The Beach : Feb. 2006


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20060228

 原稿原稿。ちょいドラクエ。いつものことだが、ゲームを始めた場合は、躊躇なく耽溺することにしている。すると、世界が「まことのめがね」化する。なにげない木立とか、いつもは見過ごしている国道や県道沿いのけばけばしい看板に、何かサインの気配がする。  サインをただのシニフィアンとして受け取るならば、どうという心象ではない。そこで、歩きながら、そのサインめいたもののシニフィエではなく、シニフィアンの持つ形のほうに注意していく。すると木立の形や看板の形に、いままで気づかなかった微細な手がかりがあることに気づく。


20060227

記号内容の冗長性と連鎖形式の冗長性

 京都でコミュニケーションの自然誌研究会。花田里欧子さんのコミュニケーションパターンに関する臨床心理学的研究の発表。ベイトソンの理論に依拠しながら会話から「リダンダンシー(冗長性)」を計測するという試み。ベイトソン式の冗長性の議論は、記号が冗長になること、繰り返すことにコミュニケーションの本質を見ていくものだが、花田さんの話の野心的なところは、記号内容ではなく、(会話の話者交替という)記号の連鎖形式の冗長性を計る、というところだ。すると、記号内容のときとは話が逆になる。冗長性が高くなるほど、むしろ会話が硬直化し、低くなるほどそこから脱する契機が生まれるのだという。
 久しくベイトソンの冗長性の議論を考えていなかったので、「連鎖の冗長性」という考え方をあれこれ頭の中で緩めつつ妄想。同じことばや動作を繰り返すと意味は深くなるのだが、その繰り返しのタイミングが同じだと硬直するのではないか、などなど。


20060226

われにかえった

 画面の中でお宝をすなどっている場合ではない。
 京都へ。絵はがき会。百戦錬磨のみなさんが集っているので、これはと思うものはそう簡単には落ちない。ひとつよさそうなのが100円違いで落ちていくのを目撃する。
 盆回しというシステムは、着席場所の運によってもずいぶんと収穫に差が出る。よいものを出品する人が一つ下手に座っていると、一周してきたときにどれくらい札が入っているかを見ることができるので、いくぶん値がつけやすい。それに逆に、上手にそういう人が座っていた場合は、自分が最初に値札を入れるわけで、どれくらい人気のあるものなのかが見えにくい。
 人並みに、美しい絵はがきにはほうっとため息が出るくらいには所有欲をかきたてられるのだが、こういう歴戦の人々のいる場では、さして競り落とそうという気にならない。よい収集物というのは人を選ぶもので、自分が買うべきものは、もう買うしかないように、すべての出会いがセッティングされているものだと思っている。まあ、それくらいの考えでいないと、目の前を通り過ぎていく絵はがきすべてがゆかしいものに見えてしまう。


20060225

うっとりしている

 ああ、ドラクエはたのしいなあ。どこのことかは書かないが、王妃の影を現すべく、月の力を借りようと、入った洞窟のグラフィック。あれ、よかったなあ。あと、どのキャラかは書かないが、南の島の西あたりで、合体して攻めてくるやつ。あの攻め方、いいなあ。ばらばらになったり転んだり、敵ながらじつに対戦を楽しんでいる感じ。
 ああ、このままではゲーム脳になってしまう。いや、なってしまうどころか、もう取り返しがつかない。小さい頃はチクロ漬け、貴重な十代にインベーダー、スーパーマリオ、ゼビウス、リアルタイムでそのときどきのゲームに囚われて続けて以来のこのアタマ、もうすかすかのすっぽんぽんになって、死ぬまでゲームやってろ、と自分に言いたいところだ。ところだが、あいにく、いま「石のぼうし」をかぶって対戦中なので、どんなことばもこの脳みそには届かない。荒川静香のイナバウアーも届かない。校正原稿も届かない。机の上には届いているが、頭の中に届かない。ああ届かない届かない。


20060224

いまごろドラクエVIIIを

 相方のやっていたドラクエVIII(いまごろ!)を横で見ていて、ああ、ドラクエVIIIはあちこち180度動けるんだなあと思ったらついやってみたくなってしまった。どうやら垂直方向の移動はあまり自由度がないみたいだが、それでも、以前のものに比べれば画期的に操作性が上がっている。いやもう、VIIからVIIIへの動画の進化はすさまじいです。って、もう一年半前のことか。
 対戦シーンのアニメーションも相当カット割りが工夫されている。技やキャラクタごとにアップや視点移動を組み合わせて、対戦の時間を立体的に組み立てていくあたりは、これまでになかった表現だ。その他、ふだんのキャラクターの表情や所作にもかなりバリエーションがあるので、以前にも増して、世界が鳥山明的になっている。ところどころに漫符が出るのはご愛敬か。王様の走り方は、もろアラレちゃん。
 そのままドラクエ界に囚われてしまう。前にドラクエをやったのはいつだっけ、と思って日記を検索したら、5年前のほとんど同時期だった。二月の末は逢魔が時なのか。


20060223

託する形で

 カーリングの魅力は、氷にストーンを預ける時間にあると思う。片膝をつき、手を前に出す。託するために生まれた、謙虚な身体の形。その形が、ゆっくりと氷上を滑ってゆき、ストーンをリリースする。

相互浸透性と音

 日曜の「フランス革命」で、音の文脈という話の途中で、ベルクソンの相互浸透性の話が出ていた。それで、むかし書いたことを思い出したのだが、さいわい手元にテキストが残っていたので、この機会に引用しておく(全文はこちら

 時報のチャイムが鳴っている。同じ音程で鳴り響いている。ぼくは気にも止めずに書き続ける。とつぜん、抑揚が頭の中にわきあがる。小さい頃から数え上げるときに使っている、あの旋律じみた抑揚だ。しいち、はあち、ぼくは子供がやるように数え上げる。くう、じゅう、じゅういち。時計を見る。11時。どんぴしゃりだ。
 少なくとも、6まではまるで数えたおぼえがない。かといって、そのときぼくは1、2、3、4、5、6と、自分がそこまで行った数え上げを大急ぎで復習したのではない。そこまでの行為は切り分けることのできない塊として、あたかも途中まで歌われた歌のように、ふいに頭の中でたちあがり、そのときはもう、次は「しいち」だとわかった。そしてぼくは自分がチャイムを聴き始めたときから、じつはうわの空で数えていたことを知る。

 この、抑揚とともに現れる不可分な塊のような数、不可分な塊のような行為のことをベルクソンは「質的多数性」と呼ぶ。そして、1、2、・・・と切り分けることのできる「数的多数性」と区別した。彼のいう「持続」とは、この二つの「多数性」が同時に明らかになり、引きはがしがたく互いに浸みだしている状況、たとえば上のような事態を指す。
 行為が、分かちがたい塊としてわが身にせまってくる。その衝撃が、ベルクソンをして「持続」を考えさせ、「持続」のありようにこそ生の秘密があることを確信させた。
 「質的多数性」それは抑揚、つまり声としてふいにやってきて、数をわたしに想起させる。誰の声か。その声はわたしの身体にたちあがり、わたしにそれまでの行為をまるごと受け取らせる。わたしはこの身体抜きに、この行為が不可分だと気づくことはできない。
 声の一撃。メディアがメディアとして異物のようにたちあがり、行為をもたらす。数は身体とともに現れ、行為が明らかになる。
 わたしたちは、そのように数えているだろうか。

「分かちがたい行為」現代思想(青土社)1997, vol.6 p336-343)

 「nu」に掲載予定の岸野さんとやった対談の書き起こしを校正。どーんと30000字。かなり書き直す。あらためて自分の発言は飛躍だらけだとわかるが、飛躍は飛躍として放っておかないとおもしろくないので、論理の穴はあちこちに放置。


20060222

カートゥーン・ミュージック

 明るくなっても、霧は晴れない。太陽の鈍く淡い輪郭を見上げつつ南彦根駅へ。車内放送で滋賀県のあちこちで濃霧が出ているというアナウンス。なるほど大津までは霧で、山科から急にすっきり晴れた。ということは琵琶湖に原因のある霧なのか。大阪成蹊大学で講義。サイレントからバウンシング・ボールによる映画館大合唱を経て、ミュージカルへ、そして「キングコング」を経て劇伴へ、さらには、T.Averyによる劇内から劇外への操作を経て、編集音楽時代、さらにはTV連続ドラマのための状況音楽時代へ、駆け足の3コマ。

アワー・ミュージック

 青山さん、五十川さんと晩飯。なぜか「バザールでゴダール」とふと口をついて出る徹夜明け状態だったのだが、眠い目をこすり、大津へ移動して滋賀会館で「アワー・ミュージック」。第二章まではしっかり見ていたのだが、空港のロングショットになったあたりで急に気が遠くなり、そこからはすっかり落ちてしまった。また見に来るか。


20060221

エリック・ラ・カーサ

 ヒバリ・ミュージックから、エリック・ラ・カーサのsecousses panoramiquesが出ました。隅から隅までエレベーターの駆動音でできているこの作品、一日中エレベーターに乗っていたいエレベーター好きにはもちろん、とりたててエレベーターが好きというわけではない人にも、濃い気配を堪能できるたまらん一枚です。みんな買おう。
 わたしはジャケの絵を担当しました。といっても、描いたんじゃなくて、手元のコレクションを提供したのですが。

テレパシーの宛先

 大阪成蹊大学で非常勤。絵はがき論を三コマ。その場でとつぜん思いつき、「人類は紙をめくることができないと仮定して、社会生活で何が起こるか想像しなさい」という課題を出す。
 直方体社会やルービック・キューブ社会、砂絵社会などさまざまなアイディアが出る中、人類は超能力を身につけて、テレパシーで交信するようになる、という答えをする人がいたので、テレパシーにおける宛先とプライヴァシーの問題について、考えてもらう。

 テレパシーというのは、誰かに念を送ると、自動的にその誰かに届くということになっているが、それはいささか安易ではないか。テレパシーにおける「宛名」とは何か、もっと考えたほうがよいのではないか(<誰に提案してるのだ)。たとえば、テレパシーは同時に二人に送ることができるのか。
 「Aくん、きみは東に行け、Bくん、きみは西に行け」というテレパシーを送るとき、「Aくん、きみは東に行け」の部分はBくんには聞こえないのだろうか。仮にBくんに聞こえるか聞こえないかはテレパスの裁量で決まるのだとしたら、テレパスはそのあたりをどのように調節するのか。頭で、うーん、とBくんをイメージしながら「Aくん、きみは東に行け」とBくんにテレパシーを送ることは可能か。
 テレビに「チャンネル変われ!」とテレパシーを送ろうとしてAくんに誤って送ってしまった場合、Aくんのチャンネルが変わってしまったりするのか。
 こんなこといくら考えても、あいにく知り合いにテレパスはいないのだが。

 帰ってから、採点やら書類整理やら。明け方に表に出たら一面霧で、東に下弦の月が透いて見える。


20060220

次郎長三国志(東宝版)第一部、第二部

 二日酔いの頭を振りつつ、シネマヴェーレ渋谷。次郎長三国志の東宝版。これは東映版よりずっと楽しい。画面の中に配置される人物の遠近の妙。海の気配を感じさせる土手のショットや、月明かりの河原や海辺の決闘もすばらしい。そしてなんといっても、台詞回しの調子よさ。広沢虎造の節回しはもちろんのこと、森健一の舌先がなんとも軽妙で、田崎潤とのお千をめぐるやりとりも毎度楽しみ。東映版に比べて、みんなずっと早口で、これくらいぽんぽんとことばが前に進んでくれると見ていて気持ちがよい。
 桶屋の鬼吉が桶に入ったところで、「おいどうだい」と桶屋の主人が中に声をかけると、虎造の節で「住めば都の、風が吹く」。なんにも言わない桶が画面にでんと写り、桶宇宙の広さを思う。
 次郎長は女の簪を額につけて喧嘩に出向く。子分もそれを真似て簪をさす。簪をもらえないなら櫛でもよい。子分が博打に負ければ一堂裸で旅の空、法界坊は垢をまとった体を叩いて寒さをまぎらせる。奇天烈な格好で男女の仲をまとめて「裸の親分」と言われる。こういうおおらかさ、自由さをひさびさに見た。
 それにしても、十年後の東映版に比べて、役者の顔がまるで違う。なんというか、ずっと、抜け目がないのだ。


20060219

次郎長三国志、日本絵葉書協会東京会合

 朝、東京へ。シネマヴェーラ渋谷の次郎長三国志の朝の会に滑り込む。期待した次郎長三国志、今日は東映版の第三部、プリントは美しく、ワイドスクリーンの画面を生かした部屋から部屋への移動撮影では、からくりのように部屋から部屋へと視点が動く。野外のシーンも、そのワイドな画面に大勢の子分が文字通り「ずらり」。藤純子のお千が緋牡丹博徒にはない娘の魅力。
 しかし。どうも全体に台詞まわしがもたもたと間延びして居心地が悪い。それに、松方弘樹や山城新伍の顔が、まだ若いせいかなんとも甘すぎて、どうもピンとこない。あくまで好みの問題なのだが。
 できれば全部見たいが、関西から来る身にとっては、一日二部ずつの上映では日数がかかって、なかなか難しい。

 亀戸で日本絵葉書会の会合。関西とはいくぶん出回る品物が違う。なるべく安めのやつを狙っていくが、それでもずいぶんと散財した。

大谷能生のフランス革命・ゲスト:宇波拓

 渋谷に戻ってアップリンクで「大谷能生のフランス革命」。最初は宇波くんの作曲による演奏。油断ならない長さの沈黙によって音が分かたれるまがまがしい演奏。
 あとから行ったので、端で立って聞いていると、観客席がよく見渡せる。ここの椅子はけっこうぎいぎい鳴るのだが、明らかに客が腰の位置を直して座り直すタイミングに傾向があり、あるオブジェクトがかたかたと鳴るときに、あちこちでぎいと椅子が鳴る。一人、演奏に耐えられなくなったのか、沈黙になったとたん意地になったように何度も首をあげてはコーヒーを飲んでいる人がいたのがおもしろかった。大向こうを揺るがすような音は一切含まれていないにもかかわらず、明らかに多くの客がいっせいに前のめりになったり、逆に体の力を抜く瞬間がある。その結果、舞台のみならず、客席に妙な霊じみたものが降りてきているような光景。
 第二部の対談では、音が単独で「音響」として聞かれてしまうことへの危機感、いかに個人に還元されない音の列を構成するか、などなど、さまざまな話を聞くことができた。書籍になるということなので、聞き逃した人もあとで詳しく読めるはず。宇波くんとはよく会ってるのだが、考えてみるといつもヨタ話ばかりで、こうしてまとまった話を聞くとあらためて真摯に音楽を考えているなあと思う。
 しかし結局打ち上げではヨタに終始。そのあと、ハットリ邸で初期のセサミストリート映像(123456789-10など)を見て沈没。


20060218

寝転がってトランポリン

 ひさしぶりに子ども療育センターへ。今日の自由あそびは、孫悟空ごっこで、トランポリンと登り網のあたりを山に見立てるという趣向。トランポリンに乗ると、「地震」が来るという成松さんの演出が楽しい。AちゃんもBちゃんも、トランポリンで跳ねることはできないので寝そべっているのだが、横で大人が跳ねると、寝そべっていても体は弾む。その弾む体を腹ばいになったままうまく調節する、というのが、二人にはちょうどよい遊びになっている。

プリンと焼きそばの違い

 今日のおやつは焼きそば。Aちゃんは焼きそばのような長いものは飲み込めないので、はさみで切ってもらって、それをスプーンですくって食べる。このスプーンですくう、というのがAちゃんにとってはけっこう時間のかかる作業だ。
 やきそばの難度がいかに高いかは、たとえばプリンと比べてみるとわかる。
 プリンのような柔らかいカタマリを食べる場合は、スプーンを重力にまかせて差し入れ、そこでひとすくいすれば、まとまったカタマリがスプーンにのる。
 しかし、皿にばらばらとのっている焼きそばの細切れをすくうには、スプーンを皿に添わせながら、焼きそばの下にスッと入れてやらなくてはならない。水平方向にスピードをコントロールしなければならないから、重力の助けは借りることはできない。しかもそれを何度もやって、ようやくスプーン一杯分の細切れが乗る。
 これはちょっと難しいので、成松さんが後ろから手助けして、Aちゃんの持っているスプーンに、別のフォークとスプーンで焼きそばを寄せては乗っけることになった。とはいえ、スプーンに乗った焼きそばをこぼさないように口元に運ぶだけでも、Aちゃんにとってはちょっとしたチャレンジだ。
 しかも、この作業にAちゃんを集中させるのはけっこう難しい。しょっちゅう、横のテーブルのホットプレートの作業に気をとられてしまう(なにしろ、じゅうじゅう音がしてるし、Aちゃんのお気に入りのCくんがいるので、注意が行きやすいのだ)。
 途中から小皿が導入されて、ここに焼きそばを小分けして食べることになった。スプーンに焼きそばを乗せるのは難しいが、スプーンで焼きそばを一方向に寄せるのならAちゃんにもなんとかできる。口元に小皿があると、テーブルの上に皿があるときに比べていくぶん注意が向きやすい。結局、口元に皿をもっていき、そこからスプーンで焼きそばをすくったり掻き込んだりする、というスタイルに落ち着いた。

 こういうむずかしいこと、一発ではできないことをあえてやってみるという試みは、いいことだと思う。細かい所作を見ていくと、わたしたちがふだんやっている食器を使った食事という行為は、ずいぶんと不自由で面倒な作業なのだなということが分かる。と同時に、食事にはいろんな方法がありえるし、それを探っていくことは、じつはその人の体の可能性を探ることでもあるのだ、ということが分かる。

リズムでことばを

 二ヶ月ぶりぐらいにRくんに会ったのだが、こちらを見てにこーっとしてくれたところを見ると、どうやら覚えてくれていたらしい。近くによると、Rくんのほうから膝を合わせてきた。それで、その膝に軽くタンバリンをあてたり、足を握ったりしながら、リズムを出し合う。
 「あっ」はお気に入りらしいので、いろいろな大きさや高さで「あっ」と言い合う。耳元で言ったりちょっと離れて言ったりする。
 さらに「あっのせっせ」という風に、「あっ」のあとにRくんのよく言うフレーズを混ぜていく。Rくんが「あっのせっせ」と答えてきたら、ひっくりかえして「せっせのあっ」と言ってみる。「えっえっのあっ」と答えが返ってきた。今日は、ちょっとしたことばの入れ替えができた。
 それはいいのだが、眼鏡をひったくられるようになった。ときどき急に手をのばしてきて、こちらの眼鏡をつかんで取ってしまう。しかたないので、途中から眼鏡をはずしてつきあう。それでもときどきこちらの顔に手を伸ばしてきて、眼鏡がないので、あれ、というような顔をする。それから「あー」という声。それでまたリズム遊び。


20060217

卒論発表会

 朝、ちょっと小森さんの発表予行を聞いてから、卒論発表会へ。ぼくは出張で留守をしていたので、準備はほとんど高橋さんや3回生にまかせっきり。卒論発表とはいえ、予鈴も鳴るし、ちょっとした学会発表形式である。内容は人によりさまざまだが、それぞれに諮問のときからいろいろ論旨を組み直してある。こうなってくれば、諮問でいろいろ注文を出して、間をおいて発表というのはなかなか良い形式だなと思う。三回生には手伝ってもらいながら、来年の自分たちの姿を見てもらうことにもなる。

 長浜で幼稚園児に事件が起こる。昔、会ったことのある人がかかわっていたことを知る。ゆうこさんとあれこれ話す。


20060216

観音様のまつり(つづき)

 雨は朝方まで降ったり止んだりで、ずっとレインコートを羽織っての見物となった。明け方、山間を雲がなびいて、幽冥の境が近づく頃、はね能。
 そして「橋弁慶」を舞う別当の姿が、笛の音とともにゆっくりと幕屋へ下がっていくと、いよいよ最後の「しづめ」となる。池田さんの、とがめの声がよく通る。空気を水分が満たしているせいだろうか。

 今年も滞りなく田楽が終わった。
 徹夜明けのぼろぼろ状態を癒すべく、菅原さん、藤田さんと、とうえい温泉へ。水窪から浜松に行くにはかなりの寄り道である。そんなに寄り道をしてどうするのかといえば、新井恒易の記した鳳来寺を中心とする三遠地方の田楽地帯を下見するという趣向である。佐久間町から東栄町へと進むに従い、雲は山間に分け入って、浮世離れした景色になり、深山幽谷の思いがする。
 もちろん、下見とはいえ、目の前に温泉があれば入らざるを得ない。疲れを癒すつもりが、湯につかるうちにむしろ疲れが顕在化してしまう。体力があれば湯谷温泉も攻めるところだったが、ふらふらの体で一同浜松に。


20060215

観音様のまつり。扇子は万物を重力から解放する

 朝からデータおこし。昼過ぎから、徹夜に備えてちょっと仮眠する。  夜、「観音様のまつり」。いちおうまつりの前の秋葉講にも行ってみたが、今年はTV取材が多く、別当宅の縁側にはずらりとカメラクルーが並んでいて、ちょっと見物できそうにない。
 庭上がりの前に先に境内に行ってみたら、なんと今年は幕屋と境内のあいだ、東側にみたらし団子屋ができていて驚いた。ここにでんと屋台が置かれて白熱灯がたかれると、ずいぶんと祭りの雰囲気が違う。もっとも、弁慶やしづめをやるときはじゃまになるので、午前三時くらいには撤去するそうだ。

 最初に「庭上がり」で能衆が境内へと上がってきたところで、雨が降ってくる。いつもは、煌々と境内を照らす「小松かきわけいづる月」も、雲に隠れて見えない。レインコートをかぶって見物。

 ここ数年、何度も西浦に来ているが、この「観音様のまつり」を見るのは三年ぶりだ。以前は、舞の細かいところまで目が行かず、それぞれの舞いのおもしろさがぴんとこなかったが、今回はいろいろと感ずるところがある。
 たとえば、「庭上がり」に続いて三人の舞い手がそれぞれ演じる「御子舞」。最初に舞う守屋さんの舞は、そでの長いうすものを羽織って舞われる。舞いの手には、そのうすものをひらひらと翻すものと、そでを持って固くするものとがある。
 そでをひらひらさせるときは、片手に扇子を広げて持つのだが、根元ではなく、骨のやや上を持ち、風をはらませるようにして体を回す。そでにも扇子にも風が吹き込む。いっぽう、片方の袖を逆の手でぐっと引き寄せるときは、扇子もたたむ。こうすると、体からは風が消え、舞からは空気が抜けて固くなる。この、空気の有無の対比によって、優雅さが強調される。最後は鈴を持ち、扇子は骨の柄に近い部分を持って、そでも扇子も風にはらませて終わる。
 いっぽう、別当の御子舞の手はぐっと固く、男性的だ。扇子は多くの場合閉じており、開いているときも両手で持って舞うので、ひらひらとはならない。守屋さんのときとは違って、日本刀を腰に差しており、これに片手をかけながらもう片方の手で閉じた扇子を掲げる。

 続く「地固め」のおもしろさは、切っ先によって悪霊が現れるところだ。それは、形式的には、槍によって悪霊を突き、払う舞なのだが、悪霊は目に見えるわけではなく、むしろ槍の切っ先によって悪霊の位置が示されるという具合だ。だから、客の足下を槍で突くとき、客がぎくりとするのは、自分のすぐ足下に悪霊がいるかのように感じられるからであり、ぐるぐると両手で回された槍がこちらをかすめていくと、あたかも自分が悪霊になったかのような気になる。タイ(松明)の火の煙の中から切っ先が現れると、煙の向川とこちら側で、正邪が分かたれるような感じがする。

 ところで、「地固め」や「剣」には、本番とは別に「もどき」と呼ばれる別バージョンの舞が演じられるのだが、これらの「もどき」では、舞い手は扇子を持って登場する。そこで、先の御子舞の手を思い出すと、これらの「もどき」はさらにおもしろく見えてくる。
 両手で力強く悪霊を突く「地固め」の槍の所作に対して、「もどき」では、片手に扇子を広げており、幇間のような明るさが感じられる。本番によって丁寧に突かれた境内には、もはや本気で対決するような悪霊はおらず、扇子片手に楽々あたりを徘徊することができる、というわけだ。  「もどき」が見物人の前で、あたかもその足下に突き残した悪霊がいるかのように執拗に槍で狙ってみせるのも、「まだこのあたりに悪霊が残っているかも」という、ちょっとした冗談の所作であり、それが冗談である証拠には、切っ先は地面を突くというよりは、なでるようにふわふわと、扇子の動きを真似ている。

 扇子は、空気をとらえて万物を風にまかせ、相手を重力から解放する。「ほた引き」では、二人の能衆がタイの山から取り出された重い木のホタにつるをかけて引いてくるのだが、ここで上組能頭(のうがしら)は、扇子で重いホタを扇ぐ。すると、ホタがふわふわと浮き上がる(じっさいは二人の能衆が両側からつるを引っ張っている)。そしてこの、重力からの解放が示されたあと、今度は、観音堂から高さ三間はある大松明(池島ダイ)に火が移されるのだが、この火を移すのは綱にしかけられた木製の船である。船はふたたび、能頭のあおぐ扇によって、するすると観音堂から松明の高みへと移動する(じっさいには能衆たちがひっぱっている)。  かくして、繰り返し扇の風が力を発揮したあと、松明の明るみの下で鶴の舞が舞われる。別当は、広げた扇子を、あるときは両羽のように、またあるときは尾羽のようにかざして、めでたく舞庭をめぐる。ここにいたって、扇子の力は、舞い手の身体と化し、舞い手自身を重力から解放するように振る舞う。

 一連の田遊びが終わったところで一時間ほど「蔵入れ」。ここで能衆も見物人も休憩をとる。そのあいだ、沢谷さんのお話をあれこれ伺う。「猿の舞」のときにやる手でわっかを作る所作は、やはり木を伐る動作なのだそうだ。「山をはかる」といって、山を買うときには、一つ一つの木の寸法を測り、どれくらいの資産価値があるかを見極めるという過程があるらしい。あの猿は、山をはかって、木を切って、という所作を入れている。
 高砂にも、「猿の舞」に似た、両手で刀を拝み取りするような所作がある。この舞は以前、沢谷さんが舞っていて、今回は利幸さんが舞っているのだが、沢谷さんによれば、「あれは俺が入れたのかもしれん」とのこと。
 うまくいってるときには「太鼓が舞についてくる」という話。
 後半は、雨が続くので、途中から幕屋での舞となった。レインコートや傘で雨をよけながら、見物人が幕屋を取り囲む。六観音が闇の中を行列する「仏の舞」はいったん外で演じて再び幕屋。そして、雨があがったのを見計らって「観音様のご法楽」以降は再び境内へ。今年の田楽はなかなか忙しい。


20060214

観音開き。遠山郷、鎮守様のまつり

 朝、観音開き。近所の方々と一緒に内陣にあがらせていただき、般若心経を唱える。じつは今まで知らなかったのだが、このとき、般若心経は六回繰り返される。六観音あるからだということらしい。繰り返すうちに、次第に文言に貼り付いていた意味が剥がれて、唱えごとになっていく感じ。庭上がりのときの長い神歌を歌うときも、こんな感じなのかなと思う。

 なんとおとつい温泉にジャケットを忘れてしまったことに気づき、藤田さんにつきあっていただき再び兵越峠を越えて「かぐらの湯」へ。

 あくまで用事はジャケットを取りに来ることであった。が、目の前に温泉がある以上、入らざるを得ない。しぶしぶ湯につかる。しぶしぶつかったが、つかってみると、空は抜けるように青く、打たせ湯のしぶきの向こうに遠山の連山が間近に見える。じつに気持ちがよい。

 しかし、新井恒易の研究書に耽溺しているわれわれは、温泉のみに溺れているのではない。三遠南信に分布する田楽と神楽の基層を探るべく、霜月祭りの行われる神社を次々と訪れることにする。

 まずは、国道沿いにいきなり「気の出る神社、元気の出る神社、中央構造線神社」と、真っ赤な手書きの字の看板のある熊野神社へ。看板はえげつないが、川筋に下りる道を行くと、木製の落ち着いた鳥居が見え、そこがあきらかに特別な場所であることが体感される。幸い御堂が開いていたので、湯立に使う釜を据える台やタカラ、細かい式次第や舞の手などの書かれた張り紙などを見ることができた。隅には筵がまとめてあり、おそらく湯立のときにはこれを敷き、神楽舞で床が踏みならされるのだろうかと思うと、身震いする心地だった。

 カーナビ(神ナビ、というべきか)を頼りにさらに北上し、正八幡神社へ。こちらは集落の中心にあって、周りは商店や生活センターなのだが、見あげるばかりの杉木立がそびえている。
 そばに木造の小学校跡があったので、そこにも入ってみる。旧木沢小学校。全館遠山の材で作られた校舎で、木目天井に木の廊下だ。人気のない教室内に、霜月祭りの配置が再現してあったり、森林鉄道の資料が飾ってある。
 戦前に軍用材の伐採によって木材の需要が高まり、昭和30年代には、この学校には200人以上の生徒がいたという。しかし、安い外国産の木材の輸入とともに、林業は下火となり、昭和40年代に森林鉄道は廃線となった。
 端の教室には、最後の一年生三人のランドセルが椅子にかけてあった。学校を出ると、入口近くの倉庫には机や椅子がぎっしり廃材のようにしまいこまれている。いちいち生々しい。

 国道を戻って諏訪神社。外から見るとここは釜は一つのように見えた。表に「健康筒」なる金属製の奇妙な筒が奉納されており、鳥居が建ててあった。

 雲行きがあやしくなってきたので、旅館に戻る。夜に向けて少し仮眠。

 夜、鎮守様のまつり。  「庭ならし」の神歌をききながら、能衆たちのことばを唱える時間が感じられるような気がするのは、やはり今朝、六観音のために般若心経を六度唱えたからだろう。文字を唱えるうちにことばの意味は太鼓の音に従い、意味はリズムへと捕捉される。
 リズムとことばの関係は、演目によって揺らされる。たとえば、「麦つき」では、「庭ならし」とは逆のことが起こる。ことばはやや謡的で、別当一人の詞章によって、無言で叩かれる太鼓のリズムはまるでことば化していくようだ。「ちゃーちーちーちーちららりーら」という能衆全員のかけ声は、あたかもこうしたことば化の帰結であるかのように響く。
 続く「田打ち」では、別当の詞章からは謡的な抑揚が消え、読み上げるように唱えられる。このため、太鼓のリズムはいっそうことば的になる。太鼓を叩くという(田を打つという)日常の所作が、ことばに捕捉されて、意味づけられていくようだ。

 練習からいろいろ見ているので、とくに若手の踊りを見ると、これまでの練習の来歴が思い浮かぶ。所作の基本は伝統にのっとるものだが、いっぽうで、舞いの手のひとつひとつには、舞う人のこだわりや好みが出るので、ちょっとした手の伸びや、足運びの確かさにも、何が「練習」されたかが見える。
 鎮守様のまつりでは、舞い手と能衆が近いので、練習場のような親密な声が飛び、それがその場にいる全員に聞こえる。舞の途中にも、声には出さないが所作で指導が入るし、前後には、舞に対する評が入る。このあたりが、明日の観音様のまつりとの大きな違いだ。
 面をつけた顔を評する声。「ぴったり合うねえ」「顔がすっぽり入るねえ」「小さい顔だからねえ」
 茂樹さんと税さんの飛び回るような花ざさらには、年配の衆から「がんこ若いつのはええのー」の声があがる。こういうときも「がんこ」って言うんだな。


20060213

口開け

 今日は図書館は休みなので、近所の「国盗り」で、新井恒易を読む。じつはこれまでは舞の伝承にばかり注意が行って、詞章のほうにあまり関心を払っていなかったのだが、あらためて読み直すと、なんとも味わいが深い。
 たとえば、祭りの最初に歌われる庭ならしの神歌。これは境内にあがってすぐ能衆全員が歌うもので、舞もないので、いつもは軽く聞き流していたのだが、よく文句を読むと、月を言祝ぐくだりがあって、一八日月の出に合わせて始めるにふさわい、よい内容であることがわかる。

 やいやあ ひがし(東)山こまつ(小松)かきハけ(分け) やいや いづるつき(月)んよう いつる月 西ゑもやらぢとやあ ここでてら(照)さんよう ここれてら(照)さん ここもてらする やら目出たや

 黒法師山から出る月を、西へもやらさず、ここにとどめおいていつまでも舞おう、という気持ち。

 午後、舞をめぐる会話のジェスチャーを起こすうちに日も暮れる。

 今日は、夜の7時ごろから、別当宅で口開け。ぼくはご挨拶だけして、練習場へ。先に来た税さんと寿さんが「いよいよはじまるね」と言い合っていて、こちらにも祭りの気分が伝染してくる。与一さんが来ると、さっそく御子舞の練習が始まる。おととしあたりから、なんだかいちだんと練習時間が長くなってきたような気がするが、今年も早い。
 口開けが終わると、別当を始め、主な能衆が練習に合流してきて、二台のこたつのまわりもにぎわしくなる。別当の高木さんが柱の前に立って、高砂や花ざさらの謡を歌うのを聴いていると、「いよいよ」はじまったなという感じがする。夜の10時を回ったところで解散。


20060212

長野県につかってくる

 午前中、図書館でデータおこし。そのあと、寿さんと税さんの練習を拝見してから、県境の峠を越えてかぐらの湯に。「一週間に一回は行ってる」という税さんの運転は凍った道も手慣れたもので、ハンドルの手応えからわかるのか「ああ、ここはシャバシャバだね」とか「このへんはガンコ固いね」といったぐあいに、雪の感触を確かめながら、兵越峠の急な坂道を降りていく。「がんこ」という語をこちらの人はよく使う。「すごく」とか「ごっつ」といった意味。
 かぐらの湯はしょっぱい味で、ナトリウム泉らしい。露天風呂に入るときに風が冷たくてびびったが、湯はしごく温かく気持ちよい。
 ちょうどやっていた霜月祭の神楽を少し見てから、さしみこんにゃくや五平餅など「精進」な昼飯を食べ、お二人の四方山話をあれこれ聞く。
 帰りに、佐々木さん宅でさらにお話を伺って帰る。水窪に通い出してから長野県まで足をのばしたのは初めてで、温泉効果なのか精進効果なのか、なんだか浮世離れした気がする。


20060211

図書館にこもる

 午前・午後と水窪図書館で資料読みとデータ整理。会話おこしをかなり根をつめてやったが、2分ぶんを音声のみおこしたところで時間切れ。
 新井恒易の「中世芸能の研究」という本をふと手にとって読み始めたら、これがとんでもなくおもしろかった。東海地方の田楽を中心にあちこちの祭が記載されているのだが、その資料収集の徹底ぶり、そしてときどき挟みこまれる、現地調査を行った人ならではの体感を乗せた記述にうならされる。
 この本での西浦田楽の記述は、1948年の取材をもとに作った私稿本をもとに、1968年の見学を加えて書かれたものらしいが、まだ電灯が通っておらず、石油ランプの光源をたよりに舞が行われていたころの月の明るさ、タイ(薪)の明るさが、顔の火照りを感じるほどに書かれている。  

 やがて柱松はばりばりと音を立てて燃え出し、火の粉は天をこがして南ダイが燃えつくして暗くなっていた庭は、真昼のようにぱっと明るくなる。また、この巨大な柱松のために、冷えきっている祭の庭も火照り、生気をとりもどす。(お船渡)

 すでに時刻は午前二時に近く、燃えつくした南ダイの跡には真赤な炭火が盛り上り、柱松の北ダイも根元の地上近くまで燃え、元気だった子どもたちも松火のまわりの地上にごろごろと、芋の子のように寝ころんでいる。(蔵入れ)

 このような光のあり方は、カメラ用の照明がまぶしく舞を照らす現在ではまったくなくなってしまった。
 鳳来寺をはじめとする他の田楽との比較もおもしろく、藤田さんとコピーをしまくった。


20060210

西浦へ

 新幹線の中でようやく足穂論を書き上げる。13:00、浜松へ。ちょうど藤田さんがレンタカー屋の前で手を振っていた。152号線を北上し二時間ちょっと水窪へ。今年は中村屋に宿泊。  夜、別当さん宅に立ち寄った後、境内に上がると、月が明るい。まだ満月には五日あるが、本が読めるほどだ。これくらいの暗がりの中で昔は田楽舞を踊っていたのだろう。練習場へ。今日の練習は、口開けの前ということもあってか若い人が中心。「くらまってこんな感じだっけ?」と、見覚えた踊りを冗談交じりに「感じ」で踊っているのが楽しい。なぜか腕の振りや腰の振りに「感じ」が出ている。結局19:30くらいからはじまって22時過ぎまで。


20060209

ONJO@新宿ピットイン

 新幹線の中で目をしょぼつかせつつ原稿。最近、何人かの知人から「新幹線の中で仕事をしてるとつい眠ってしまう」という話を聞く。ぼくも、どうも最近、以前にくらべて新幹線の中でパソコンの画面を見るのがきつくなってきた。年のせいなのか、以前に比べて車体の揺れが変わったのか。

 昼過ぎから新宿ピットインでONJOのソロバージョン。あとで夕方のライブを聞いたときに分かったのだけど、このソロバージョンを聞いておくと、アンサンブルに対するこちらの耳の分解能がよくなっておもしろい。ホーンセクションの四人の個性の差が改めてよくわかる。Sachiko Mの演奏で一カ所、確実に「あぎゃ!」という人の声に聞こえるところが。 ここのところ音韻のことばかり考えているので、楽器とは人間のどんな声をシミュレートしているのか、ということばかり気になって、サイン波演奏すら、これはBか、これはPか、Bだとしたらそこでシミュレートされているのは「太さ」か「接触面の広さ」か、などなどと妙な思考。

 宇波君のオブジェクトをソロで聞くのは初めてだったが、あの謎めいた装置だけで次に何が起こるか緊張させ続けるのはすごいと思った。最後の(、と、終わってから分かるのだが)ビープ音の間。

 石川さんの笙は、やはり、吹くときと吸うときの音が踵を接しているところがいいなと思った。あたりまえだけど、吹くことと吸うことは両立しないから、けして二つは混じらない。混じらないのだが、離れていない。昔、理科の実験で、柔らかいナトリウム金属を切ったことがあるが、なぜかあの感触を思い出した。

 アルフレッドのバスクラリネットは圧倒的な音色。彼の横顔とバスクラのぐにゃりと曲がった歌口の形とが、対話する二人であるかのよう。「ちょっと思いついたことがあるので」と二度もアンコールをしたのだが、それがクラリネットのタッピングにエフェクタをかますとか、でかいボタンを弦で弾くとか、ほんとーーーーーにただの思いつきで、困った中年オヤジの一面を見た。

 夜はONJO。コンダクションの限られた手がかりから、どれだけまとまった、しかし思わぬ音が出るか、そのバランスがおそらくはこのアンサンブルの魅力で、おそらくはそのバランスが、安定しているのだが予想がつかない、という際どくもおもしろいところに来ていると聞いた。この大人数で各人の音の聞かせどころを作っていくのはたいへんだと思うけど、まったく異質の楽器が組み合わさっているのに、とても説得力を持ったタイミングで鳴っている。第二部ではストリングスが入って、イトケンさんと大友さんとのダブル・コンダクションもあり。
 よい意味で、「まかせる」とはどういうことかをあれこれ考えさせられた。たくさんの手がかりによってこちらの意図を正確に伝えるのではなく、いかに少ない手がかりに絞り込んだ上で、そこで起こることを「聴く」か。コンダクションは、指示することではなくて、「聴く」こと。

 それにしても二時間以上立ちっぱなしで、ちょっと腰にきた。

 ユリイカの足立さんと久しぶりに話し、締切りの融通を聞き出す。打ち上げでなぜか、ヘンなTシャツを買う。


20060208

 ほんとうに今年はよく雪が降る。家のエアコンはどうも効きが悪いので、喫茶店に出て仕事。青土社に何度も電話をかけるが、それは締切を延ばしていただくための画策である。電話をかけているあいだに書けばいいのだが。


20060207

虹を見たかい

 北東を向いた二階の研究室の窓の向こうに、大きな虹が出る。彦根は平地で高い建物も少ないので、よく虹が見える。しかし今日の虹は特別で、根もとに強く日が当たって、まるで光が地上に突き刺すかのように輝いている。窓を開けると、あちこちで、きゃーっと絶叫があがっている。首を出すと、半天を覆うほど大きな、完璧な半円形が見えた。こんなにすごい虹は初めてだ。カメラを取り出したけれど、とても収まる大きさではないのであきらめた。
 絶叫を聞きつけた学生が、なになに、なにが見えるの?と言いながら、ぽかんとしている。ああ、彼の背の虹は、もう消えてしまうのに。
 雲はおそろしいほど速く動き、半円はほんとうにあっという間に、消えてしまった。


20060206

 またしても雪。もう雪には倦いた。原稿を書く。


20060205

バートン・クレーン作品集

 バートン・クレーンは、復刻版でいくつか聞いたことはあったけれど、なんといっても、渕上純子さんが「ふちがみとふなと」で以前からライブでカバーしているのがすばらしく、まとめて聞きたいなと思っていた。ところへ、なんと25曲入りのCD集が出た。企画立案は文藝別冊「大瀧詠一」特集やユリイカの「はっぴいえんど」特集でもおなじみ、ナイアガラーの石川茂樹さん。

バートン・クレーン作品集

 渕上さんが何年か前に、彷書月刊でバートン・クレーンをとりあげていて、その中で、彼の歌はほかの戦前の歌と違って、どういうわけかぜんぜん懐かしさを感じない、ということを書いていた。まったく同感だ。

 たとえば、「ニッポン娘さん(ポクポク小馬)」の、あまりにあっけない感触。あちこちの街で娘さんに「いかがです」と声をかけては馬で通り過ぎてしまう歌。つれないのは娘さんではなくて歌い手のほうではないのか。この歌で繰り返される「ポクポク」というフレーズの絶妙なとりつくしまのなさ、遅いのにけして追いつけない夢のようなそのPの魔力に、「ポロポロ」を書いた田中小実昌が反応したのもじつに納得がいく。

 慇懃無礼な直訳のカタコトに乗せられた感情が、思わぬ愛嬌を生むのだが、その愛嬌は、聞き手の感情を揺さぶるというよりは、なんだか狙いの定まらない爆弾のように聞き手のまわりにふらふらと着弾する。
 「月光値千金」のような優雅な訳詞を持つ歌詞も、バートン・クレーンにかかると「月を眺めなさい」と命令形(確かに原詞は命令形なのだが)、しかもその命令はやけに陽気な声で、聞いているわたしめがけて、というよりも、わたしの背後めがけ、放物線を描いて飛んでいくようなのだ。
 彼が直訳で「The sunny side of the street」を歌ったらどうなるだろうなどと想像してしまう。上着つかみなさい。帽子とりなさい。悩みごとは玄関においてきなさい。おもてに飛びだし日向を歩きなさい。足音軽くポクポクたのし、日向にいればこの世はたのし。以上をカタコトで歌いなさい。
 バートン・クレーンの経歴については、CDに解説を寄せている山田晴通氏のページに詳しい。

 今週末に行く水窪の天気を調べようと思ってyahooの天気予報を見ると、どうも妙なことになっている。表示されている気温がやたら暖かいと思ったら、どうやら浜松の天気が表示されているらしい。市町村合併で浜松市に吸収されたせいなのだろうか。


 

20060204

「死者の書」を読む

 昨日に引き続き朝から雪。

 部屋にこもって、折口信夫の「死者の書」を読む。詞の音のあちこちに手がかりがある。ゆっくりと、しかし緩みなき速さで読むことで、それらの手がかりに気づくことができる。
 いっけんすると、古代のたおやかなことばで綴られているようだが、それだけではない。たとえば、突然「たぶう」という外来語がひらがなで忍び込んでいて、ちょっとぎょっとする。そこから、たぶらかす、なぶる、かぶる、かぶく・・・と、和語の波紋は禁忌(たぶう)の浮き沈みに揺らされて、頭の中で広がる。
 句読点の打ち方にも、独特の調子がある。とくに、ふだん語尾を急ぐ口調で話すわたしにとって、最後の句点近くに置かれる読点は、読み始めのうちはなんだか読書の歩みを弱められるようでつっかかるのだが、なれてくると、したしたと水分が浸みてくるように、文の最後までゆっくりと体液が充ちてくるのがわかってくる。
 いつもの「近代読者」的な、音を頭に浮かべない速読とは違って、とても時間がかかる。途中で茶を何杯も飲み、ようやく読了。当麻路(タギマジ)の寺にいつか行きたいと思う。

 覗きからくりや、浮絵のページをまとめ直した。「覗きと遠近法


20060203

タクシーの行き着く場所

 卒業論文の諮問。データと向き合った時間の長い人は、論旨の巧拙によらず、受け答えに芯がある。毎年、当たり前のことながら、時間をかけた人には時間をかけただけの空気が備わるのに、驚く。

 昼から窓の外で横殴りの雪。夜半近く、もう自転車では帰れないので、タクシーを呼ぶ。「今年の冬はどうかしてますよ」と運転手が言う。タクシーでの会話はいつも天気の話で始まるのだが、だからといっていつも同じ話になるわけではなく、雪の日には雪の日のエピソードがいくつも引き出される。この前のセンター入試で彦根の寒さに驚いていた受験生の話。「受験生、そういうときはゼイタクしてタクシーに乗るんですね」。お互い目的地がどのあたりかはわかっているので、そこに着くまでの時間を見越しながら、話の広がりぐあいをはかっている。もっとも、話が盛り上がり過ぎて、金を受け渡しながら急いで切り上げることもある。
 常に天気の話から転がり始めて、まるで違う場所に出る会話、家に着く車。


20060202

極薄のこちら側

 足穂の「弥勒」に、極薄のトレーシングペーパー。

 夏、明治末に建てられたという古い、黒ずんだ館の周りは守宮(やもり)だらけであった。(中略)
 磨硝子の外側に、それぞれに吸盤のついた指をひろげてへばり付いているのを、そのまま輪郭に取ろうとしてこちら側の粗面の上で鉛筆の先を動かしたとたんに、相手はびっくりして逃げ去り、それは確かに三日間は出てこなかった。
(稲垣足穂「弥勒」)

 写し取られなかった守宮の輪郭のことを考える。写真未満。


20060201

手袋

 朝から雨なれど自転車で大学へ。今年の冬は防水性のついた分厚めの通勤用の手袋をしているのだが、ずいぶん重宝している。確か1000円もしなかったと思うが、自転車に乗ったときの感じがずいぶん違うのだ。
 冬の自転車では何がつらいといって、手がかじかむのがいちばんこたえる。手から体にしんしんと寒さが伝わってきて、ああ、もうこんな生活イヤ、という感じになる。しかし、この手袋をしていると、雨や雪のときでも「あ、寒いけど、けっこういけるじゃん」という感じになる。手が温かいだけでずいぶん体感が違うものだ。