絵葉書の登場により、通信文のないハガキが出現するようになった。用件のないハガキ。しかし、たとえ通信文がなくとも、ハガキを選び、ハガキを送るという行為は残る。発信されたハガキは、そのハガキが発信者によって選ばれたこと、発信者の意志によって送られたことを示す。
 通信文のない絵葉書は、発信者の名前が記されることで発信者の無事を知らせ、発信地のスタンプや発信地の風景によって発信者の所在を知らせることになる。そして、世界に数ある絵葉書の中からその絵葉書を選んで送ることで、自分の趣味を知らせることになる。ちょうどホームページに貼られた画像が、ページ作成者のセンスを伺わせるように。
 ・・・と、ここまで考えてから、上のオランダ製の絵葉書を見てみる。通信文はない。スタンプから絵葉書はオランダ国内で発信・受信されたことがわかる。日本の農夫、とキャプションにはある。フジヤマを描いたセットの前でキセルを構えて格好をつける男。なにやらコスプレめいているのだが、なんのコスプレかわからない。あえて言えば、農夫と猟夫と漁夫の折衷の果てにある、謎の日本人のコスプレ。横浜写真の雰囲気に近い。
 いや、それよりも、発信者は何のつもりでこの絵葉書を送ったのか。絵葉書には発信元の住所さえ書いていない。ただサインがあるだけだ。とにかく、発信者はこの絵を受信者に見せたかったのであり、この絵を選んだ自分を見せたかったのだとしか捉えようがない。火星人にダジャレを言われているような気分だ。もしある日、誰かから、こんな無言絵葉書が届いたらどうしようか。

19991006


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