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2001年3月b

20010331
 校正という名の・・・。
 あちこち宇宙大戦争状態(赤いスピーチバルーンで校正原稿が埋めつくされた状態をこう呼ぶ)。考えをあさってに飛ばすためのさまざまな工夫。
 ・・・で、ドラクエかい。一人と別れ、一人加わる。現在、谷沿いの村。

20010330
 今日、検索語「人工 鰹 システム 会話」でこのページにたどりついた人っていったい何を調べようとしてたのか、すごい気になる。シーマンとか人工無能カツオというのはあったような気がするが、「鰹」だもんなあ。鰹に何をしゃべらせるのか。「おれたちはタタキじゃない!」「誰が削り節やねん?」とか?
 宮田さんは中央図書館に行って啄木とか藤村の全集で原稿チェックしてきたらしい。そこまでやる編集の仕事。こちらもスキャンスキャン。

 ・・・で徹夜といいたいところだが、ドラクエをはじめてしまう。始めると行くところまで行く。世界一の塔がどこかわからずWWW検索に頼る。現在英雄を復活させたところ。

20010329
 校正という名の・・・。
 キキさんから電話。この前欠席してしまった日高さんの祝賀会のフォロー。本当はぼくの方からフォローしなくちゃいけないのに、あちらから気を回していただいた。というわけで、夕方、学長室へ行き、引っ越し整理の手伝い。小泉君も来てたのでいっしょに書類を詰める作業。
 しかし、学長ってものすげえ数の委員会と書類をこなさないといけないんだな。引っ越しの最中にも懸案を相談に来る人、人事交代のあいさつなど、学長の仕事は続いている。
 書類の山の中から日高さんの学位論文の別刷が出てきたのでいただく。

 夜、つけたTVでやってた「黄金伝説」。ココリコ田中に坂下千里子が5か月に渡ってウソの色仕掛けをするというすごいむごい企画。「色仕掛け」というのが、いわゆるお色気責めじゃなくて、映画の話とか結婚観とか相談とかで意気投合させていくという、いわば「ときメモ」的恋愛シミュレーション仕掛けで、ついつい見入ってしまう。その分むごさもひとしお。

 自分の引っ越しではなかったんだけど、大量の物を選別する作業に寄ったのか、めずらしく夜中前に眠くなって寝てしまう。

20010328
 孫という名の宝物、じゃない、校正という名の書き直し。例によって手を入れ始めるといくらでも手が入ってしまう。パソコン執筆の悪癖とも言えるな。図作成が意外に時間がかかる。
 夜、うさばらしにドラクエVII。リートルードで世界中チェック模様のバロック建築。絵に入るのがしばらくわからず難儀する。

20010327
HDから、昔書いたステレオグラムと視野闘争について書いた「複数の図像が織りなす夢」が出てきたので古文書に追加。1994年の文章。

 明治の調書作成における声と文書の使い分け。


第二は、調書訂正の困難です。できた調書を書記が読み聞かせますけれども、長い調べで少しでも頭脳が疲労していれば、早口に読み行く言葉を聞き損じないだけがヤットのことで、少し違ったようだと思っても、咄嗟の間に判断がつきません。それを考えるうちに読声はドンドン進んで行く。何を読まれたか分らずにしまう。そんな次第で数か所十数か所の誤りがあっても、指摘して訂正し得るのは一か所くらいに過ぎないのです。それも文字のない者などは適当な文字が見つからぬ。「こう書いても同じではないか」と言われれば、争うことのできぬのが多かろうと思います。私なども一々添削するわけにもゆかず、大概ならと思ってそのままにした場合が多かったのです。
(明治四十三年十二月十八日の幸徳秋水陳弁書)


 いつも使っている日記スタックが今日はHDをかりかり読み出して止まらない。変だなと思って他のスタックを試しても同じ。どうもハイパーカードがおかしいらしい。つい昨日、OS9.1だのなんだのとインストールしなおしたところなので思い当たる原因はいくらでもある。ソフトから何から片っ端からチェックした結果、問題はNortonのAntiVirusだった。こいつを保護設定にしておくと、ハイパーカードが起動している間じゅうずっとVirusチェックをするのでHDが回転しっぱなしになってたんだ。というわけで、 保護なしモードに直す。
 このスタックは日記からスケジュール管理からどうでもいいメモまですべて入ってるので、半日ほどそれが失われたらどうしようかとほとんど思考マヒ状態だった。

 卒論生の佐々木くんがあれこれ部屋を片づけて行ってくれた。立つ鳥後を濁さないヤツだ。

 日高さんの祝賀会をうっかり忘れていて恐縮する。

20010326
 卒業式。振袖で着飾った学生が証書を受けとりに行くときに小走りになる。そのときに、少し体が必要以上に跳ねて、そのことで、いま走らなければならない不自然さが表現される。そういう体の跳ね方で個々人のこういう儀式への気持ちの現れが見えるようでおもしろい。
 夜、ゼミ生と謝恩会その2。空気清浄機をもらった。確かにうちの研究室には必要かも。

20010325
 起きるといきなり、「冷凍庫にカニがあったから」とカニ鍋。チョコだのクッキーだの実家に帰るととにかくやたら食い物が出る。
 彦根へ。春の人出に辟易とする。



20010324
 土曜午前6時の吉野屋。朝から漬け物をあてにビールを一本空け、それから納豆定食というじいさん。あるいは日本酒二本に特朝定食のおやじ。今日の勝負はこの時点でついてるという感じ。
 外はあちこちに早くも競馬新聞を手にした人々。散歩の後、スターバックスで原稿。天気がいいので自転車をレンタルして古本屋へ。「江戸凧三代」「よみがえる明治の東京」など、例によって抜けるほど買う。昼はより道で飯。
 春休みのせいか新幹線は昼から混みあっている。校正など。

 近鉄京都駅で普通に乗ると、隣に顔の大きさほどある鏡を見ながら、グッチの丸いバッグから次々と化粧道具を出して大胆にメークする女性がいる。上鳥羽に着く前にそのメリハリの効いた大胆メークは終わり、携帯を開いて「あ、いま上鳥羽の前、×両め、あああああ、居た」と視線が流れるのでその先を追うと今しも列車はホームに滑り込んだところ、携帯を持った彼氏を1両分ほど追い抜いたところで止まる。「乗ってきて」と彼女が携帯を閉じたときにはもう彼氏は「おう」と横に座っていて、それからイヤというほどいちゃつきながら人目をはばからずキスキスキス。そのメーク→携帯→キスのあまりのシームレスさと、その一部始終を公開するあけっぴろげさぶりに、すっかり見入ってしまった。

 夕方、妹宅で母の歌集祝い。呉で地震、実家は無事とのこと。

20010323
 国会図書館。小川一眞の写真集と文章世界を中心に。「文章世界」を通し読みすると、硯友会VS自然主義、ホトトギス派VS自然主義などの論議にクサクサしてきて、二葉亭四迷の「余は懐疑派である」(三巻三号)の右も左もくだらないとクダまく気持ちがわかった気に。

 花袋は漱石について「俳人の文たることは争はれぬ。けれど其趣味はまだ決してすぐれたものではない。雑駁でそして幼稚だ。興味中心であることは一頁読んで見ても解る。」と、さんざんな評価を下している(第三巻第三号)。もっとも、単に党派を作って漱石を排していたわけではないことは、その次々号に漱石の「『坑夫』の作意と自然派伝奇派の交渉」という文章を巻頭に取り上げているところからわかる。花袋には文学青年特有の嫉妬や非論理的な激昂があったが、それが結果的には彼の編集する雑誌や彼自身の著した小説のブレとなり、一貫性を揺らせることになる。ぼくにはそういう一貫性の破綻がおもしろい。
 後に花袋は新小説の漱石特集に「歩いた道が異つて居た」という文章を載せて、「一口に云へば私は夏目さんのものに対しては理解の頭がないと云つた方が当つてゐるのかもしれない。」(1917)と書いている。正直なところだろう。

 その花袋に文章世界で取り上げられ、後に漱石門下に入った内田百間(流石)の文章世界への投稿作は少なくとも、「乞食」を含めて3本ある。第二巻三号の「初雷」は、後の百間の気配ものに通じる無気味さがあり、四号の「西大寺駅」には、阿房列車を始めとする鉄道ものに通じる俳味があっておもしろい。「初雷」の評で花袋は「此作者はかういふ写生から段々観察力を鋭くして、普通の眼、普通の耳では見えぬ処まで書くやうにするが好いと思ふ。」と書いている。後の百間小説を予見するような評だ。

 三号五巻に、岡田美知代(「蒲団」のモデル)の投稿作「老嬢」がある。近所の知人に手招きされ、とうとう結婚するという話を聞いた主人公は、老境の(といっても二十代後半から三十代)心細さに負けて結婚してなんだか嬉々としている知人にすっかり失望し、内心「ペツペツと唾を吐き掛け度つた」。しかしそういう自分だってやがて老嬢だ。「「死ね、死ね!」と口に出して自らを罵つた。」花袋にはない妄執度。
 花袋はもて余し気味に、主観が勝ちすぎている、文章は巧みである、と評をつけている。

 マイクロフィッシュばかりで疲れた。浅草へ。金寿司で軽く握り。助六で母親に貝合わせの細工を買う。原稿。つくしでもんじゃ、ひさご湯でひとっ風呂。花袋の「生」を読み直しながら寝る。

20010322
 東京へ。国会図書館。
 内田百間の「花袋忌」に、百間の投稿作が文章世界で優等をとり、花袋に誉められた思い出が書いてある。となれば、原文を読みたくなるのが人情、というわけで、文章世界を1号からざっと読んでいく(他にも目的はあったんだが)。で、ありましたね。「文章世界」第一巻八号(明治39.10.15)。内田流石「乞食」。書き出しはこうだ。


「右や左の御旦那様や奥様」
女乞食が好い声で歌つて来る。秋の夕日を背に受けて爪を切つて居た僕は、何故か其声が非常に趣致のある様に思はれて、早く次ぎを歌へば好いと待つて居る。


 すでにして百間のスタイルが出来上がっている。特に「待つて居る」と現在形で終わっているところに、語り手に夢の現在形がふいに訪れる百間節。
 ここから乞食は「僕」の家の前にやってきて、「僕」は飯をやる。椀から椀に移した飯がボールのようになる。その乞食が帰った後。


 後で、蓆を取り込まうと出て見たら、その上に五分程の白い虫がウネクネして居る。汚い。尻からでも出たのか知らと思つて居る内に、隣の鶏が来て嚥んで仕舞つた。


これに対して、花袋が評を加えている。的確な評だ。


 おもしろい写生文である。普通の観察ならば、乞食は可哀想だとか、又は其歌が形式的でいやだとかいふのだけにて、これが却つて興味あるやうに見たところが既に他に異つて居る。従つて観察が純客観で、見るべき処を細かによく見て居る。飯を器に宣(あ)けてやる処も面白いし、其前の岸の上に嘔を下しうして飯やら饂飩やらを食ふ処も妙だ。ことに最後の「隣の鶏が来て嚥くて了つた」が実に面白い。かふいふ写生文はどしどし投稿して貰ひ度い。


 花袋はこの「乞食」がよほど気に入ったらしく、後の「写生といふこと」(文章世界第二巻一〇号)で、乞食の写生を例に挙げて、「人間には平面と立体の二面がある。自然は横にも広がつて居るが、縦にも広がつて居る。自然にしろ、人間にしろ、平面の観察は余り難かしいものではない、少し眼が明いたものは誰でも出来る、けれど立体の観察はいろいろ豊富な複雑な材料からつかんで来なければならぬから非常にむづかしい。これが為めには作者(観察者)は眼ばかりでなく、心の修養をも積まなければならない、心が出来て居なければこの立体の正しい観察をすることが出来ない。」云々と論じている。

「文章世界」には、「新語集」という項があって、ここに当時の新語についての解説が載っている。文章作成のよすがに、ということだろう。軍事ものや科学ものが多いのだが、試みに抜いてみると


自然界 天然に出来たる世界の意味。即ち人間の力にて造出し能はざるもの、普通動物植物好物の世界を云ふ。
自然淘汰 自然の作用に俟(よ)りて動植物の形態の変化すること。
人為淘汰 人類の手段に俟(よ)りて、動植物体に変化を及ぼすこと、即ち一重の花を八重に咲かせ、鮒を金魚に変化せしめるが如きこと。
遺伝 とは子が其親に肖(に)るの傾(かたむき)あるを云ふものにして、親子共に同一の境遇に至らしむれば、形状性質は、全く相違せざるべしと云ふにあり。


遺伝の説明には遺伝子は入っておらず、獲得形質のことなのか遺伝なのか判然としない。

 道端にあった「料亭の味」というのぼりを「科学の味」と間違える。最近、こういう誤読をしてしまうことが多い。どうも意識にスキマができているらしい。

 NHKでインパクのミーティング。プログラマの久松さんは若いのに話ができる。それにしても、7時から11時まで、毎度ながらミーティングがすごく長い。ぼくにとっていいアイディアが二、三個出るので結果オーライなんだけど、こういうもんなのかしらん。
 カプセルにでも泊まろうかと思っていたが、表参道に宿を取ってもらった。これなら国会図書館まで半蔵門線で一本だ。ありがたい。

20010321
 朝から寒気。単行本校正。
 京都へ。シスターマンスと会って来月のレクチャーの打ち合わせ。彼がケルンでやったシアトリカルなパフォーマンスの話。20人の歌い手が、街の家々の二階に座り、窓を開け放って歌うというもの。街路を行く人からは歌い手の姿は見えず、声だけが聞こえる。歌のスコアはあって、デジタル時計で同期は合わせたらしい。
 最近は膜状のスピーカーを植物の葉やテーブルなどあらゆるものにつけて鳴らすのに凝っているらしい。大学でもやってもらおう。

20010320
 「ひとはなぜコンピューターを人間扱いするか」の念校チェック。これでなんとか4月には間に合うか?最初の訳稿が粗すぎて校正作業がえらく手間取ったのが反省点。かといって最初からねちこくやってると途中で息切れしちゃうのだが。

20010319
 単行本「十二階」の校正がどーんと届く。これから図版選定とスキャン作業。

20010318
 校正直し。
 アヤハディオで塩ビ板とプラスチックカッターとヤスリを買ってきて、昨日のシネスピナーを作ろうとするが、塩ビ板を円形に切るのは意外に骨で難儀する。手作業で角をとるだけで1時間くらいかかった。ぶざまな丸が出来上がる。
 試しにスリットと絵をOHPに印刷してみるが、光がシート面にはねかえってはかばかしい効果が得られない。ちょっとがっかり。やはり手書きか?しかしスリットを正確に描き、短冊状の絵を均等な幅で描いていく根気が自分にあるとはとうてい思えない。

20010317
 倉谷さんと恒例のただ本屋を回るだけの休日。今回は淡白だったがそれでも両手にごっそり買う。
 昭和五年に出た「建築に関する音響の科学と芸術」には、鳴き龍(鳴龍)に関する記事が充実。INAXギャラリーの「鳥瞰図絵師の目」、「明治小説」、小谷野敦「もてない男」などなどなど。

 アスタルテの入口で偶然キキさんとレミちゃんに会う。ちょこっと立ち話。

 フーコー以来、パノラマ論の常套句とされている「パノラマ=パノプティコン(一望監視システム)説」には反論を加えておく必要があると感じる。pan + horama (一覧して見る)という語源にこだわり過ぎると、実際のパノラマ館がもたらす感覚を見逃すことになる。パノラマが、監視どころかむしろ臨場感、被監視であることは、パノラマ館を経験すればわかることだ(そして現実のパノラマ館を論じた議論のなんと少ないことよ)。そもそも、パノラマ館も皇帝パノラマ館も、いつ誰が逃げるかに対して始終感覚をとがらせているような監視的緊張とは無縁の見世物であり、むしろ、ある種のリラックスによって訪れる臨場感がパノラマ館の要諦だ。

 河原町のスタディ・ルームで「Cinespiner」というのを買う。丸いアクリル盤を傾けると、サルが枝渡りをするアニメーションが見える。スリットを使った光学玩具なんだけど、ぱっと見にはどういう理屈かわからない。
 持って帰って電燈にかざしてみて、ようやく原理がわかる。透明なアクリル盤の片方にはスリットが、もう片方には6つの絵が一枚に描かれている。なぜ6つで一枚かというと、それぞれの絵がスリットの太さに短冊化されていて、6つ置きに描かれている。レンチキュラーと同じ理屈だ。
 円形で回転するところが愛らしい。風呂の天井からかざしてずっと眺める。

 見ていると自分でも作りたくなり、とりあえず複数の絵を短冊化するスタックを作る。これをOHPシートに印刷したらいけるんじゃないか、というもくろみ。




20010316
 Ego Exchange最近の投稿から。

森が降りてきた。
野中はTVを握りしめた。
霧の国会議事堂では
放った政治がどこに飛ぶかわからない。
目に頼るな、景気に聞け。
ここはもう国会議事堂であって国会議事堂ではない、
ゴルフ場だということを忘れるな。

というわけで、大学にいるとどうしてこうあっという間に時間が過ぎるのか。ネットワークのトラブル等にあれこれ対処してる間に夜。
 ドラクエVII。ゼボット、エリーとリンダ、ペペ話。恋の遺跡がテーマなのか?



Beach diary