琵琶湖名所鳥瞰図(右部分)

migi


 竹生島中心主義。世界は弁天様の下に集まる!と断言してしまいたくなる大胆な構図。
 ぼくは現在、彦根に住んでいるので、まずそこに目がいく。画面でいえば左下端だ。湖東の沿岸を初三郎は丁寧に描いている。汽船は彦根城の右の橋をくぐり、小さな湖に入り込み、国鉄駅のそばから出航していたことがわかる。この内湖をはじめ、多くの内湖が大戦中や戦後に干拓のため埋め立てられてしまい、陰影に富んだ湖岸は姿を消した。食糧難対策のためとはいえ、琵琶湖は貴重な観光資源を失ったことになる。
 ふだん彦根に暮らしていると、東は鈴鹿山脈に隔てられているため、岐阜や三重地域の気配を感じることはほとんどない。大垣や名古屋に出るためには、いくつかのトンネルを抜け、関ヶ原を越えなければならない。ところがこの地図を見ていると、その大垣や名古屋が、山を越えてすぐそこに描かれている。まるで頭のうしろのかゆいところにいきなり手が届いてしまったような、奇妙な到達感にとまどってしまう。糸のごとく垂れている養老の滝がそのうしろあたまをなぜる。大垣?名古屋?絵図の上はそれどころか、東海道を一気に東京までたどりつく。伊吹山が雄大に描かれている。その手前にあって、さすがの富士山も赤子のごとし、箱根にいたっては、せいぜいもぐさの山に過ぎない。
 
 初三郎のデフォルメがいかんなく発揮されているのは画面右上部分。北陸本線をたどって日本列島はぐいとその背骨をそらせる。敦賀から直江津、青森、函館、そして遠く樺太が望まれる。これもまた、当時の膨張する日本の欲望を率直に描いた結果だろう。
 画面左上、大溝港の紹介にはさりげなく次のような下りがある。「尚大溝港より数町の処に瑞雪院あり寛政年中露人北辺に冠する時カラフトに渡り之を我領土と定めて帰りし幕府の志士近藤重蔵翁の墓あり」湖西の山々に守られた大溝の奥地から、対岸の屈曲する赤い省線をたどって、はるか水平線の彼方のカラフトがまなざされているのだ。