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2001年2月b

20010228
同じく。

20010227
会議、校正、原稿。

20010226
なんで肝心の原稿に手をつけられないのか、なんで時間があっという間に過ぎるのか、たまには一日をできるだけ忠実に振り返ってみる。

●8:20 寝床でオードリーを見る。始め五分見逃した。世界を呪う文句を唱えながら起床。
●9:00 小川珈琲へ。モーニング食いながら報知新聞。
●9:40 昨日、自転車を大学に置いてきたのでバスで大学へ。
●10:00 徹夜明けとおぼしき成田君がいる。週末の採点の後で半年分のレポートがあちこちに散乱しているので机の周りを整理。メールチェック。査読の催促と校正の催促。
●10:20 翻訳校正。
●11:40 浅井さんとしばし雑談。
●12:00 生協へ昼食(どん兵衛天ぷらうどん)を買いに行く。ちょうど居合わせた近さんと統計ソフトの件を二三。ついでに注文品を受け取る。浅草の本とノートン・アンチ・ウィルス。ちょうどレジで居合わせた柴田さんとACTの件を二三。
●12:20 どん兵衛食いながら成田君のプレゼン用のビデオアウトを調整。
●13:00 修論発表会。
●14:50 深尾さんが来る。キャンパスガイドキャプションと校正の催促。
●15:00 キャンパスガイド英語版の写真キャプションを何点か。「僧侶の説法を聞く」という場合、preacherとかsurmonよりlectureがいいだろうか、などと悩み、ネット検索で用例を調べる。メールでキャプション案を送付。
●15:20 それにしても翻訳あとがきに盛り込む日本語文献をどうしようか、と対人社会心理学の本をあれこれ読みかける。
●15:40 それにしてもあちこちに本が散乱し過ぎているので本棚をカタログで選び注文。
●15:50 環境の学生がグラフの件で質問。エクセルで遺跡調査のグラフを書きたいとのこと。途中までエクセルで描いてそれをグラフィックソフトに持っていって切り貼りしては?とアドバイス。
●16:10 セブンイレブンに翻訳校正の宅配便を出しに行くが本日分は間に合わず。事務控室の郵送物に回す。
●16:30 キャンパスガイド英語版の校正。
●17:10 青土社の宮田さんから電話。平謝り。今週中には何としてもあと3章と約束。
●17:20 中尾君のレポートを見ながら身体論の話。皮膚感覚とか「まみれる」ことに関心があるというのでルドルフスキーの「みっともない身体」を勧める。
●17:40 キャンパスガイド英語版の校正。
●18:20 校正を交流センターに持っていく。
●18:30 学会誌の論文査読。赤線を引きまくる。
●19:50 自転車で帰宅。
●20:10 「生きもの地球紀行」のチャイロスズメバチを見ながらトマト鍋。肝心の乗っ取り場面を見逃しがっかり。白綿をまとって飛ぶハチ。再放送は要チェックだな。いつもながらエンディングテーマに辟易。
●20:45 たとえば君が−、というエンディングテーマの声が頭の中を支配して世界を呪いたくなる。相方から猫がコタツの中に糞を転がしていた話を聞く。
●20:50 便意。トイレで「稲川潤二の超こわい話」のエレベーターの話(amazon.co.jpの検索「エレベーター」でひっかけて注文した本)。
●21:10 論文査読続き。
●23:00 論文査読終わり。ICレコーダーが見当たらずそこらじゅうを探す。
●23:10 いったん諦めて査読結果をポストに出しに行く。コンビニでニッポンハムのとり皮おつまみ買う。
●23:30 スポーツバッグからICレコーダー発見。
●23:40 ネットにつなぐ。メール、eBayをざっとチェック。日記の逆リンクチェック。「マチズモ マッチョ」で日記にたどりついた人がいるらしい。
●24:10 トマト鍋にスパゲティとチーズ入れてまた食う。
●24:30 風呂。
●01:00 ビール飲み、とり皮食いつつドラクエVII。相方は観戦。新しい島。カラーストーン採掘場。城の中のいかだ。赤の石版の一台め。さらに新しい島にたどりついたところまででセーブ。
●02:40 就寝。

・・・報知新聞とドラクエはゆずれないしなあ。

20010225
 掌を返したような寒さ。原稿。
 そして。あー、ドラクエ7買っちゃいました。みんなこの寒さが悪いねん。
 なんか音源が増えた分音楽が安くなって気持ち悪い。そのうち無視するようになると思うが。あと、64の3D空間に慣れてるせいか、キャラが遠く箱庭感が強くて、そこもちょっと抵抗感あり。いっそ、二次元でビープ音でいいんだけどなー。
 なんてゲームの始まりはいつも不満だらけ。で、気がつくと二時間やってた。インターフェースが透明性を獲得する直前くらいがいちばん楽しい感じ。

 小田くんに教えてもらったアーウィン・チューシッドのラジオを聞きながらまた原稿。「ますたーべーしょーん!そんなセックスは人工的だ!」と叫ぶクリスチャン・パンクを聞きながらさくさく打ち込む。このISDNがキャッチしたナンバー。屋上じゃなくて屋内なところがトランジスタ・ラジオより閉鎖的。

 NHKアーカイブ「育て五つ子」。誕生の瞬間は桜島の噴火の映像とハープシコードの一撃でバッハ。

20010224
原稿と校正とドラクエのちいさなメダル集め。

20010223
 期末の採点。読むのは楽しいが集計は地獄。百数十人の講義ですでにへこたれてるのだが、来年度は数百人の講義を持たなくてはならない。どないしょう。しかし、小中高の先生は年に何度となくこういう採点をやってるわけで、ほんと考えると頭が下がる。

 人間行動論の最後のおまけレポート(欠席分を取り返すための敗者復活レポート)は、講義内容に関連する自分の体験を書くというもの。敗者復活を認めるのは情けからではなく、自由回答するときの学生の文章が読みたいから。なんちて、毎年やった後に後悔するんだよなあ。テーマは「日記」「双六」「絵葉書」など。気になるものをいくつかメモ(少し元の表現を圧縮したり書き換えてある)。

■日記はシャーペンでなくてペンで書く。書き直しがきかないところがいいと思ってるから。
■手帳をいつも持ち歩いて使うようになってからそこに日記をマメにつけたり読み返すようになった。中学のときは手帳をよく使うという習慣がなかったから日記をつけなかった?
■白紙が数枚続くと「無言でなにかを語る」というかそれなりに存在感があったり、ただのずぼらである!というのがひとめで分かるので、マイブックはなかなかいいと思いました。
■中3の終わり頃からプリクラブームに乗って手帳を持ち始めた。これがきっかけで三行くらいの日記を書きはじめた。
■一番古い日記は幼稚園期で兄にいじめられたことを書いた。正確には文字が掛けなかったので、いじめられたその回数をメモしていた。
■交換日記から手紙へ。携帯を持つようになって手紙も書かなくなったなあ。
■サンリオのキャラクターものの日記で、交換日記専用のものがある。「明日は○○ちゃんへ」とかいうことばがふきだしでついてあったり、日記を書きやすくするために、「今日食べたもの」とか「楽しかったこと」とかの見出しがイラストつきで書いてあって、それに従って書いてたような気がする。
★交換日記の人数は2人は限らず、3〜4人という人がけっこういる。また、一人の書き方のフォーマット(ページ数、シール貼り等)が伝染するという報告も散見。

■絵葉書を封書に入れて送ったことはあるけど絵葉書だけを送るということをしたことがない。
■無印良品のポストカードホルダーを使ってる。
■コルクボードに貼っている。

■兄の作った双六は一つもどるとか2つもどるとかスタートにもどるがすべてリンクしてるようなやつで・・・
■自分のコマは車なのに「電車に乗り遅れて一回休み」というマスがあった。今考えるとおかしい。
■友達が年賀状に双六を作って送ってきた。ゴール前には「100もどる」というマスがあり、マス不足のため、100ももどれなかった。

20010222
 さまざまな〆切が重なり参っている。自業自得だが。書いても読んでも聞いても砂を噛むような手応え。気晴らしにBMGから出たミヨーの室内楽とトリオのCDを買ってくるが、セロトニンが切れているのかフラットな響き。吾妻ひでおが昔描いていた、屋根を転がる頭たちのようなグールドのバッハ。

20010221
 ちょうどチョコエッグのフィギュアの話が日経流通新聞に載っていた。作者は海洋堂の松村しのぶ氏、とのこと。

 先日直したジャンパーのファスナーがまた噛み合わなくなった。仕立て屋で教わった通り、引き金具の隙間をペンチで狭めると直った。
 子供の頃、ファスナーがどうやってうまく噛み合うのか不思議で、引き金具の中に何か特別なトリックがあるんじゃないかと思っていた。今でも、不思議なことに変わりはない。ファスナーを最もスムーズに閉じることのできる最適スキマのようなものが引き金具にはあるんだろうか。

 相方が「ねえ、新幹線の中って場所いいんじゃない?」と言うので何のことかと思ったら、「だってしんりゅう13ターンで倒せたよ?」と言う。それだけのことばで、新幹線の中でゲームボーイ版のドラクエ3の最終場面をやってたってことが共有される会話の不思議。久しぶりにメダルを交換する。現在143個。

20010220
 研究室の机に置いてあった煎餅のプラケース穴が一つ空いていて、そこに小さな魚のフィギュアが乗っていて驚く。渋い色合いで感心した。チョコエッグのおまけを学生が置いておいたらしい。キンダーサプライズの二番煎じだと思ってたけど、このフィギュアの質感はすごいな。

 卒論発表会。毎年、ゼミ生がラスト何日かで発揮する力には驚かされる。
 発表会では一日に十数件の発表を聞く。毎年、資料にもデータにもろくに当たらずに安い持論を振り回す発表がいくつかある。手抜きをした自分に対する悔しさから逆ギレしてるのか。
 予想通りのことをデータや文献からピックアップするのは難しいことではない。安い考えほど同志がいたるところで見つかる。予想を裏切る契機を逃さないことの方がずっと難しい。
 謝恩会。久しぶりに山本くんに会う。うまい食事だった。最後のカラスミスパゲティがもったいなかったな。腹が空いてればもっと食べたのに。

20010219
 南彦根>京都でDifferent Train
 コミュニケーションの自然誌研究会。
 京都や大阪で飲んで、JRの最終で南彦根駅までたどりつき、そこからの自転車10分、というのが一気に酔いを醒ます。特に冬。

 都留氏のバカ・ピグミーの精霊パフォーマンスをめぐる発表。以下メモから。

■音楽にまず同調するのだが、同調したおたがいのタイミングの同調を見ることで、「あ、おれたち同調したじゃん」と思う。(社会的促進?)
■音楽に対する同調を、対人関係の同調と錯覚させる、音楽の「いやらしさ」
■ンガンガ(邪術ダンス)のひんまがり方。さあ歌えとアジる踊り手
■円舞パフォーマンス:儀礼的な側面が薄い(もろい、いつ終えるともわからない)→逆に言えば、集中力をその都度促さないと持続しない
■遊戯という混沌の中から儀式が発生する、という従来の考え方ではなく、遊戯(身体的)と儀式(構造的)の間を振り子のように往復するものとして、踊りを考える。
■儀式と遊戯の間にトレードオフはあるか?
■男性による女性のコントロール、そしてそれを物語る女性の夢(精霊エンボアンボアの夢):村の男たちが全員エンボアンボアになってしまう。彼らは、家の横のごみすてばにあつまって彼女にむかって手をふり、「どうして拒むのだ。我々はこれからいいところにいこうというのに」という。
■円舞パフォーマンス:女性による男性支配欲の排除?男性という儀式化、女性という遊戯?踊りは男性、合唱は女性(バカの場合)
■衣装の下に精霊の姿を見る:秘密を共有する;農耕民の仮面パフォーマンスに似ている。
★狩猟採集民的な(離散集合のゆるやかな集団の)「センス」とチャットの「センス」を比較すること。
●集団サイズの問題:
■言語の効率性と身体コミュニケーションの非効率性
→音声の流通性と視覚の非流通性
→★視覚メディアによって、音声と視覚の流通性の関係は激変した?
■新皮質集団(150人)と共鳴集団(10人ていど)(ダンバー)

★我々が「社会」などということばでイメージする大集団は、視覚メディアの産物ではないか? つまり、国家や地方共同体という考え方は、実は新しいメディアによって初めて成り立ったのではないか?

身体<>儀礼
身をよじらせるもの<>物語
声(のアクセント)<>文法
声の時間<>書き言葉の時間(もしくは時間のなさ)

20010218
 研究室に行くと、松田さんが、「昨日、自動車事故を起こしちゃいまして」。怪我はなかった、というのでひとまず安心したが、車は大破、という。「それが居眠りしてたらしいんですよ、で、対向車線を越えて、縁石にぶつかって、道路標識を倒して」・・・それで君にも誰にも怪我がなかったことを、ブラインド・ウォッチメーカーに感謝すべきなんだろうなあ。

 相方が買ってきた坂田靖子「マーガレットとご主人の底抜け珍道中」旅情篇・望郷篇(ハヤカワ文庫)。坂田靖子の別天地は、ただの白、ただのベタ、ただのスクリーントーンによってこの世と続いている。
 優雅な線が数本引かれ、それだけで、「ぬけるような青空」は「ガラス」に変化する。線が見つかり、線によって傷つけられる面が見つかり、面に被われているこの世が見つかる。この世と違う空、この世と違う最遠平面で被われている、もうひとつのこの世。

 夜中、久しぶりに倉谷さんと長電話。生物どうしをDNAの塩基配列の相同性で比較するのは、いわば、ジグソーパズルを考えるやり方でルービック・キューブの手順を考えるようなものである。ジグソーパズルでは現在の状態と1ステップ前の状態の方が、現在の状態と2ステップ前の状態より近い。だから、類似度の高さはステップの近さと対応する。でも、ルービック・キューブでは、面の色パターンが似ているからといってステップが近いとは限らない(そしてここが、ルービック・キューブを初めて触ったときにしばしば間違うことだ)。
 たとえば、DNAの類似度とクロモゾームの類似度はぴったり対応するか。
 ある塩基配列が突然実現されるためのダイナミックな突然変異(DNAの構造変異)を考えること。
 進化は偶然だから、そこに意味などない、はずだが、人間は進化の産物をリバースエンジニアリングする。目的論的に考えるからこそ、あるステップが「絶妙な一手」として見えるのであって、進化の流れに沿うなら、そのステップもまた単なる偶然に過ぎない。なぜ人間は目的論的にものごとを考えてしまうか。それは進化の産物である人間が目的論的認知を持つからだ。などなど。

20010217
 昨日も書いたが、この日記にたどりつくために人の打ち込んだ検索語を見ていると、「CDラック つっぱり」から「スチール 本棚」まで、「新八犬伝 本」から「九重裕実子」まで、「RADIO HEAVEN」から「おもらし 音」までと、あまりのバラバラさに、自分の日記はなんと広大なデータベースなのだろうと錯覚してしまう(ちなみに「おもらし」はともかく、そこに「音」を加える感性に感心しちゃう)。
 もちろん、世の中すべての検索語に自分のページがひっかかっているわけではない。にも関わらず、まるで自分のページがあらゆる人のニーズにビシバシ答えているような妙な気分になってくる。

 自分のページにたどりついたユーザーの打ち込んだ検索語を見ること。それは、現在の生物から進化を逆に見ること、つまり淘汰の結果から淘汰前のバラエティを推測することに似ている。
 検索語という母集団は見えない。自分のページにたどりつくための検索語、という非常に偏ったサンプルだけが目の前にある。その偏ったサンプルから母集団をイメージするから、なんだか世の中が狂って見えるのだ。
 そして、この狂った見方をもたらしてくれる、というところが、逆リンクの醍醐味なんだろうな。
 自分用の神様としての、ブラインド・ウォッチメーカー。

20010216
 ぼくの日記は逆リンクを記録するCGIが組んであって、日記を読みに来た人がどんな検索エンジンでどんな検索語を使ってたどりついたのかを知ることができる。で、その検索語を見ていると自分でも忘れてたことを思い出したり、こちらの意図とは全く違う読まれ方をしていることを知って妙な気分になる。もちろんこれはお互い様で、検索をかけた人の方だって、目指していたのと違う日記を読まされてがっかりしてるかもしれない。
 そんなすれちがいを感じさせる検索語の数々を、ちょっとだけ挙げておく。


旧かなづかい 変換
スチール本棚
表面色 補色
萩原朔太郎
フリークス
秋野大作
ジョビン バカラック ワイアット
明日カップイン
加護亜衣 電話番号
サンドイッチ効果 法
新八犬伝


 自宅にフレッツISDNを導入。TA買ったりで結構散財した。いまのところ総アクセス時間にさしたる変化はないのだが、気分的に電話代が頭をかすめない分ストレスが減ったとは言える。

 実はまともに見たことがなかった「アリー My Love」が流れているのを見てたら結局最後まで見てしまった。番組のBGMかと思わせて妄想音楽、妄想なんだがミュージカル、といった、妄想の出し入れ加減の妙。結局お涙頂戴に落ち着くあたり、かえって現世への妄執が深い感じ。

 そもそもカット割りから物語を読み取るなんてのは人間の行為の中でもひときわ妄想度の高いものであって、映画やTVというのは妄想マシンなのだ。20世紀が映像の世紀だということは、とりもなおさず、20世紀は妄想の世紀だったということを意味する(身も蓋もない感想)。

 それにしても、エレベーターにはさまった人ってどうなったんだろ。

Beach diary