のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」見聞記

その1

細馬宏通

はじめに

 新潟市から越後線で南西に下っていく。右側にはなだらかな砂丘があって空を背景に松並木が並び、その向こうに海の予感がする。内野駅を過ると、砂丘とともに海の予感は遠のき、急に広々とした田園が開ける。むかしこのあたりは、複雑に分岐しては接続する信濃川流域の湿地帯で、そこには大小の潟があった。目の前に開けている田園は、江戸期以降に行われた潟と湿地帯の「水ぬき」によって生まれたものだ。かつてこの地域を浸していた水は、いま、遠のきつつある日本海に向けてひかれた「新川」によって海へと流された。  新潟県西蒲原郡巻町は、この信濃川下流の広々とした田園地帯の真ん中にある。西には角田山があって、日本海の荒風から隔てられるかっこうになっている。

 この巻町の郷土資料館にのぞきからくりが収められていると知ったのは小沢昭一「新・日本の放浪芸」の映像がきっかけである。そこには小沢氏がぐっと腰をふんばって覗き穴にかぶりついておられる後ろ姿が映っていて、そのせり出した腰がいかにも秘密を独り占めするガキ大将のヨロコビにあふれていて、じつにうらやましくなった。映し出されているからくりは文献で知るからくりよりもずっと大きく色も鮮やかで、ぜひこの目で見なければという気になった。

 2003年3月29日、資料館の方にお願いしてこののぞきからくりを拝見するとともに実演も見せていただいたので、ここにその見聞記を書きとめておく。なお、巻町郷土資料館資料目録No.10「のぞきからくり -その構造と機能-」には、内藤富士雄氏による各部位の用語解説と計測された図版、斉藤文夫氏による上演中の光景や各中ネタの写真が収められており、随所で参考にした。
 なお、のぞきからくりの歴史については、「のぞきからくりの歴史」に書いたのでそちらを参照されたい。また、母親が幽霊に化けて継子をいじめるというこの奇妙な物語の由来については、「『幽霊の継子いじめ』と昔話」に詳しく書いたので参照されたい。


からくりの構造とからくりを見る身体

 巻町ののぞきからくりの本体は大きい。江戸中期ののぞきからくりが、座って見るほどの高さであるのに対して、巻町のものは、前面の覗き穴の設置されたガラ箱だけでもオトナの身長ほどあり、さらに上部の押し絵まで含めると3m以上あるという大がかりなものだ。規模としては喜多川守貞「守貞漫稿」や伊藤晴雨「江戸と東京 風俗野史」に描かれたものと同じと考えてよい。

 小沢昭一「新・日本の放浪芸」DVDにもこの「幽霊の継子いじめ」の実演は収められているが、実物のもたらす喚起力は想像以上である。からくりの大きさを目の前にすると、映像では分からなかったことがいろいろわかる。何よりも、からくりに気づき、近づき、覗くまでの感覚が立ち上がってくる。

 18世紀後半以来、のぞきからくりは見世物として進化をとげてきた。客の寄りつかないからくりは否応なく淘汰され、その構造は次第に精緻を極めていったに違いない。のぞきからくりは、巨大なだけに非常に高価なもので、「一組の値段は家作一件前以上(時価二、三千万円?)」(内藤 1988)であったという。これほどの支出を補ってあまりあるほどに隆盛をきわめたのだから、からくりの構造はその細部に渡るまで客寄せのための趣向が凝らされ、その効果をいかんなく発揮していたはずだ。
 ならば、そのからくりの構造を見ていくことで、のぞきからくりがどのように客の目に止まり、惹きつけ、金をはたいてまで覗こうという欲求をおこさせたかがわかるだろう。そこでここでは、からくりの構造を通して、からくりに近づきからくりを見るという客の行為について考えておこう。


図1 のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」各部の名称

 弧に曲がった板には覗き穴(目止め )がずらりと並んでいる。これは「ガラ箱」と呼ばれる。前面の柄模様がはなやかなので「ガラ」。このからくりでは、あざやかな紅葉と火焔太鼓が描かれている。かつてこのからくりは、資料館の少し北にある諏訪神社の境内で上演されていたのだが、ガラ箱に描かれた紅葉の赤が樹々の緑の下で映えてたいそう美しかったそうだ。これだけの大きさだから、その存在感はいかばかりだっただろう。派手な色はひるがえる幟と相まって、境内の雰囲気をいかにも祭礼らしく支配したに違いない。

 ガラ箱の両脇には太夫の立ち台があって、太夫は高みからあたりを睥睨し、行き交う客の動きを確認しながら口上を述べることができる。

 ガラ箱の上は物語の各場面をダイジェストで示した看板絵となっている。看板絵は、いくつかの部分に分かれている。まずガラ箱のすぐ上には横長の「腰巻き」。ここには主な登場人物である佐々木勇、本妻のふじゑ、妾のとみ子、ふじゑの子の静江、とみ子の子である花子が描かれている。もっとも、子供の身長では、この腰巻きはガラ箱に隠れて見えにくい位置にある。

 その上、中央には「カンノン」。このカンノンには子供に迫る幽霊が描かれているのだが、そのざんばら髪は、馬の尾か何かなのだろうか、本物の毛と見まがうほどで遠目から見ても恐ろしい。さらには、この絵の中央には向こうから手前に塀の瓦が突き出すように描かれており、からくりに近づくと、その瓦の尽きるところがちょうどガラ箱の上の稜線に重なる。つまり、家の中のできごとを塀越しに覗いているという見立て。カンノンの下にあるガラ箱の前面は、いわば塀であり、ガラ箱に開いた穴は、塀に開けられた穴なのだ。ガラ箱の内部は他人の家の内部でもある。そこで陰惨な継子いじめが行われている。
 ちなみにカンノンは、その名の通り観音開きになっていて、物語が終わると太夫が紐を引いて開き、別の絵(剃髪しようとしているとみ子)が現れる仕組み。この開かれた絵でも、ザンバラ髪は実際に毛のようなものを貼り付けて表現されており、絵から浮き出した「髪」は、とみ子の鬼気の象徴として見る者に強く印象づけられることになる。

 カンノンのさらに上には横長の「アオリ」。ここには卒業証書の授与式の場面が描かれている。やや下方に傾けられ、しかも題名を書いた看板(グラシ)の陰になっているので、距離を置くと見えにくい。遠くからカンノンの絵のおどろおどろしさに惹かれてやってきた者は、からくりのそばまで来てこのアオリの絵の内容に気づき、卒業という陽の下に幽霊という陰が置かれる奇妙さに、さらに好奇心をくすぐられる仕組みだ。

 カンノンの両側にはそれぞれ、襖一枚ほどある袖絵(ソデ)がある。この二つのソデには物語の鍵となる二人、すなわち、左にはふじゑと車夫(?)に連れられた静江、右には勇ととみ子に連れられた花子が描かれており、悲劇の影は見られない。

 ソデの上部とグラシの間には「鉢巻」と呼ばれる長細い板が渡してあり、これには紋の入った提灯や桜が図案化されている。簡単な板だが、この鉢巻とグラシは、巨大なからくりを力学的に支えるだけでなく、いわば結界のように、ソデやカンノンを周りから視覚的に隔てている。ソデに描かれたいたいけな娘たちが、カンノンで遭遇する残酷な運命は、観客の手には届かない悲劇であり、ただ覗くことによって、その悲劇をより親密に観察できるといったところだろうか。 (2003 April 01)



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