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20020911







 朝、9:39ベルン発。Kreznerで乗り換えてムルテン(モラ)までは約40分。

 とりあえずブラインドクー(Blindkuh)の予約をしてからボートでメイン会場へ。ゆるゆると近づいていく。

 まずは丸太づくりの会場。ビル・ビオラ、草間弥生など。寄せ集めという感じ。

 Un ange passeシリーズ。赤錆建築を利用したインスタレーション。スイス教会がサポートしているだけあって、一作一作に教義付き。
 中で、凹面鏡に近づいていくインスタレーション楽し。自分の倒立像が正立像になるときに自分の顔がぶわっとひろがって暗転する。そして正立像になったとき、ちょうどバックが、うしろの開口部の青空になって、一面青の中に自分を発見する、という趣向。これは、さかしまの自分が暗闇に投げ込まれ、青空の中に再生するという(キリスト教的な?)物語を示しているという。物語は大きなお世話だが、視覚効果はシンプルで気に入った。

 
 さていよいよメインの巨大モノリスに船で乗りつけて「上陸」する。外からは分からなかったが、内部は三階建てになっていて、1Fは映像によるスイスパノラマ、2Fは見晴し台、そして3Fには19世紀に描かれたムルテンのパノラマが置かれている。そして、この1Fと3Fは、ある意味、パノラマがあいかわらず現代の問題であることを感じさせるものだった。

 1Fの映像は、CGを使った合成動画で、仕掛けじたいはいかにも豪華。が、残念ながらそれだけのことだった。要するに、この映像を作成した作家は、パノラマを360度切れ目のない巨大な映像であることは理解していたものの、それ以上のものとは考えていなかった。いかにも博覧会らしく、スイスの事物や風景風俗を360度つないで見せることで、「スイスはひとつ」「世界はひとつ」的なイメージを醸し出そうとしているらしいのだが、それは概念上の「統一」とか「調和」でしかなく、知覚のほうはちっとも調和されない。スクリーンが観客の目線より高くて、常に首が痛くなるほど見上げなければならないのも非パノラマ的だった。
 パノラマでもっとも重要なことは、その絵に描かれた風景を見ている視点と観客の視点を一致させること、つまり観客にとっての包囲光に絵を従わせることだ。これを達成したとき、初めて逃れがたい臨場感が生まれる。見る者の視点の概念を欠いたパノラマ映像は、よそよそしいものでしかない。
 19世紀に描かれたムルテンのパノラマは、画面の動きの要素こそないものの、そのことで、絵の世界を観客自身をとりまく包囲光の世界であると錯覚することができる。皮肉なことに、100年以上前の絵画の方が、最新CGよりも、より「ヴァーチャル・リアリティ」を実現していたというわけだ。

 パノラマを作るということは、観客をどのような視点におき、どのような時間の流れを体験させるかということだ、と痛感。





 船着き場にあったWeldという出し物は、巨大遮蔽変化装置。コの字型を入れ子にして伏せたような鉄のカタマリがレールの上にのっていて、入れ子のそれぞれが少しずつ独立に動いていく。ただそれだけなのだが、あまりに巨大なものが動くので、見ている自分の方が動いているような妙な気分になる。ちょうど川を見つめているときに似ている。
 それぞれのコの字には、ジェニー・ホルツァーの電光掲示板だの、軍人モノポリーだのスイス国旗だのがいろいろ仕掛けてある。




 「Bistro Militaire(ビストロ・軍隊)」で飯。「軍人将棋」に匹敵するネーミングだな。「Bistro Militaire」と書いた弾倉が積まれており、あちこちには迷彩がほどこしてある。迷彩ゆえに目立つ。
 そしてもちろん「シェフ」も軍人で、10CHFもするナシゴーレンを作ってくれる。スイスアーミーナイフの切れ味を疑いたくなる企画ではある。この会場はあちこちがスイスアーミーの宣伝場という感じで、この他にも、軍の船、軍の馬車など、軍によるサービスがあちこちにあった。自衛隊祭りに近いものがある。



 ちなみにスイスの健康な男性には15週間の兵役義務があり、さらに毎年リフレッシュメントとして3週間の研修がある。


 ブラインドクー。インストラクションによれば真っ暗闇の中を歩き、バーに行って飲み物を飲み、出てくるというコースらしい。時間は約40分。

 手すりを伝わらずに手応えのない広い空間に出ることは、世界を信じるかどうかの賭けに思える。水にはまる。水際を歩く。正確には、踏み出した足がぴちゃぴちゃ言うようなら違う方向に足を出す。手に何かが触る。暗闇で触ったものを、そのまま触り続けていいかどうかも、やはり賭けだと思う。触ったのは木だった。その木片の形を確かめる。触り続けた時間の形は、ベンチ? これはベンチだよ。きっと。座ってみる。それは座れるベンチだった。すごい。とつぜん回りの音が親密になる。誰かが身体に触り、隣に座りに来た。「らくちんだね」などといいあう。すぐそばにかすかに水の音がする。さっきはそれはとんでもないウォーター・ハザードだったけど、いまは手をふれてみたい水たまりになっている。

 うちの班では、一人、完全に暗闇で固まっている人がいたらしく、あちこちから声が出る。途中でナヴィゲーターが「君たち、叫びすぎ。もううるさくてどこに誰がいるのかさっぱりわからない」。ナヴィゲーターの彼は目が見えない。だからほんの小さな音からとてつもなくたくさんのことを知るのだろう。あちこちから声がするということは、絵の具をでたらめにぶちまけたみたいなものだろうか。色ではない色が思い浮かぶ。
 ベンチでなごみすぎて完全に他の人とはぐれてしまった。その彼が手を引いてバーのカウンタまで連れて行ってくれる。カウンタを触ると、端が切れていた。ぼくが最後だったらしい。怪我をしないようにという配慮からか、カウンタの角は丸く磨かれていた。

 奇妙な味のワインを飲んでから、さあ出ようとすると、じつは同じ班の人間が誰もいないことに気づく。またしてもなごみすぎたらしい。新しくカウンタについた次の班の人々の背中を触っていきながらカウンタの反対側に出ると誰もいない空間に出る。遠くからメロディがかすかに流れてきた。音楽はありがたい。ぼくは片耳が聞こえないので、呼び声の方向を瞬時につかむのは苦手だ。でも、ずっと鳴り続けている音楽ならば、自分の首を動かすことでその方向を定位することができる。だから暗闇で呼ばれるなら長いヨーデルか音楽がありがたい。この曲はなんだっけ。ええと、サイモン&ガーファンクルの「キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド」。長いトランペット。あ、終わってしまう。
 そのリヴァーブが天井の高さと、開口部の存在を伝える。出口が近づいている。

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