The Beach : June 2004


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20040630

 講義にゼミ。松村さんのデータは英語サークルでのディスカッションの場面。ディスカッション・マネージャーによって5人が特定のトピックについて話し合うという、あらかじめかなり制度化された内容なのだが、おもしろいのは紙とペンの使い方。紙を持ち上げ、ペンを握り直し、ペンを振る動作によって、発話の内容はドキュメントの存在と結びつく。何も書くことがないときでさえ、紙は見つめられ、ペンはあたかも字を書くようにくねくねと紙の上を走る。ドキュメントが会話の中の微細な権力装置として機能する。ゼミや研究会におけるレジュメの非言語的な使われ方も観察してみるとおもしろいかもしれない。


20040629

 ほんとうはそろそろ絵はがき連載の原稿を仕上げなければいけないのだが、どうにも体がついていかない。とりあえず目の前の実習とゼミをこなす。

 一回生に簡単にプレゼンをしてもらうと、本に書いてあったことを丸読みするので、長々とコメントする。君たちがいま読み上げた「昭和19年、食糧難を解消する目的で始まった干拓は労務者の不足不便を乗り越え、昭和22年には完了した。」という一文は何を表わしているのか。昭和19年から22年に起こったことと、平成13年から平成16年に起こったことは同じか。昭和19年、この彦根はどういう状況にあったのか。君たちと同い年の人は何をしていたのか。そのとき干拓をする働き手として誰がいたのか。君たちが大学に入った年を昭和19年だとしよう。君たちが卒業するのが昭和22年度だ。それだけの時間を一文で、何の理解もなく読み上げられて君たちは納得できるか。
 などなどと、終戦の年は?と聞かれて「千九百何年やったっけ?」という一回生に、とりあえずごくごく基本的な想像力をつけてもらう。
 本を読みあげながら、それが自分のことばの抑揚に乗らないとき、それは君たちの体がその文章に乗っていないということなのだ。乗っていないということは、声に出していながらそれを理解もしていないし信じてもいないということだ。理解や信用をしているように聞こえる声を出しなさい、といっているのではない。理解も信用もしていないことを声に出して平然とするのはもうやめなさい、といっているのだ。

 6限めは4回生ゼミ。こういうとき、ジェスチャー分析は楽しい。集めるということとは無縁の世界であり、しかもディティールに満ちていていくらでも掘り下げられる。15秒のデータを延々と論議していたら二時間ほどかかってしまった。

 「わたしは真吾」続き。昨日吹き込んだものを編集して「ラジオ 沼」をアップ。


20040628

 講義。昼休みに近くの野田沼にでかけ、第三回と四回分を吹き込む。折しもデジオ界は新局ラッシュで、「ラジオ 沼」も含めて一気に3局がエントリーした。「マット・ファーゴの踊りの教室」は内容といいくだらなすぎるリンク(下のほうの画像に注目)といい、どうかしている。
 このまがまがしい世を生き抜くべく、「わたしは真吾」をまとめ買い。今月のユリイカの表紙の楳図かずおの写真が、白い表紙を切り裂いてあまりに眼光鋭いので、ひさしぶりに読み直したくなった。京都にいた頃は、「わたしは真吾」は近くの定食屋で読み直し、「漂流教室」はブルース喫茶のZACOで読み直すのがならわしだったが、ここ10年ほどごぶさたしていたのだ。むかしは全巻いっきに読んでいたのだが、今日は絵がひとつひとつ刺さってきて、3巻が精一杯だった。


20040627

 何も積極的なことができない。しかし、以前から懸案だったインターネットラジオだけははじめることにする。たぶん、このラジオを立ち上げるための最初の気分を設定するために、泥棒に入られたのだろう。あまりに事後的な解釈だが、いまとなってはそうとしか思えない。
 「ラジオ 沼」と名づける。タナカカツキさんに新局開設の報告メールを出すと、さっそくすばらしいバナーを作って下さった。ありがたい。なんというか、世界ともう一度折りあうための練習をしているような感じがする。深夜前に第二回を吹き込み公開。


20040626

 朝、昨日よりは落ち着いてあれこれ雑談。昼過ぎに横浜へ。カール・ルイスの件で宮川さんのお宅におじゃまする。ポータブルスキャナで写真を取り込みがてら、あれこれとお話。和子さんは朝起きてカール氏にだっこしてもらうのが楽しみだったのだが、タイプライターを打っているときだけは、おじいちゃんはお仕事、ということで部屋に入れてもらえなかったそうだ。その和子さんに、持参したルイス・カバーを手にとっていただく。ていねいに打たれたタイプ文字が示す住所にこのカバーは送られ、そのタイプ文字の示す「Karl Lewis」という名前ゆえにコレクターズ・アイテムとなり、それが幾人かの手を経てぼくの手元に入り、このタイプ文字を打つところを見ることができなかった和子さんが、いまこうしてしみじみと見入っておられる。そのそばにいると、郵便の奇縁を感じてしまう。

 日が傾くまでおつきあいいただき、西日のあたる丘を下り、地下鉄で新横浜へ。時間が余ったのでラーメン博物館に足をのばしてみる。入るのは初めてだったが、地下のラーメン街はじつによくできている。昭和33年をシミュレートしたんだそうだ。10分ほど行列に並んだが、そのあいだにも、板塀やウィンドウ、二階の物干し、剥がれたビラなどディティールを眺めているとまったく見飽きない。照明のほどよい暗さも気分を出している。

 彦根に戻ると夜中近く。相方はすでに疲れて寝ており、事のいきさつを聞くのは明日になりそうだった。まずタンスの引き出しをひとつずつ開けてみる。下の引き出しはフタが壊れており、中身はからっぽだった。二番目の引き出しは着物が入っていたが、ここは意外なことに手つかずだ。
 そして、開けたくなかったが意を決して一番上の引き出しを開けると。

 あった。

 うまく状況がのみこめないので、一枚一枚出してみたが、全部あった。
 寝ている相方を起こして「あるよ、絵ぜんぶあるよ」と言うと、「え、あるの?なんだ」と答える。「引き出しはあたしが壊しちゃったの。帰ったら開けっ放しだったから、なんだだらしないと思って蹴ったら壊れちゃった」といってまた寝てしまう。泥棒が乱暴なんだか相方が乱暴なんだかわからない。どうなっているのか。
 どうやら、泥棒はいったん引き出しを開けたものの、下にあった金目のものを盗って満足したらしい。考えてみれば、浮世絵なんぞは売りにいしシロウトには値打ちがわからないし、じっさい、うちにあるのは春信でも北斎でも広重でもまして写楽でもなく、さほどの値打ちものではない。
 よかった、と思えばいいはずなのだが、どうもしっくりこない。昨日から今日にかけて、ゆっくりとぼくの頭の中は、「絵のない世界」に向けて再編されつつあったのだ。もうこれからはモノをやたら集めるのはやめよう、身軽になってこの身ひとつで書くようにしよう、と、そこまで覚悟を決めかけていたのだ。からっぽの引き出しを見たなら、トンとその覚悟の世界に飛び移れるはずだったのだ。ところへ絵に戻ってこられても、うまく飲み込めない。なにかよけいなことをされたような、奇妙な気分だ。
 その気持ちを整理したいがもう夜半を過ぎようとしている。相方は寝ぼけていて要領を得ない。何もかも割り切れない。そのくせ盗難の不安だけは外の闇にまぎれている。ビールを飲んで寝る。


20040625

 東京へ。ユリイカの郡さん、足立さんに会う。じつはこれまで電話やファックスではやりとりしていたがお会いするのは初めて。あれこれ話を進めるうちに、音楽の話になり、最近は昔の曲ばっかり聞いてるんですよ、はっぴいえんどとか荒井由実とか、とこぼしたら、じつは現在企画中の特集が「はっぴいえんど」だということが明らかに。というわけで、7月末は連載とはっぴいえんど論の二本立て。

 それならばと、新宿に移動し、タワレコでじつはまだ買っていなかったところの「はっぴいえんどBOX」の見本をつかみ、さらにあれこれCDを物色しているところに携帯が鳴る。相方が出て「なんか窓ガラスが破られてるよ、泥棒?」。どうも帰って間もないらしく、実況が続く。「たんすの中の浮世絵が全部なくなってる」というひとことを聞いて頭が真っ白になった。幸いパスポートや通帳は無事だったらしい。相方がいない間に入ったのも不幸中の幸いだ。そう思いながら、体の力が入らない。浮世絵が全部ない、ということは、こつこつためた十二階の図像がすべてなくなった、ということだ。中にはスキャンしないままに置いていたものもあった。しかも今日は彦根は雨だった。事情のわからぬ泥棒だと、せっかくの錦絵を濡らしてしまったかもしれない。そうなれば、その絵はそれきりだ。明治の赤はとりわけ湿気に弱いのだ。それにしてもそんなことになってしまうような不用心な家にモノを集めていた自分はどうなのか。モノを集める資格などないのではないのか。ますます力が抜けていく。
 知らないあいだにふらふらと見本盤をもったままゲートをくぐって携帯に出てしまったらしく、ブザーが鳴り係員がやってくる。謝ってから再びゲートの中に入り直し、タワレコ7Fフロアの壁にもたれかかる。それからも頻繁に電話。まずは警察を呼び、それからガラス屋だ、と相方に指示を飛ばし、そうやって具体的に指示を飛ばすと、今度は、泥棒が入った場合のさまざまな最悪の事態を想像して頭から血の気が引く。ほんとにぼくも相方もいなくてよかった。猫も無事だったらしい。侵入者に対してにゃあともなかなかったのだろうか。まったく何の役にも立たない。しかし、驚いて外に逃げなかっただけよかった。
 悪すぎることを考えてからそれよりましな現在を考えて、ちょっと安心すると、またなくなった浮世絵のことが頭にのぼってくる。まがりなりにも図像をひとところに集め、それによって何かを書いたり語ったりする者が、集めたモノを盗まれるということは、知の集積場の管理者失格ということである。ぼくが言ったり書いたりしたことを手がかりに、それを見せてほしいと言う人が現われても、もう見せてあげられないのだ。自分でもう一度確かめたいと思っても、もうわからないのだ。それならいっそ集めなかったほうがよかったのではないか。誰かが大切に保存しているほうが、よほどその資料にとって幸福だったのではないか。
 もう自己責任も他人への責任も区別がつかない。「はっぴいえんどBOX」の見本がぐーっと重くなる(見本だからケース一枚なのだが)。よほど棚に戻そうかと思ったが、もはやその力もなく、ふらふらとレジへ。

 好例のハットリフェスティバル。今日はハットリ氏と宋ちゃんとで「おれんち」でうまいものを食う予定である。とりあえず、東横線の改札にやってきた二人に、事の事情を説明する。人に話すと少し落ち着く。
 渋谷から移動中、車内でとにかく頭の中で起こっていることをひたすらしゃべり続ける。混み合った車内で優先座席に座ってしまったが、しかしいまのふぬけた自分は老人なみに優先されるに値すると思ったりする。そして、ふぬけていながらも、いまのしゃべりは最強だということにも気づく。会話の最中にぼくがちょっと「いや」と否定語で応じると、ハットリくんの顔が明らかに腫れ物に触ったように、さーっと緊張するのである。ときどき必要もないのに「いや」と言ってみるとまたさーっとなる。これはおもしろい。そんなことをしておもしろがっている自分がすでにして平常ではない。
 「おれんち」でシロエビのからあげやかわはぎに舌鼓を打ちつつも、体の芯はつっかい棒がはずれたようにくにゃくにゃしている。ショックを酔いでまぎらしているのか酔いをショックでまぎらしているのかわからない。気がつけば、コレクターいかに生くべきか、などという話を二人にぶっていたりするのだが、コレクション未満を盗まれた者がそんなことをえらそうに言ってるのも世間的にはお笑いぐさであり、しかし、本人にとってはある種の欠落を掻こうとするがゆえの空振りなのでしかたがない。
 結局夜中近くにハットリ邸へ。それから渡辺さんに再び今日のテンマツをぐちり、さらになぜかカラオケに行ってわめき、そのすべてに力が入ってない自分に愛想がつきるまでつきあう。


20040624

 いよいよインターネットラジオをやろうと思い、ジングルをいくつか用意する。それにしても、かつてのMacintoshにはSound Editという録音可能でいくらでもチャンネルを増やせたりミックスできる手軽な波形編集ソフトがあったのだが、OS Xになってから、どうもこれといったソフトが見つからない。もちろんPeakなどを使えばいいわけだが、あまりにも重すぎるのだ。
 ゼミ、講義。さらにあれこれと雑務で夜。結局原稿には手がつかず。


20040623

 講義。毎年そうなのだが、この時期になると、だんだんまっとうな道筋に飽きてきてつい横道にそれすぎてしまう。
 柘植久慶氏の軍事郵便関係の本。ナポレオン戦争期から実際の資料の文面まで読み解きながら軍事郵便の実態を明らかにしていく内容は迫力がある。郵便を中心に世界を眺めると、戦争がよいとか悪いとか言うよりも、郵便を届けるという戦いが起こり、届ける郵便への意匠が戦いとなって凝っていく感がある。つまり郵便が世界を駆動しているような感覚に陥る。
 ひさしぶりに絵はがき資料を整理しているとみるみる時間が経つ。連載を始めてから知識がたまってきたせいもあり、以前よりも抹消印とはがきの内容に注意が行くようになった。前はとりたてて眼につかなかったはがきが、じつはおもしろいことにも気づく。テーマで集めていたものの中に、絵はがき史的におもしろいものが見つかる。


20040622

 会議に実習二本。


20040621

 研究室の下の小窓を開けっ放しで帰ってきたのに気づいた。いつもなら平気だが、台風で雨が横殴りになれば部屋に降り込むやもしれない。机の上に置いた絵はがきが濡れるとまずい。タクシーで大学へ。
 暴風警報のため全講義は休講。あまり報道されないが、彦根は県下でも有数の強風地帯であり、ぼくの部屋からは犬上川の河川林が根元近くからぐらぐら揺れているのが見える。午後1時ごろには風速36.4mを記録したとのこと。
 こんな日に限っていつもより頻繁に電話や相談や打ち合わせが来る。みんな台風で学内作業に没頭せざるをえないからなのだろうか。
 台風一過。外に出ると、中庭の桜が二本ほどなぎ倒されていた。西の空に雲をこじあけるような夕焼け。絵はがき原稿を10枚。いったん話を区切る。


20040620

 台風接近中で揺れ動く天候の中、彦根風景探偵計画、自転車ツアーを敢行。楽々園、玄宮園、大洞弁財天の三カ所について絵はがきと実際の風景との対応をチェックしていく。かつての絵はがきで何度も撮影された大洞の築山からの風景は、最近できた築山の目の前の三階建ての住宅のために完全にふさがれてしまった。これで向こう3、40年くらいはここからの風景は拝めないだろう(おそらくそんなことは、施工主の人たちは知る由もないだろうけれど)。2000年に再訪しておいてよかった。
 途中、大粒の雨が降ったかと思うと次はかんかん照り。肌にまとわりつくような熱気。10時にスタートしたが、大洞弁財天に登ってしまうと全員へとへとになり、2時半に解散。夕方、ビールを飲んだら気が遠くなり、暗くなるまで寝てしまう。

 起きて、amazon.comから届いた郵便学者、内藤陽介氏の一連の著作を読む。やや歴史を追うことが勝ちすぎているところが気になるが、いずれも並々ならぬ郵趣経験に支えられた文章であることは間違いない。カバーや消印のディティールに分け入っていく箇所や、切手の図像を詳細に解析しながら発行者の意図を読み込んでいく箇所は心躍る。とくに香港論に歴史と郵便の魔とのバランスを感じた。たぶん、この人が本気で郵便の魔を解き放てば、ものすごい本となって出現するのではないか。最新刊の「ビードロ・写楽の時代」は未読なので、こちらも楽しみ。

 読みながら絵はがきと切手の違いについても痛感させられる。切手が官製であるのに対して絵はがきの多くは私製であり、よくも悪くも、為政者の意図に先んじたり、それを増幅したり、そこに反発したりする。その結果、絵はがき史にはある種の幅(もしくはブレ)が生じる。日本のイメージのあらわれも、絵はがきでは美術史と同じく、1900年代で主立ったものが終焉するが、切手ではそのあとに表われる。絵はがきは一会社や個人の思惑によって作られるものだから、発行記録が残りにくく、時代に左右されやすい。

 これはいずれ連載で詳しく論じるが、絵はがきの通時的な性質を制約する絵はがき製造会社の歴史、という視点も重要な問題だろう。たとえば、イギリスで独特な彩色絵はがきを発行し続けてきたフリス社は、もともとエジプトのステレオ写真で一世を風靡したフランシス・フリスの息子によって設立されている。平面の風景写真を風景としてポップアップさせる精神が脈々と伝わっているのである。


20040619

 「A2」を見る。「A」とともにこれは「出家映画」なのだと思う。かつて現世を劇場化することで排除されながら延命してきたオウムという集団から、現世とのかかわりを「出家」というできごとに戻していく過程。だから、いくつかの土地で見られる地元の人々とのかかわりは、単にオウムへの理解やオウムとの融和というよりも、正しく出家を認めるための現世の側から/信者の側からのやり直しとして見える。それは、これらの連作を作る過程で会社を脱した監督の立場とも重なって見える。


20040618

 からだとこころの研究会は西條剛央さんを迎える。横抱きから縦抱きへの移行の映像を初めて見たが、これはおもしろかった。横抱きでいったん安定した後、子供が首を何度かのけぞらせる。それで母親は「はいはいはいはい・・・」と言いながら抱き方を変え、縦抱きにすると「これでいいですかこれでいいですか」と声をかけるときには、子供は落ち着いている。このプロセスを見て、抱く、という行為は、抱く者と抱かれる者を、重力に抗するひとつの有機体にするのだということに気づく。母親がふらついても、子供が動いても、この有機体は揺らぎ、別の安定に向かって動きだす。安定と快は必ずしもイコールではない。子供は現在の安定に抱かれているだけではなく、現在の安定を別の安定へと揺り直すことがある。
 抱く/抱かれるということは、自分の意のままにならないものとともに重力に抗する、ということなのだ。その意のままにならないことに抗おうとするとき、抱きは変わり、新しい抱きが生まれる。ひとつの安定は、反応エネルギーを越えて別の安定へと転がる。


20040617

 蒸し暑い。大学の冷房は中央管理システムで、気温にかかわらず来週にならないと稼働しない。夜もずっと窓を全開にしたいところなのだが、そうすると田園と河川林に近いこの場所では大量の虫が入ってきてえらいことになる。大きな窓には網戸はなく、下の小窓に申し訳程度についているだけ。ほとんど風が入ってこない。というわけで、頭を呆然とさせながら仕事。

 先週末に買った絵はがきを整理する。明治期にコロタイプ印刷で発行された東海道中膝栗毛のシリーズを入手したのだが、驚いたことに、48枚すべての絵葉書にその場所のスタンプが押してある。つまり、品川なら品川の、箱根なら箱根の、大津なら大津の消印が押してあるのだ。どうやらこの葉書の持ち主は、まさに東海道中を汽車で移動し、行く先々の郵便局で消印を押してもらう旅を敢行したらしい。スタンプの日付は東京からスタートして大津までほぼ行程順になっており、東から西へ移動したことをうかがわせる。明治39年のスタンプラリーである。この話はいつかきちんと書かずばなるまい。とりあえず絵葉書をすべてスキャンして、Excelに各絵葉書と消印のデータをぶちこむ。


20040616

 午前講義、午後ゼミ。暑さでぼうぜん。途中、映像を見ながら猛烈な眠気に襲われる。眠いと言うよりは気が遠くなる感じ。しかたないので冷凍庫から「かえるさん」(かえるの顔にゼリーの入った熱冷シートみたいなやつ)を出して額にあてたらちょっとマシになった。
 夕方、なぜか次々に学生が相談やらよもやま話やらをしに来てあれこれと話。


20040615

 実習二本。三回生の実習は三人会話。三人会話のおもしろさは最初の数秒にある、と思う。「じゃあ私から」と、誰かが最初のネタを話し始めるまでのターンや目線の微妙なかけひき。
 それにしても、同じ話題で同じ人数で話をさせても、組み合わせによって見事なほどに雰囲気が違うな。3分くらい話して話が煮詰まってしまう場合もあれば自在に雑談へと発展していく場合もある。単純化するなら、話が終わってしまうか話が転がっていくかの違いなのだが(もっと言えば相性の問題といってしまってもいいのだが)、参与者がひとつのトピックから「転がし」のきっかけをいかに、どのようなタイミングで見つけるかは考察に値する問題かもしれない。

 環琵琶湖文化論実習は、自転車で絵はがきに写っている長曽根港の調査。長曽根港は戦前にあったものだが、いまは杭だけが残っている。ぼくも場所をおぼろげに覚えているだけだったので、なかなか見つからない。こういうときこそ聞き取りを教えるチャンスだと思い、通りがかりのおうちに突然おじゃましてお話を伺うというのを三軒ほどやる。三軒目では学生に聞き取りをまかせたが、飲み込みの早い連中で、すぐに作法を身につけた(と、思う)。じっさいの場所に行ってはがきのコピーをかざすと、大正期の汽船が目の前を過ぎていく感覚。計1時間半で聞き取りをやって現地を探しあてることができたのだから、かなり効率がよかったといえる。

 いったん家に帰って飯を作ったあと、再び大学へ。あれこれ書類仕事。
 夜中過ぎに帰宅。このところほとんど定番となっている「ぴりからなんこつ」をつまみにビール飲んで寝る。


20040614

 さっそく昨日教えていただいたカール・ルイス・プロジェクト(カール・スターリング・プロジェクトみたいだな)のウィリアム氏にメール。さっそく山のような情報を教えてくれた。オープンな人だ。

 講義は午前中で終わり。午後、健康診断。それから貯まった雑用をこなすうちにみるみる時間が過ぎる。

 宮田珠己「晴れた日は巨大仏を見に」(白水社)が届く。お会いしたことのない著者から(会っていたらどうしよう・・・)本をいただくのは珍しい。おそらくは「浅草十二階」が同じ「ぬっと出るもの」つながりだからだろうか。とにかく巨大仏が風景の中に忽然と表われる異様さは、明治の低層な東京に忽然とそびえたつ十二階感覚につながるものであり、ひじょうに共感しながら読んだ。大仏の足下に行ったときよりも、遠くから最初に巨大仏が眼に飛び込んでくるときがすごいのだ、という指摘はとても正しいと思う。たぶん巨大仏にとって、人類救済なんかどうでもいいんだよな。「百億の昼と千億の夜」に出てくる弥勒を思い出しちゃいました。
 さらに、巨大仏の絵はがきがぞろぞろと添えられていて、絵はがきコレクターとしてはうれしい限り。でも、これ、わたしが集めるためというよりは、あちこちに送って宣伝してくださいということなのかもな。


20040613

 上大岡へ。ふだん近江のフラットな田園地帯に住んでいると、アップダウンの多い横浜はまったく違う徒歩感覚。
 まず、カール・ルイスの墓のある真光寺に行く。墓の前で手を合わせてから、住職にあれこれ話を伺ううちに、縁者の方が近くにお住まいだということがわかる。突然たずねては失礼かと思ったが、せっかく近くまで来たので伺ってみる。ちょうどご夫婦がおられて、貴重な資料をあれこれ拝見することができた。これまでも、彼の資料を集めるうちに何か不思議な魅力を感じていたが、今回お話をうかがって、その魅力はますます高まった。

 新幹線で彦根へ。崎陽軒のシュウマイにビール。


20040612

 横浜開港資料館へ。東横線がみなとみらい線に乗り入れるようになってぐっと便利になった。次々号で取り上げる予定の明治の絵はがき商、カール・ルイス Karl Lewisについて調べる(オリンピックのアスリートとはまったくの別人である)。1901年暮れから1902年の乗船名簿をチェックするがそれらしい名前は見つからない。もとは船乗りだったという話だから、乗客としてではなく下船したのかもしれない。当時の外国人名鑑Japan Directoryを調べると、彼の名前は1903年から記されており、この頃から少なくとも写真館と絵はがき屋を開業したことがわかる。1916年から、Frazar's Motor Car Assembly Dept.に勤め先が変わっているが、いっぽうで、1918年までは写真家としての記録も残っており、はっきりしない。1921年には勤め先の名前が消え、1925年には名鑑から記載が消えているが、1926年に今度はFord Motor. Co. of Japan Ltd, 4に勤め先が変更されている。
 どうやら明治から大正にかけていくつかの職を転々とした形跡がある。これだけでは詳しいことはわからないので、ともかく明日は墓所があるという上大岡に行ってみることにしよう。

 夕方、ホテルでゆうこさんと合流。以前ハットリフェスティバルに教えてもらった吉田町の鳥伊勢に。とろけるような旨さ。


20040611

 最近の新幹線のジングルは、以前のような完結したメロディではなく、何かの曲の引用で、しかも途中でばっさり終わってしまう。前は「Be ambitious」の一部でいまは「いい日旅立ち」の一部だ。
 こういう感覚は、携帯の着信音に近いなと思う。メロディを聴くのでなく、何かの引用であることが指し示されればよいという感覚。そしてそれは途中で切られることで、より「引用」らしくなるのだという感覚。
 東京へ。有楽町の交通会館で切手市。その後、スパン・アート・ギャラリーによって星野智恵子展。ウォーターレス・リトグラフで描かれた書物と鏡をめぐるイメージの数々。ボルヘス。リトグラフの版上で織り重ねられるインクの流れ、引用、そこにさらに重ねられる手描きの線は、幾重もの遮蔽のイメージを生み出し、深く覗き込まされる。よほど買おうかと思ったのだが、うちに飾ることのできる小さいものがすでに売約済であきらめる。
 夜、「島の人」でハットリフェスティバル。結局終電を越えて飲み続け、フェスティバル宅へ。


20040610

 午前中にゼミ。今年の実験を一通り見直す。あとはパソコンへの取り入れ、バックアップ、書き起こしと地道な作業が待っている。ネットワークHDを整理。午後、紀要に論文二本。いずれも前に書いてあったもので軽く手直しして投稿。講義。
 夜、松嶋さんのMacが不調というので、おじゃまする。なぜか「yak」と押して日本語変換するとフリーズ。機能拡張をいじったりデスクトップの再構築やらハードウェアテストを繰り返すが結局原因不明。再構築中、ふと本棚を見たら森達也監督の「A」「A2」のDVDがあったのでお借りする。
 研究室に戻ってバックアップのDVDを焼いている間、「A」を見る。麻原彰晃でもなく上祐氏でもなく、Aこと荒木浩氏の活動を中心に据えたところで、この映画のすごさはほぼ決まったと思う。オウム問題に乗じて「出家」しようとする者に食いついていく人々の姿、粘り着くように職務質問をする私服警官の姿は、そのままTVや新聞を通してオウム問題を消費するわたしの姿につながってくる。「再出家」ということを考える。


20040609

 午前に講義、ユリイカ校正、ゼミ。シェグロフのジェスチャー論文をようやく読み終わる。じっさいには院生の松村さんと一対一なので、ほとんど外書講読のような感じである。すでに何度か読んでいる論文だが、改めて含蓄が深いと思った。
 夜、ひさしぶりに森さんと長電話。


20040608

  amazon.ukからいくつか絵はがき文献が届く。中でTom Philips "Postcard Century"は、1900年から1999年にいたる使用済み絵はがきを各年について10数枚選び、一枚一枚の文面を読み、そこから差出人と宛先人のありようや絵はがきのウイットについて寸評を加えるというもの。絵はがき史を通観できるだけでなく、コミュニケーション史としてもよくできている。これまで見た絵はがき本の中ではベスト。
 A. W. Coysh "The Dictionary of Picture postcard in Britain"イギリス絵はがきの出版社やイラストレーターが網羅されており、彼の地の絵はがきを集めている人にとっては多少有用かもしれない。ただし各項目の説明が簡素すぎるのが難点。The Picture Postcard and cllectors' chronicleを読んだほうがよほど勉強になるしおもしろい。
 C. Connor "Miller'S postcards a collector's guide"は、廉価な絵はがきコレクターガイドだが、記述が短く半端で、ほとんど使い物にならない。
 つまるところ、絵はがき道は現物を数集めるしかないのだということを再確認する。

 実習二コマ。一回生の実習では古い絵はがきを渡して、気が付いたことをできるだけ言ってもらう。このやり方は、こちらから一方的にあれこれ言うよりいいことに気がついた。特に、組絵はがきをばらして渡すと、最初の一枚でわからなかったことが、二枚三昧と増えるごとに陰影を増していくことがわかる。今年の大阪成蹊大の実習はこれで行こう。


20040607

 講義。今週から恐怖の四コマ連続から解放されてほっとひといき。ようやく「文と発話」を脱稿。


20040606

  さらに「文と発話」。じつはおおかた原稿はできていたのだが、図版と文章のすりあわせをしていなかった。図版を何枚か作り直し、全体の論旨をならして、まあこんなところだろう、というところまで。明日には送れそう。
 夕方、万里子ちゃん来訪。近くの居酒屋へ。


20040605

  久しぶりにゆっくり朝寝をして、午後から「文と発話」原稿(ずいぶんひっぱってしまった)。

 大阪への車中でさらに原稿。大阪までは一時間半、ちょっとした執筆時間である。しかし、最近視力がだいぶん弱ってきているのか、車中で文字をたくさん読んでいるとすぐに眠くなるのが難点。

 乃村工藝社で博覧会研究会。早めに行ったつもりだったのだが、時間を間違えていて、すでに話し合いは終盤に入っていた。いやはや。北加賀屋で軽く飲んで帰宅。

 車内の吊り広告に専門学校の学園祭の宣伝文句。「カフェ!占い!カラーセラピー!ライヴ!映画上映!」。この空虚さはすごいな。「マクド!週刊誌!カラーテレビ!コンビニ!レンタルビデオ!」でも成立しそうだ。


20040604

  絵はがき原稿の図版。今回は盛りだくさん。午後実習。今週で四半期の講義実習がいくつか終わるので、来週からはもう少し余裕が出るだろう。

 じつは見たことがなかった「きらきらアフロ」を見る。すごい。ぼくはてっきり松嶋尚美のモノの知らなさを鶴瓶がいじる番組だと思っていたのだが、ポイントはそこではない。いかに人が「トピック」をぐだぐだにするかを意識的に考え、なおぐだぐだにしていく番組である。おそらく松嶋尚美にはぐだぐだやアヤフヤを降臨させる力があって、彼女はあえてその神おろしをしながら、ぼくらが話しているうちに朦朧となってくる、あのトークハイの果ての朦朧感覚を拡大して見せているのだ。そして常識人鶴瓶は朦朧に巻き込まれながら、まるで夢の中でもがくように「ちがうちがう!」と叫ぶ。客ももはや常識的な笑いのポイントからとめどなくずれたところで反応する。これ、串田さんに見せたいなあ。


20040603

  絵はがき原稿。午前中にいっきに15枚やっつける。スイスの鉄道史はすでに資料の配置をおおよそ決めてあったので比較的すいすい書ける。しかし今回はちょっと分量が多かったな。

午後、実験と講義。帰ってから、科研の身体資源班の原稿。ぎりぎりまで粘って23:59に提出。1時間あれば1時間ぎりぎりまで粘るし、15分あれば15分粘る。いったい粘って何をしているのかというと、ただエンジンの調子を見ているだけである。


20040602

  午前を休講にしたら体力はちょっとマシになった。熱とか咳とか具体的な症状があるわけでもないのにだらしないとは思うが、私の第六感が、「ここで休んでおかねばあとで体が破綻する」と告げているので休んだのである。午後は原稿、ゼミ、実験。帰ってさらに絵はがき原稿。


20040601

 さすがにこの二ヶ月のハードワークがこたえてきた。しかも原稿の〆切は次々にやってくる。明日の午前は休講にする。

 午前中は実験、午後は実習二本。三回生の実習では笑うという行為がいかにパフォーマティヴであるかについて。多人数会話をマイクロ分析すれば、いかにわたしたちが笑いのアドレスを振り分けているかが分かる。
 一回生の実習は「サイクリング」ということにして、近くの野田沼に。ここで鳥の声と鳥の姿をスケッチしてもらう。声を頼りに姿を探せば、声の近さ遠さに耳がいくし、そこから視覚的な奥行きにも感覚がいく。というわけで、全員沼地に散開。てくてく歩いて一人になり、柳の梢を眺める。柳の梢が揺れるのをみると、癒されるというより心さわぐ。静かな分、こちらの感覚の揺れがよくわかる。

 絵はがき原稿に、アルプス観光史のネタ本を引いて「アルプス観光のきっかけを作ったのはルソーの『新エロイーズ』(1761)である」と書いたものの、これではただの豆知識だし、そもそも『新エロイーズ』を読んだことがないので、どうも筆がにぶる。
 そこで図書館で借りてきて読むと、いやこれはおもしろい。情欲とまらん側も情欲たしなめる側も演じるルソー四九歳の濃厚さ。ルソーの説く啓蒙や社会契約はどう考えてもこの濃厚さの裏返しである。
 貴族の娘ジュリ(19)は平民出身の家庭教師サン=プルー(20)と階級を越えた恋に落ち、ジュリはサン=プルーを親に内緒で逢い引きに誘うのだが、その場所が「製酪小屋(シャレー)」というところがいかにもスイス的。ところが、その逢い引きの計画は、友人の窮地を救ってほしいというジュリの突然の申し出でオジャンとなり、辛抱たまらぬサン=プルーは手紙で不満をたれる(新エロイーズは書簡小説なのでやりとりはすべて手紙である)。
 「美しいお説教の君よ、わたしの権利をごまかそうとなすってもそれは駄目ですよ、飢えた恋はお説教では満腹いたしません。お約束になった然るべき償いのことをお忘れにならないでください。どうぞお忘れなく。あなたがわたしに喋々されたご教訓はすべてよいものですが、あなたが何と仰有ろうと、製酪小屋の方がもっとよかったのですから。」
 それに対するジュリの返事はこうだ。「まあ、あなたという方は、相も変らず、製酪小屋のことですか。」

 かくしてヒロインがロマンとスイス情緒あふるる場所として提案したシャレーという場所は、ヒロイン自らの手でラブホテル並みに格下げされるのだ。情欲を釣り上げておいて破綻させるメロドラマ。しかも・・・

 うーん、おもしろすぎるのだが、これをどう絵はがきの話につなげたものか。倒れるように寝る。