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細馬宏通の著作

『うたのしくみ』
うたのしくみ副読本

「ミッキーはなぜ口笛を吹くか」
ミッキーはなぜ副読本

介護するからだ副読本

書影

「はじめに」の前のまえがき

 『介護するからだ』は、わたしが認知症高齢者グループホームに通うようになってから見たこと、その間に考えたことをまとめた本です。介護に興味のある人はもちろんですが、日常の人と人とのやりとり、とりわけ声と身体動作のあり方に興味のある人にも読んでいただければと思っています。

 わたしはふだん、日常会話で人がかわす動作や、共同作業をするときの声と動作のタイミングについて調べています。これまで扱った場面は、ちょっとした雑談をはじめ、じゃんけん、カードゲーム、アニメーションの筋書きの説明、洞窟探検の紹介、漫才のボケとツッコミの関係、囃子の練習、方位についての語り、祭りの準備など多岐にわたっていますが、どの場合にも共通しているのは、当事者がお互いの声と動作のタイミングをみるみる絞り込んでいく過程に注目していることです。『介護するからだ』は、この「タイミング」の問題を扱っている点で、こうした仕事の延長上にあります。意外に思われるかもしれませんが、わたしにとって『介護するからだ』の内容は、これまで音楽について書いてきたこと(「うたのしくみ」)やアニメーションについて書いてきたこと(「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」)に通じているのです。

 認知症高齢者と介護者の関係では、ちょっとした立ち上がりやベッド介助、入浴、食事やトイレの介助など、介護には、なかなかうまくいかないこと、昨日までうまくいっていたことが今日はなぜか停滞してしまうことがさまざまな場面で起こります。そんなときに、「介護者の言うことをきいてもらう」というところから始めると、どうしても、「言うことをきかせる/きく」という関係を築くことになります。そうではなく、お互いの声や動作のタイミングを合わせる、そのための環境を整える、というところから始めることはできないか。それがわたしの立てた問いです。

 でも「言うことをきかせる/きく」という関係から脱するために、具体的にどこから手をつければいいでしょう?

 まず最初に、わたしたちがことばの正確な内容によってお互いに理解しあい、助け合っているのだという考えをいったん棚上げにしてみようと思います。そのかわりに、わたしたちは、自分の動作を調整するために声をあげ、体を動かすのだと考え直してみます。介護では、ことばの内容によって相手に怒りや失望を感じたり、冷静さが失われてしまう場合がありますが、それを、内容じたいの問題ではなく、ことばと動作のタイミングの問題としてとらえ直してみるのです。

 いったんことばの内容を棚上げにすると、介護者の方が、自分のごく当たり前にやっている行動がうまくいかないことに「驚き」、自分と相手の行動がなぜタイミングが合わないのかを問い直すきっかけが見つかるようになります。『介護するからだ』では、介護施設の日常で見つかるさまざまな「驚き」ときっかけを取り上げ、その背景を考えながら、少しずつ、わたしたちが当たり前に感じている日常行為のタイミングについて考えてみたいと思っています。

 介護の場面で起こるさまざまなタイミングのずれは、実は介護の中で閉じている問題ではありません。わたしたちの日常のやりとりもまた、さまざまなタイミングのずれとその修正によって成り立っています。この本では、両者の共通性を明らかにするとともに、両者にどのような違いがあり、介護の場面で何に注目したらよいのかについて、いくつかの提案をします。介護の話以外にも、音楽やいわゆるアール・ブリュットの話にも寄り道しますが、これもまた、介護の問題を外に開くための試みとお考えいただければ幸いです。

 では、『介護するからだ』の「はじめに」でお会いしましょう。

 (細馬宏通)


「介護するからだ」目次

はじめに
1. 動きをつくる動き
2. かしこい身体に気づく
3. カンファレンスという劇場
4. 環境に埋め込まれた記憶
5. 音楽が動きをひらく
6. 持続と変奏:彼らのやり方
7. 心ない心理学へ
終章. なぜあの人は「できる」のか
あとがき