さらに東京フレンドパークII。いよいよ事態は煮詰まっている。 「有頂天」。
金田一君と日比谷(松本楼)→浅草。塔下苑。大勝館で活動。電車で四丁目の薮でビールと蕎麦。 今日初めて、東京の日曜らしい日曜を経験した。
19991003
原稿。などといいながら夕方から京都のクンクンルーホーでビデオボールド。安田夫妻におめもじする。尾崎豊の解き放ちすぎたじたばたぶり。クレイジー・ケン・バンドのケン氏の湯上がり靴下。タイニーティムにNRBQ、最後には再び尾崎とじつはかなり好きな岡村とのデュオ「おたがい、死ぬな、太るな、いうてるみたいですね」という安田氏のコメントはあまりにも的確。それにしてもモーニング娘の「ラブ・マシーン」て、めちゃくちゃいいじゃないですか。どてっぱらに風穴があいたような歌詞もすばらし過ぎ。

「モンティ・パイソン大全」を帰りの電車で。知らないことは山ほどあったが、どうもお勉強してる感じで楽しめなかった。それで、あの番組のギャグが何かを指しているかはわからなくともその指しっぷりが楽しかったのだ、と気づく。
千駄ヶ谷へ。晶子さんと栗を食べながら源氏の話など。 吉井君が来た。筑紫の人の事で大笑い。 森氏の歌会。
19991002
原稿。などといいながらTBSのクイズ特番。かなづちを5時間で泳げるようにする、という企画で、結局泳げなかった八方に、紳助、木原美知子他「あれだけできるようになったんだから」と無理矢理プラス志向。なのに、当の八方は「やっぱり無理ですわ、あきませんわ」と素直に後ろ向きで、好感度アップ。
節子と妹からの手紙。老いたる母上は二十九日の晩に函館を去って、一人、岩見沢の姉が許へ行ったという。それを見送って帰ったのは夜の一時であったそうな。残ったのは妻に妹に京子。ああ、その夜の二人の心!そして又北海の秋の夜汽車の老いたる母が心! 一枚あった電車切符を利用して早稲田に藤条君を訪ね、歓待された。”血笑記”と一円。 筑紫から手紙と写真。目のつり上った、口の大きめな、美しくはない人だ。 暮れわたる空は高い、高い。限りも涯もない悲哀が予の心を捉えた。金田一君が帰って来た。予は驚いて立って、そしてアンドレーエフの入神の筆について語り、且つ読んだ。”日露戦争の結果は、露西亜−大なる露西亜に於て此 Red laugh となったが、小なる日本には何も残さぬ!” 源氏”野分”。
19991001
深夜からずっとNHKをつけっぱなして臨界事故TV。ええと、なんだっけ。車の買い換え。安くて長持ちしそうな中古のコルサ。といっても運転するのは相方。ドライブがてら古本屋で「東京電力三十年史」「大林組70年史」などなど。「ベランのパノラマ」のスイスから背伸びしてイタリアを欲するようなまなざし。
予は何故怎う月日の経つことの早いのを、人一倍に驚かねばならぬだろう? 源氏”常夏””篝火”。いざ書こうと思うと、ペンがダメになっている。原稿紙も少い。これで折角の思立も、心が索然となって水の泡。

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