Ayame-san by James Murdoch より

Part 3 VII (2)



 疑いようはなかった。写しではない。隅には自分のサインもある。まず最初にひらめいたのは、どんな値でもいいから取り戻すことだった。しかしすぐに冷静になって思いとどまった。彼は「イクラ?」も知っていたし、日本語で数を数えることもできたから、これらの知識を組み合わせれば、値段の交渉には十分だった。が、そこから先は彼の日本語ではおぼつかない。この絵は大事な手がかりなのだ。
 ここはひとつ、通訳が必要だった。彼は店の位置をしっかりと書きとめると、英語と日本語のできる者を探して歩いた。
 今度は運がよかった。半時もすると、銅のボタンに奇妙な角帽をかぶった帝国大学の学生に行き当たった。ギフォードは躊躇なく近寄って声をかけた。学生はいたって礼儀正しい男だった。
 「よし、こいつは少し英語ができる。こいつなら何かを頼まれても喜んで応じてくれるだろう」
 ギフォードは事の次第をかいつまんで説明し、連れだってさっきの通りへ戻った。指を立ててスケッチを指す、と、驚いたことにそこにスケッチはない。あたりを見渡して店を間違えていないか確かめた。が、近所にはそれらしき場所はない。店の側には玩具屋の屋台、反対側には三味線屋、ノートにもそう書きとめてある。気が高ぶった彼は、自分があらぬ考えに踊らされているのではないかと思い始めた。
 学生の方を向いて起こったことを話してみた。
 「は!はあ!」学生の後半分の声には同じ驚きを分かち合う響きがあった。
 学生は店主に、半時ほど前にスケッチがなかったか尋ねた。年老いた女店主は体が半分になるまでお辞儀をして詫びた。そして言うには、ほんの数分前に絵を売ってしまったのだ。学生の説明を聞いて、ギフォードは自分が運命に弄ばれているかのように思われた。
 「誰に売ったのだ?」
 「オジョーサマ(若い女性)がいらして九十銭でお持ちになられました。けれど貧相でぼろぼろの絵でしたものですから」これにはギフォードも苦笑した。「もっといいものがたくさんございます。この絵など、じつに見事な」
 学生は急いで女店主のおしゃべりを止め、目の前の外人がその種のものをほしがっていないことを伝えた。とはいえ、いくつかの質問に答えてもらうからには手間賃を払わねばならない。
 店主の目は喜びに輝き、再びお辞儀をすると、元通り、かかとの上にお尻を乗せて座り、両手を膝かけに入れた。
 「この女主人はどこで絵を手に入れたのか?」
 「どこででございますか?ああ!ごくまっとうな取引で手に入れましたのです。ハグチという質屋から買ったのでございます。」
 「いつ買ったのだ?」
 「いつとおっしゃいますか、二ヶ月前か - もっと前かもしれません。」
 「あんな絵を買うような若い女性とはどんな人だろう? むろん日本人なんだろうね?」
 「ええ、もちろん日本のオジョーサマですとも。とてもかわいいオジョーサマでございました、背がすらりと高くて、きれいな眼に睫毛が長くて。若いのにとても気前のよい方で、ちっとも値引きをなさいませんで、こちらの言い値ですぐに買われたのでございますよ。」最後のことばにはやや後悔の念が混じって聞こえた。それほどまで買う気だった客に、高値を言い損ねたからに違いない。
 「けれど、どんな値でもお求めになったことでしょう。たぶん、ご自身のおとうさまの絵だったのではないかと存じます」
 ギフォードの心臓はこの推理に飛び上がらんばかりだった。この老女の考えがほとんど的を射ているとしたら! 買ったのはアヤメ以外の何者でもない!
 これ以上聞き出すことはなかったので、ギフォードは女に何銭か渡して立ち去った。学生が、一緒について説明をしようと持ちかけてきた。ギフォードは一人でいたかったが、親切に申し出られた好意を断るほど無礼にはなれなかった。


前へ | 次へ

表紙 | 口上 | 総目次 | リンク | 掲示板