かえるさんレイクサイド (15)



梅雨が来た。季節はかえるのものだ。誰もが昼は詩作に励み、夜はげこげこ鳴く。新聞ではかえるの歌を募集していた。「6月のうた、応募締め切り迫る、本日消印有効!当選作はラジオにて発表」かえるさんは新聞を閉じると、喫茶かえる純正ぼうふらミックスを一口飲んだ。手元にはカウンタの横から取ってきた応募はがきがあった。かえるさんは頭の中で歌のはじまりを探していた。


歌がなかなか始まらないので、かえるさんは喫茶かえるを出た。イタドリが茎を伸ばして道をおおっていた。イタドリの葉っぱは、ふちの途中がきゅっと角になっている。そのきゅっとした角を見ていると、かえるさんの頭にむくむく湧いてくるものがある。角を吸盤でなぞってみた。湧いてきたのは歌の出だしだった。「きみがぼくのうた、おんちっていうけど」どこにメロディがあるのかわからない。でもまぎれもなく恋の歌だ。かえるさんはさらにイタドリの角をなぞった。「ぼくはけろ、ぼくはけろ、あんまりきにしない。」いい感じだった。かえるさんは忘れないうちに応募はがきに書きつけた。


「だから、だからこれからぼくのこと」詩は明らかに核心に近づいている。かえるさんは歌を繰り返しつぶやいた。これからぼくのこと。これからぼくのこと。ぼくはどうしてほしいんだろう。そのとき、葦のかげから、えけえけ、と声がした。におちゃんだった。かえるさんのイマジネーションはがらがらと崩れた。えけえけ、ともう一度におちゃんが鳴いた。人の歌を小馬鹿にしたような声。だめ押しだった。完膚なきまで叩きのめされた。もう恋の気分がかえってこなかった。これからぼくのこと。これからぼくのこと。いくら言い直しても、すかすかのつまらないことばにしか響かなかった。


かえるさんはあきらめて川辺を歩いた。ポストの前を通りかかると、最後の郵便回収がやってきたところだった。かえるさんは書きかけの応募はがきを見て、余白ににおちゃんに言いたかったことをぐしゃぐしゃ書き足した。「ぼくのこと、おんちっていっちゃダメ!」。郵便屋さんに見られると恥ずかしいので、直接回収袋に入れようとした。「袋の中に手を入れないで下さい。こちらで受け取りますから」郵便屋さんは、受け取った葉書を表裏を確認して、表情ひとつ変えずに袋に入れた。


翌日、喫茶かえるでげこげこモーニングを食べていると、有線からラジオが流れてきた。「Jの次はK、明日のかえるポップス、びわラジオK−POP6月のうた、今月も当選した詩に曲をつけてみました、ちぇけ」DJけろっぐがスクラッチに合わせて歌い出した。「きみがぼくのうた、おんちっていうけど」とつぜんラジオの音量が上がったような気がした。「ぼくはけろっ。ぼくはけろっ。あんまりきにしなーい。」曲は一気に盛り上がった。「だから、だからこれからぼくのこと、おんちっていっちゃ、ダメ!」かえるさんの頭から肩のあたりが急にすずしくなった。


「いえーい、DJ的にもきゅっ。前半は月並みだけど、最後の展開があまりに意外でけろっ。かえるさんの作品でした。いやあ、どうやってこういうの思いつくんでしょうか」えけえけという声が聞こえたような気がしてあたりを見まわした。きゅっ、きゅっとかすかな音がしていた。マスターがカウンタの向こうで皿をふいていた。店の中にも、窓の外にも、におちゃんはいなかった。顔をなでると、少し寒イボができていた。かえるさんは寒イボのでこぼこを指でなでた。イタドリの葉っぱの角のことを思い出した。





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