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20000531
 フルーイイズーミーヨ、オマーエハーポクノー、とソラで歌えるぼくはタイガースよりも青い米二つことブルーコメッツをTVの前で待ち望み、楽器両手で持ち地団駄踏むよに両足を踏んばる力の入りすぎた歌い方に見入り、その、吹くと鳴る楽器持って足踏んばって歌ってる人が「作詞:橋本淳 作曲:井上忠夫」の「井上忠夫」だって知り、歌詞の意味はわからないけど、「井上忠夫」って漢字を見るたびソンケイの念をキダキ(そう「抱き合う二人は」だって、「キダキアウルタリーーイワー」だった)、「北国の二人」も歌えないくせに「ブルーシャトウ」の替え歌をウレシそうに歌うヤツらを心からケイベツし、公園の地球儀ぶん回しながら大好きな「マリアの泉」を歌って足蹴り上げてたんだ。「ランナウェイ」だって「恋のダイヤル6700」だってとても好きさ、死ぬほど好き。ハロウ。

20000530
 わたしはいまだかつてないいきさつによって殺す。かつてあったいきさつが生まれる。わたしはいまだかつてないいきさつによって書く。かつてあったテキストが浮上する。わたしは読む。沈み続けるために。

20000529
 早くも夏バテか、一日3コマやると、へとへと。今日の実習は天気がよかったので30分ほどグラウンドに出てもらってミツバチの様子を見てもらっただが、手ぶらで気軽に行かせたこともあって、大半の人間は途中から四つ葉のクローバー探しと花飾りづくりに移行してしまい、早々に引き上げる。しまった、フィールドノートとらせてスケッチさせるべきだった。
 教室に戻ると数人がくしゃみ。

 夜ちょいムジュラ。このゲームがどうも精神衛生上よくないのは、一度果たしたはずの約束が、3日前に戻ると果たされていないという現象だ。そのくせ、団員手帳には約束を果たした印が表示される。つまり、確かにやったという印があるにも関らず、それがストーリーに反映されない。いや、そういうシステムにした方がゲームとしては成り立ちやすいってことはわかってる。わかってるが、こういう「果たしたはずの約束が残っている」ってのは、寝覚めの悪い夢みたいでじつにヤな感じ。

20000528
 おおチョーキータウン。さかなのPocopenの声は、フィービー・スノウの声を思い起こさせる。母音が鼻にかかろうとするときに、倍音がふくらんであの世の声になる。

 TVで「NHKのど自慢 in ハワイ」。カタコトの歌は染みるなあ。歌い手は歌詞の意味を理解しながら、歌詞の発音からずれていく。そのずれの中に、ことばを音に乗せるときにその人がとる癖が出る。明らかにぼくとは違う乗せ方。その乗せ方に表われる、歌の別の意味。

 「次は外国人の三人です」という紹介で表われたのは中国フィリピン系、ハワイフィリピン系、中国フィリピン系の三人。「外国人」ってなに?
 最後の出場者紹介「2000年ベイビーの誕生を祝ってうたいます、「酒場のろくでなし」」
 すごいな、ハワイ。

20000527
 そういうわけで、今日は「なんでそういうことするかな」について考えてみよう。

 この奇妙な言い方、もっと前からあったのかもしれないけど、ぼくが耳にするようになったのは、ここ数年、それもメディア経由だと思う。それにしても、なんでこういう言い方するかな。誰が使ってるんすかね、これ。業界の人? 江角マキコ? 関西圏のせいかもしれないけど、少なくともぼくのまわりにはこんなこと言う人いません。
 そのくせ、ひじょうにそのニュアンスはわかる、ような気がするんですね。最近とくに耳についたのは、ポケモンのムサシ(声:林原めぐみ)のセリフ。「なーんでそういうことすっかなー」と、相手を責めているようで実はまったく相手にする気がないかのような、捨て鉢かつマイペースな響きが、タイムボカンシリーズ以来二十数年やられ続けているアニメ悪役女性キャラの運命を背負ったムサシの、すさみながらも淡々と役をこなす白い明日に絶妙にマッチ・・・にゃにゃーんてニャ。とにかく、そんなぐあいに即座に理解できてしまいかねない微妙かつクリアなニュアンスがこのフレーズにはあるわけだが、じゃ、なんでぼくのように自分で使ったこともない人間に、このフレーズのニュアンスがわかる気がするのか。このフレーズは、業界だけで通じるフレーズとはちょっと違って、はじめて聞いた人にもしっかりその冷たさがわかる構造を持っているのではないか、ということを問題にしたいわけです。

 てなわけで、まずは具体例だ。ネットで「なんで」「かな」でAND検索をかけてみよう・・・
 はい、出ました。
「E0はEASYモードでプレイしているのだけど、どっちにしてもセーブロードに回数制限があるっていうのは好きじゃない。バイオハザードにしてもそうだったしな。なんでこんな事するかな。」
 てなぐあいに、遅くとも96年にはこうしたフレーズが文字化されているのがわかります。他にいくつか紹介すると、

しかし、あれだ。カップルはなんで、水に入ると抱き合ってるかなぁ。ほんと。
なんでそういう事(パスワード入力してる手元を覗く)するかな〜ってブチッときれました。
なんでこう露出狂みたいな見せ方するかな…。

 まず、これらの言い方で特徴的なのは、「の」の省略ですね。普通はこう言うんじゃないか。

 A:なんでそういうことするのかな。

 「の」についてかなり広範囲な分析をしている野田春美氏の本にも

 「なぜ」「どうして」といった疑問語の質問文では、「の(だ)」はほぼ必須である。(「の(だ)」の機能(野田春美/くろしお出版))

 とあるくらいですから、「なんでそういうことするかな」はかなりイレギュラーな言い方だと言えるでしょう。問題はどんな風にイレギュラーか、ということです。
 
 まず、「の」があるのとないのとではどう違うのか。「の」ってのはむずかしいことばで、日本語研究者の間でもその機能については議論が分れるんだけど、ここはいっぱつシンプルな例を挙げてみよう。

1:
後輩「だって先輩がやれって言ったから・・・」
A:○先輩「いつそんなこと言った?」
B:○先輩「誰がそんなこと言った?」

2:
後輩「だって先輩がやれって言ったから・・・」
A:○先輩「いつそんなこと言ったの?」
B:?先輩「誰がそんなこと言ったの?」

 はい、これで、疑問詞文に「の」がくっついたときの、微妙なニュアンスの違いが分かります。
 1の先輩の答えはABとも「自分はそんなこと言ってない」という意味になる。つまり、一見質問文に見えますが、これ、機能としては質問というより否定なんですね。
 ところが、2ではどうか。Aがオッケーなのに対してBは不自然に聞こえる。なぜか。後輩は「いつ」については何も言ってないけど、「誰が」についてはすでに「先輩」と、答えを出してるからなんですね。だから、2Aに対してなら「だって昨日・・・」と口答えできるけど、2Bに対して「だって先輩が・・・」とは言いにくい。すでにそれは言ったことだ。そこで、これは話が変わっているのではないか、先輩の行為はおいといて「誰がそんなデマを流してるのか?」と尋ねてるいるのではないか、という気がしてくるわけです。
 つまり疑問詞+「の」という文章は、「の」がつかないときに比べて相手への返答要求感がアップする。「の」をつけることで、相手に、より考えさせる。
 で、2Bでは1Bより返答要求度が増し、後輩はより考えさせられる。そこで、後輩は、自分が答えた以外の情報、つまり「「先輩がやれって言った」と言ったのは誰か?」について考えをめぐらしたくなるというわけ。

 「どうして/なぜ/なんで」という疑問詞の場合はどうか。

3:
鮎原「コーチ! あのサーブを試したいんです。」
A:○コーチ「なぜその技を使う?」
B:○コーチ「なぜその技を使うの?」
 
4:
鮎原「コーチ! あのサーブを試したいんです。
   だって他に勝つ方法がないんです。」
A:○コーチ「なぜその技を使う?」
B:?コーチ「なぜその技を使うの?」

 うーん、ちょい微妙になってきました。が、ぼくの感覚では、4Bはややピントがずれてる感じですが、どんなもんでしょう。
 4Aでは、聞きわけのない人に対する叱咤、諭し、うめき、ないしは絶望の感じが出てます。
 
鮎原 「コーチ! あのサーブを試したいんです。
    だって他に勝つ方法がないんです。」
コーチ「なぜその技を使う?」
鮎原 「・・・」

 鮎原、コートに出てしまいました。しかし、それはコーチの自業自得です。コーチのセリフは形の上では疑問形ですが、じつはその機能は、否定ないし諦めなんですね。だから鮎原、コーチに答えずにコートに出ても構わない。
 それに対して、4Bが微妙にピントがずれてるのは、4Aよりもちょい返答要求度がアップしてるからです。「なぜ」という問いに鮎原は答えた方がいいような気がするのですが、その答えはすでに「だって他に勝つ方法がないんです」で明らかにされている。つまり、いまさらなことを尋ねられているように聞こえる。鮎原、困ります。
 
鮎原 「コーチ! あのサーブを試したいんです。
    だって他に勝つ方法がないんです。」
コーチ「なぜその技を使うの?」
鮎原 「・・・だからいま言うたやん!」
 
 スポ根からコメディになってしまいました。
 
 さて、長々と前振りをしましたが、以上の考察から「するの(かな)」と「する(かな)」の違いに少し近づいたように思います。つまり、

返答要求度が
「するの(かな)」>「する(かな)」
である。

という仮説が出せるのではないか。この仮説だと、「するかな」特有の突き放し感がある程度説明できます。つまり、「なんでそういうことするかな」というと、「の」の不在によって返答要求度が落ち、もはや相手に対して答えを要求してない、取りつくしまがない、という感じが出る、というわけです。ほんとかな。
 さて、「かな」の機能がまだ手つかずです。が、長くなったので、続きはまた。

20000526
 マスコミ報道やドラマの見過ぎで、14才や17才を見たら人殺しに見え、自分の不幸はすべて遺伝子のせいだと思っている人が全国で急増中と聞く。いや、急増していなくてもいいのだが、そんな人がこのページを見ていないとも限らないので、できごとどうしの関係を考えるときの基礎をまとめておく。といっても「因果は存在するか」なんて哲学的な話をうっちゃった、ごく実用的なレベルの話だから、あまり期待しないで下さい。


0:AとBは関係があるように見える
1:AとBには相関がある
2:AはBの影響を受ける(AはBに左右される)
3:AならばBである
4:BならばAである

以上の5つは互いに異なる話であるから混同してはいけない。そして、人間の行動の多くはおそらく2以下のレベルで説明できる。詳しい解説はこちらのページを参照



20000525
 昼、天気がいいのでグラウンドのシロツメグサにくるミツバチを撮影する。

 (静止画像:シロツメグサの構造ミツバチの訪花の様子)。

 ミツバチが花にもぐりこむとき、前肢はおそらく内部の舟弁を探っており、中肢は翼弁を押したり抱え込んだりしている。後肢は中肢とともに翼弁にかかっている場合もあれば、他の花に乗っかっているときもある。上の二つはビデオからの静止画像。下の二つはそれを線画でおこしたもの。ミツバチの頭部が押し込まれるとともに旗弁が押し上げられているところが写っている。

 30分撮影して1分ビデオに編集。お手軽な「なまもの地球紀行」になった。

20000524
 グラウンドの芝生に咲いてるあおむらさきの花、山渓「日本の野草」にも載ってなかったんだけど、井上君のページにちゃんとメモってあった。そうか、マツバウンランっていうんだ。白い部分を押すとおしべとめしべが現れるメカニズム。今度、虫がどうやって花粉をつけるか見てみよう。
 マツバウンランは北米からの帰化植物。シロツメグサ、コメツブツメクサ、オオイヌノフグリ、目立つ花はどれも帰化植物だ。江戸末期以降、水田ばたの初夏の風景は激変した。その激変して百数十年の初夏の一抱えが窓の外。

 統計のページとしてときどき訪れていた青木繁伸さんのページにある植物園の充実ぶりをいまごろ知る。

20000523
 WWW日記を読んで目を覚ますことは滅多にないが、この一服の清涼剤
 もう沈黙に堪えられずしゃべりだしてしまう声も空白に堪えられず打ち込まれる文字列もいらない、ただのおしゃべりとかたかた鳴るキーボードだけで。

20000522
 まっとうに働く。ACT会議。夜半過ぎ、モスで上岡くんと話してたらいつの間にか卒論指導に。

20000521
 あちこち歩き回ったあとに西部講堂。マイクの前でマラカス振るダグマーの二の腕。アンソニーが振る電動かみそり。ピーターのギターがたどるライン。ドリームマシンを見過ぎた後のように泡立つ映像。女一人と男二人の契約。シンプルなことをいろいろ思い出した。車はレッカー移動されてた。スラップハッピーな一日。

20000520
 土曜だというのに朝7:00に起きて車に荷物詰め込み名神を南下するぼくらは(ショーン、ゆうこさん、わたし)日本ドイツ文化センターに携帯をぶらさげ携帯を置き携帯をかけまくる練習をして12:00前には設置完了、日伊で飯食って、古本新本、ジョーズ・ガレージで明日のチケット、夜、京都アートマップ2000のパフォーマンス、ダイヤモンドナイトなメンバーがドイツ文化センターのスクウェアな扉を出入りするそれぞれの姿、ショーンとゆうこさんの「Call me」で携帯かけまくり通じたのは一度、けいたいのストラップにゆびをかけくるくるまわすきみにでんわしたらひかるえきしょう、まほろばで打ち上げ、酔いにまかせて西本くんに、さくらのはなもあはれ、アイボもあはれ、チャットもあはれ、音声言語のリアルタイムさに比べれば、と「あはれ論」、ラーメン食って西本くんちに。

20000519
 ところで今日ヒマ?
 
 今日は、この「今日ヒマ?」という発話について考えてみよう。
 「会話分析の手法」(サーサス/マルジュ社)には、こんな例が出てる。


[例1]
A1:今晩忙しい?
B2:いや
A3:映画に行きたい?
B4:いいね


 スムーズな会話やね。この例のような、A1とB2を「先行連鎖」といいます。最初のA1の発話は、じつは次のA3、B4の発話をすでに見込んで発せられている。先行連鎖には、こんな風に、次にくる隣接ペアを絞りこんでいく力があるのね。で、例1のような4つの連なりを「四部連鎖」と言います。昨日話した「隣接ペア」ということばを使うと、四部連鎖は「隣接ペアが二つ配列された構造をもち、最初の隣接ペアは第二の隣接ペアとして適切なものを含意している」ということになる。

 うーん、どうも専門用語の説明ってのはお寒いですね。これだけなら、ああなるほど、で終わりだ。さいわいにして、というか不幸にして、世の中いつも[例1]みたいにアメリカンでスムーズに行くとは限らない。たとえば。


[例2]
A1:今日ヒマ?
B2:うん
A3:ふうん・・・
B4:・・・って、それだけかい?


 はい、ダウンタウン的やりとりです。なぜここでBがツッコミを入れる必要があるかといえば、「今日ヒマ?」という発話は当然、ヒマを埋める何かについての話があるだろう、と相手に期待させるからです。つまり、「今日ヒマ?」と言われた瞬間、ぼくたちは、「あ、なんか知らんけど、こいつ、こっちを誘おうとしてんな」とわかるわけ。ちなみに、松本人志の応答には、先行連鎖を振っておいて、続く隣接ペアで裏切るというパターンがしばしば見られる。松本人志の発話の多くは、ボケというよりは裏切りなんですね

 漫才やトークはおくとして、ごく普通の会話でも、最初の例みたいにスムーズにはいかない。たとえば、Aが苦手な相手なんかだと、Bの答えはこんな風になったりする。
 

[例3]
A1:今日ヒマ?
B2:あ、ごめん、用事あんねん。


そして、Bは、帰って何をするでもなく一日を過ごすのでした。かわいそうなA。じゃ、もしちょっと気になる相手だとどうなるか。


[例4]
A1:今日ヒマ?
B2:うん、ちょっとな。なに?
A3:いや、今日までの映画のチケット手に入ってな。
B4:ふうん、なんの映画なん?
A5:「ディカプリオのハマで愛して」
B6:うーん、今日忙しいからなあ。


・・・というわけでAは勧誘に失敗するのだが、それにしてもB2の「うん、ちょっとな」とは何か? じつのところ「ちょっと」も用事はなかったのではないか。


[例5]
A1:今日ヒマ?
B2:うん、ちょっとな。なに?
A3:いや、今日までの映画のチケット手に入ってな。
B4:ふうん、なんの映画なん?
A5:「どらのび太」
B6:あ、それ見たい。


 ほら、用事なんかないじゃないか。
 じつはB2ではヒマかどうかという情報を相手に与えないで済むように、曖昧に会話が引きのばされているのだ。しかしそれには理由がある。
 A1の「今日ヒマ?」は明らかに勧誘へと続く先行連鎖の第一ペア部分なんだけど、この発話のズルいところは、勧誘の内容を言ってないところ。ここでBが即座にイエス・ノーで答えてしまうのは、中身もわからずにオーケーを出すのに等しい。もし、イエスと答えたあとでAが「いっしょに死なへん?」なんて言ったらどうする。というわけで、即座にイエスとは答えずに、「うん、ちょっとな」などと相手に勧誘の内容を言わせるべく答えを曖昧に引きのばしたりする。
 次のように、「ヒマ?」という質問に答えずに勧誘の内容に踏み込ませる答え方だってある。これなら、Bはヒマかどうかの情報を相手に与えずに、相手の勧誘内容を引き出すことに成功する。
 

[例6]
A:今日ヒマ?
B:どしたん?
A:いや、今日までの映画のチケット手に入ってな。
B:ふうん、なんの映画なん?


 それにしても、なぜこんな風にまだるっこしいやりとりになるんだろう? それは、私たちが「ヒマなのに断る」ことを避けようとしているからだ。「ヒマだけど映画にはいきたくない」「ヒマだけどあなたとはいきたくない」と言えないばっかりに、私たちは「ヒマかどうか」に対する返答をぐずぐずと引きのばす。言い替えるなら、Aの最初の発話は、「ヒマなのに断るのは良くない」という社会的ルールに則った策謀なわけ。だから、それに対してBは「ヒマかどうかを相手に教えない」という形で応じるわけ。
 最初の[例1]のやりとりがあまりにスムーズで芝居がかって感じられるのは、AとBがあまりにやすやすと社会的ルールに乗っているからです。そして[例2]のA3は、先行連鎖を宙づりにすることによって、社会的ルールを仕掛けたA自身のずるさと、それにやすやすと乗ったBの無防備さを暴き、暗黙の社会的ルール自体を暴く。

 以上の考察からわかるように、「今日ヒマ?」という発話は、単に勧誘という四部連鎖を為す紋切り型の文句に過ぎないのではない。「今日ヒマ?」は「ヒマなら相手の申し出に応じるべきである」という、社会的ルールに則った賭けなのです。「今日ヒマ?」という発話によって、Aは社会的ルールの力を援用しようとする。そして、Bはしばしば、例2〜例6のBに見られるようなさまざまな応答によって、この社会的ルールを迂回しようとする。
 会話をしている一方が四部連鎖の最初の文句をことばにするとき、会話は社会的ルールという求心力と、そこからの遠心力をめぐって進行し始める。

 だから、いつもは「なあ、今日映画行かへん?」とストレートに用事を切り出す彼や彼女が、「今日ヒマ?」と改まって切り出すとき、その彼や彼女には社会的ルールを必要とする何かが生じているのです。

20000518
 あ、「会話分析の手法」(サーサス/マルジュ社)を読んだわけね。入門書としては手ごろなボリュームね。
 で、ピンとこなかったわけね。会話分析の話ってどうも、「何当たり前のこと書いてんの?」って感じのする内容のものが多い。たとえば「隣接ペア」って考え方が出てくるんだけど、これ、当たり前過ぎて、何がおもしろいのかよくわかんない。

 「隣接ペア」というのは会話の始まりや終わりや質問、勧誘などに際して、典型的に行われる二つの発話のペアを指す。たとえば、

A:こんにちは
B:こんにちは

A:わかる?
B:うん

など。ペアの最初の方(Aの発話)を第一ペア部分、後の方を第二ペア部分、という。

 ・・・ふうん。専門用語の説明だけ抜き出してもおもんないな。この「隣接ペア」とかいうのを使えば、このペアは「挨拶−お返し」、このペアは「質問−返答」、なんて会話の中身を分類できるだろうけど、それだけじゃちっとも楽しくない。

 会話分析の魅力を考えるには、イレギュラーな場面を考えた方がわかりやすい。「当たり前は見えない。当たり前でないから見える」。ここ、相田みつを風に、下手クソかつ豪快な墨字でお願いします。「会話分析の手法」にも、そういうイレギュラーな例が載ってただろ。まだピンと来ない? 確かに翻訳された会話ってのはどうも読みにくいね。じゃ、こんな例を考えてみよう。

A:こんにちは
B:・・・

 こういうときAだったらどうする?「Bには聞こえなかったのか?」「こいつ、今日不機嫌なのか?」「オレのこと嫌いになったのか?」などなどさまざまな思惑疑惑が頭に浮かぶはずだ。そしてBが「こんにちは」って言ってくれてたら、こんな疑惑はまるで起こらなかったはずだ。このように、Aに思惑疑惑を起こさせる力が「隣接ペア」の力、というわけ。逆にいえば、こういう思惑疑惑を起こさせないように、つい、「こんにちは」って答えちゃったりするんだ。こんな風に答えさせられちゃうのもまた、「隣接ペア」の力です。
 思惑疑惑を起こさせることの良し悪しは、いまは置いておこう。とにかく、思惑疑惑を起こさせる力が発話にはある。思惑疑惑をできれば起こさせたくないと思わせる力が発話にはある。ぼくたちは「こんにちは」と口にすることでそういう力を行使している。それを覚えておけばいい。

 Aが挨拶したのにBは答えなかった。そこでAがもう一度「こんにちは」と言ったとしよう。

A1:こんにちは
B2:・・・
A3:こんにちは
B4:(    )

 はい、カッコの中を埋めて下さい、ハットリ君。え?「あ、ごめんごめん」て言うの? ハットリ君、キミ、ええやっちゃな。ええやっちゃけど、キミ、謝るようなことしてるか?

A1:こんにちは
B2:・・・
A3:こんにちは
B4:あ、ごめんごめん

 ぼくがAやったらな、こう思うわ。こいつ、謝るちゅうことは、さてはオレが最初に「こんにちは」て言うたん聞こえとってんな。うざったいんかかったるいんかぼーっとしてたんか、とにかく、聞こえとったくせに答えへんかってんや。ほんで無視した自分が後ろめたいから謝っとんねや。オレが二回めに声かけへんで通り過ぎたら、こいつ「挨拶せんで済んだ」とか思うてほっとしたんちゃうか。まあ挨拶がうざったいときは誰にでもあるわ。今日のところは貸しにしといたろ。

 ・・・どうよ。ハットリ君、借りた覚えもない借りを作ってしまいました。「こんにちは」は挨拶−お返しという隣接ペアの第一ペア部分にあたる発話。それに対して「ごめんごめん」は謝罪原因−謝罪という隣接ペアの第二ペア部分にあたる発話ね。で、謝罪の発話があったってことは、必ずその前に、謝罪の原因となるできごとや発話があるはずだって聞き手は思う。つまり、第二ペア部分の発話は、会話を前に遡らせる力を持ってるんだ。
 理由もないのにいきなり「ごめんごめん」なんて普通は言わないんじゃないか。もし言うとしたら、それは約束の時間に遅れたとか、雨の中相手を待たせたとか、「もう、何やってたのよ!」とか、何にせよ謝るべき原因なり相手の苦情なりがあるはずじゃないか。てな具合に「ごめんごめん」は会話を遡らせちゃう。

 さて、まず直前に遡ってみよう。A3の「こんにちは」という発話はどうか。別に謝る原因には見えない。ただの挨拶だ。だからAは、A3の「こんにちは」以外のできごとに、謝られる理由があるんじゃないかと、さらに遡って詮索しちゃうわけ。
 普通、人は相手のしたことに対して謝るっていうよりは、自分のしたことに対して謝るよね。たとえばBはBのしたことに対して謝る。Bのしたことはどこにある? B2の「・・・」、この沈黙がアヤシイ。つまり、Bは自分がA1に対して沈黙したことに気づいていて、それで謝ったのではないか。ってなわけで、「ははん、こいつ聞こえてたんだな」と憶測が成り立つわけです。

 ただし、「ごめんごめん」って言っちゃいたくなるような「こんにちは」があることも事実だよね。口調がちょっと誇張されてるときなんかがそうだ。たとえば、相手がすぐそばであからさまに大声で聞こえがよしに「こーんーにーちーわ!」って言ったらどうか。

A:こーんーにーちーわ!
B:あ、ごめんごめん

 あ、もしかして、こんな大声を出させるくらい相手のことを気づいてなかったのかな、もしかしたら、相手はすでに何度か自分に合図を送っていたのかもな、なんて、言われたこちらは思っちゃう。「こんにちは」の内容に対してというより、その声の大きさに対して「ごめんごめん」と言ってしまいそうになる。

 ・・・というわけで、これなら「あ、ごめんごめん」も無理ありません。そしてハットリ君が「ごめんごめん」ということによって、「こーんーにーちーわ!」の声の大きさには理由が与えられるでしょう。ハットリ君が謝るようなことをした。だから、相手は大声を出した。え、やっぱり謝っとくか、ハットリ君? でもな、謝らんでもええねんで。なんでかて、キミ、相手がなんで大声を出したかほんまに分かってる? ほんまにキミが相手に失礼なことしたていう保証ある? もしかしたら、君に全然関係ないことで八つ当たりして大声出してるのかもしれへんで。
 もちろん、謝ったら謝ったで、相手はこれ幸いと八つ当たりの的をキミに絞ってくるやろね。「わたし八つ当たりしてんのに、こいつ適当に謝ってイナしてるつもりなんかな、ムカツク」とか「わかった、昨日フラれたんも、キーボードにコーヒーこぼしてイライラしてんのも、つまりいま「ごめんごめん」て謝ってるコイツのせいや」とかね。
 ・・・どうよ。ハットリ君、大迷惑です。だからな、ハットリ君、

「なに大声出してんねん?」

 って答えてもええねんで。もしハットリ君がもっとイジワルな奴やったらね、たとえ「こんにちは」が聞こえてても無視したりします。で、相手が「こーんーにーちーわ!」て言うても「ん?どしたん?大声で」とかすっとぼけます。相手の大声にこちらから理由を与えてあげない。むしろ相手に理由を言わす。

 極端な可能性ばかり挙げたけど、もうわかってきたでしょ。「こんにちわ」「こんにちわ」っていう当たり前のやりとりのウラには、ここまで挙げたような可能性がいくらでも考えられる。キミの答え方しだいで、「こんにちは」あるいは「こーんーにーちーわ!」にどんな意味があるかは変わってくる。「当事者は秩序の創出に自由にかかわっているのであり、当事者自身が秩序の創出を志向しているのである」っていうのは、たとえば、こういうことです。

 発話することで、相手に力をかける。次の発話を拘束する。これが第一ペア部分の力。でも、第一ペア部分が何もかも決めてしまうわけじゃない。第一ペア部分の力がどういう運命をたどるかは、続く第二ペア部分によって決まってくる。そして、第二ペア部分は、事後的に、会話を遡って解釈させる力を持つ。未来に対して力を行使する第一ペア、過去に遡って力を行使する第二ペア。こういう第一ペア部分と第二ペア部分の関係を「条件関連性」っていいます。じゃ、続きはまた。

20000517
 最終更新から10ヶ月、帰ってきたかえるさんレイクサイド第四十一話「さや祭り(1)」。

 近くの花を摘んできて花の名前を図鑑で調べているの。るるるー。すっかり忘れてたキウリグサ、コメツブツメクサ、ハハコグサ。キウリグサの花ってラクガンみたい。
検索してみると、野草を扱った写真入りページは意外にたくさんあることに気づいた。たとえば
Hiroshima geo graphic
野草図鑑
前者は豊富な写真資料に、後者は記述に魅力。

20000516
 夜、ACT緊急会議。40人くらい集まってた。

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