一枚の絵葉書から

(その12)

明治38年の東京遊覧

細馬宏通



 樹は枝を茂らせ、その枝から分かれたことばがはがきの余白を埋めている。地上では自転車が、シャッタースピードにもとまらぬ速さで疾走している。
 木陰では、ある者はしゃがみ、ある者は立ち上がって、その自転車を眺めている。自転車の動きにつれてぞろぞろと樹のまわりを移動するのかもしれない。
 いっぽう外周をとりまく見物人たちは、まるで背の低い公園樹のように、思い思いの姿で立っている。日傘に帽子という、活動には不向きいでたちからは、マグリットの絵のような浮き世離れした静けさが漂ってくる。

 公園での自転車競争という光景はいつごろから起こったのだろうか。石井研堂「明治事物起源」には、明治3年に日本にはじめて自転車が登場してから明治中期までの歴史が綴られている。初期には木製で遊具の域を出なかった自転車は、丸ゴム、空気入りゴムが導入されるに従い、明治30年ごろには交通手段のひとつとして流行するようになった。その証左として、明治31年11月に自転車練習場「神田西紅梅町遊輪クラブ」が創立されたことが挙げられている。
 ヒロイン初野が自転車に乗る小杉天外の「魔風恋風」は明治36年なので、この時点ですでに自転車は一般化しつつあったと言えるだろう。また森銑三は「明治東京逸聞史」で、台湾の自転車ブーム(明治39年)の記事を挙げながら、この時点で、すでに日本各地で素人自転車競争が行なわれつつあったことを記している。この写真絵葉書に写されているのは、おそらく明治三十年代に流行しつつあった自転車競争の光景なのだろう。

 葉書は東京から京都に宛てられたもので、文面には、東京遊覧の様子が書かれている。簡単にこれまでの旅程を書き連ねたもので、「千代子様」とあるところを見ると、あるいは付き添いのものが主人に報告しているのかもしれない。

八日の両国の川びらきに千代子様と二人で浅草ばしの○○様へゆきて見ました。にきやかでありました。其の次と まりましてあくる九日あさ深川不動産へ参詣八幡さまへも参りました、其の次吉原を見せていただき十日あさおきぬけに向ふ島の百花園へつれて下され帰りに浅 草のあやつりパノラマ水族館など見せて下され□□□千代子様とくるまで本郷へ帰りました。そして四条イルミネーションノ葉がきを見ました。是ハ日比谷公園 です隅田川の舟に□□のりました皆様にもよろしく

 両国、深川、吉原、向島、浅草、本郷と、書き手はなかなかこまめに移動している。あやつりパノラマ水族館と見世物が並んでいるものの、感想めいたことは書かれておらず、文面は絵葉書と同じく静かである。まるであちこち動く自分たちを、日傘の男のように眺めている風情だ。

 「是ハ日比谷公園です」と絵葉書写真は説明されているのだが、書き手ははたして日比谷公園に行ったのだろうか。絵葉書の光景と書き手との関係もま た、疾走する自転車と日傘の男との関係のように、ひどくそっけない。たまたま絵葉書の中央に写しこまれた公園の樹に託すかのように、空には固有名詞の実が なっている。




20030810




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