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20010919


Edinburugh

 とにかく初めてで不案内なので、適当に「Day Ticket」と書いてあるバスに乗る。一日乗車券なら、妙な方向に行っても別のバスに乗りなおせばいい。
 昨日の駅のあたりで降りる。なるほど、駅は橋の下にあったわけだ。メイン・ストリートの一つ、Princes St.に出てあたりをざっと見る。ここから公園が谷底に向かうように降りていて、そのいちばん底に鉄道が走っている。谷の北側がPrinces St. で反対側にはロイヤル・マイルとエジンバラ城。公園の看板の説明を読むと、どうやら18世紀に湖の水を抜いてそこに鉄道を敷いたということらしい。

 そこから徒歩圏内のカメラ・オブスキュラへ。眼鏡商のMaria Theresa Shortが1853年に設置したもの。ジョン・H・ハモンド「カメラ・オブスクラ年代記」(朝日選書)によれば、最初はカールトン・ヒルの天文台とショートの私設天文台の二ヶ所にあったが、後にいずれかを現在の場所に移転した、ということらしい。

 カメラ・オブスキュラはカリフォルニアのシールズ・ロックでも見たが、あそこのは自動回転だった。それに対してエジンバラのは、天井からハンドルが下がっていて、これでカメラの向きを操作することができる。このハンドルを握りながら、係員が20分ごとに説明をしてくれる。このショウはなかなか楽しい。ちょっとしたエジンバラガイドになっているだけでなく、カメラオブスキュラの上にレシートの紙をかざして歩いている人を掬ったり、道路の上に屋根型に立てた紙を置いて自動車を走らせたり、と、子供でも分かるやり方で、投射の魅力を見せてくれる。

 ロイヤル・マイルに出る。ロイヤル・マイルは、道の北側も南側も谷下りになっていて、「close (wynd)」と呼ばれる小路がいくつも降りている。たいていは石や漆喰の門があり、これをくぐると、両側に高い建物の迫った青天井になる。この暗からほのかな明へのさながらエジンバラ版パサージュといったところ。
 closeには門が付いていることもあるが、開いていることが多い。端から順番に次々とくぐってみる。中庭にたどりつくcloseもあれば、ずっと谷底まで降りるものもある。建物が両側から迫った隙間から見るPrinces St.は美しい。ちょっとしたバーや隠れた店を見つけることができる。

 ここには屋根はなく、しかも19世紀ごろまでは、生活用水や汚水を上の階から通りに捨てていたため、地面はひどい匂いだったらしい。つまり、当時の上階にはしかるべき下水道設備がなかったということになる。(上下水道の設計者バルトンがこのような都市からでてきたというのは驚きだ)。
 下を通る人にかかってはいけないので、水を捨てる前には「ガーディ・ルー」と叫ぶ。これはフランス語の「gardes l'eau」から来ているらしい。なんでフランス語なんだろう。いっぽう、下にいる者は、かけられてはかなわないと「Haud yer haun」(hold your hand)と言ってすばやく逃げたとか。

 いくつめかのcloseを抜けると「ライターズ・ミュージアム」があったので、入ってみる。地下のスティーブンソンの遺品にブリュースターの万華鏡があった。そして年譜を見ると彼は灯台技師の息子であるだけでなく、灯台の論文も書いている(この研究がいやになって法律家から作家になったらしいが)。灯台、光学、19世紀。これは何かある。そういえばぼくは灯台建築についてきちんと知らない。あんな灯台のような高塔を岩場に建てるには、相当な試行錯誤があったに違いないじゃないか。
 館内の案内員にいろいろ話を聞いて、二年前に出たという「The Lighthouse Stevensons」(Bella Bathurst, www.fireandwater.comを買う。

 近くのバーに入って読み始めると、これは無類に楽しい本だとわかる。18世紀までのイングランド、スコットランドの海運状況から始まって、スティーブンソンの祖父ロバートがどのような経緯で灯台設計にかかわるようになり、スコットランド灯台を牛耳るようになったか、そしてロバートと息子たちの葛藤、二代目の苦心など、スティーブンソン一家というスコットマン気質の歴史としても非常におもしろい。
 しかも当時、荒々しい岩場や島に灯台を建てるために、資材をどう運ぶか、基礎工事はどうするか、レンズは?反射鏡は?そして苦心の末建てられた灯台の命運は?といったぐあいに、灯台という発明が、さまざまな建築技術、そして光学技術の複合体として成立していく様子が、はらはらするような興奮とともに書かれている。

 この本を読んでいて「レッカー wrecker」というのが、文字どおり「難破 wreckを起こさせる者」という意味であったことを初めて知った。スコットランド沿岸の入り組んだ地形はあちこちで難破をひき起こした。そればかりか、レッカーによって故意にひきおこされることもあった。とある島の近くのレッカーたちは、船に向かって偽の光信号を送り、船を座礁させ、積み荷を略奪したという。難破の名所のそばには「レッカー村」なるものまであって、村人は難破船からの盗品によって生活をしていた。灯台建設にあたっては、こうしたレッカーたちの反対も障壁のひとつだったという。

 そして、ステレオ写真に関心を寄せるものとしては、この本に出てくるブリュースターの役回りもおもしろかった。ホィートストンとうんざりするような論争をかわしたブリュースターは、このロバート・スティーブンソンともまた激論を戦わせているのだ。
 ことはこういうことらしい。ロバートは当時、ヨーロッパ各地の灯台を視察して効率のよいレンズシステムを探していた。彼はフランスのCorduanの灯台に使われていたFresnelのレンズシステムのアイディアを採用した。ところがこれにブリュースターは反発し、自分こそ灯台におけるレンズ使用の発明者であり、イギリスの灯台はすべてこれを採用すべし、と主張した。この争いはロバートの息子のアランの代にまで及んだ。
 つまり、ライターズ・ミュージアムのスティーブンソンの遺品にブリュースターの発明品である万華鏡が陳列されているというのは、皮肉な因縁と言える。


 ホテルからしばらく北に上がったあたりに中華やインド料理屋が何軒か並んでいる。それもいいのだが、もう少し表通りからはずれたところは、と思って物色するうちに、中華家庭料理の店を見つける。ここはアタリだった。
 ロースト・ダックのもやしあんかけを食べながら、昔、サンダカンの近くのセピロクの森で昆虫調査をしていたときに、みんなでときどき食いに行っていた安くてうまい中華料理屋を思い出した。その店の主の愛想に邪気がないので、みんなで「ニコニコおじさんの店」と呼んでいたのだが、このエジンバラの料理屋の女主も、やはり愛想に邪気がなくて落ち着く。

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Beach diary