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19990809




 空港までゆうこさんを送る。猫によろしく。これからは一人旅。

 せっかく空港まできたのでアムスまで足をのばす。トラムに乗ってゴッホ博物館に行くと、うわあ、すごい行列。なんでどいつもこいつも(そしてぼくも)ゴッホなんだ? 他にいろいろあるでしょう、たとえば映画博物館とか。というわけで近くの映画博物館に行ってみたが、特に展示はなくただのシネマテークだった。しかもメニューはまたドヌーブだ。よし公園でなごもう。しばし昨日買ったタコス(これがまだ山ほどあるんだ)を昼飯がわりに食いつつなごむ。池の端をうろうろする犬とインラインスケートで突っ込んでくる人とかを見ながらなごみ続けてずいぶん経った。さて、少しは行列が減ったかな。ゴッホ博物館へ。よし、まあ待つ気になる長さになった。
 小学校の頃から自画像だの糸杉だの黄色い部屋だのを名画として見せられてる上に、ゴーギャンとの蜜月と別れと耳切りと億単位で誰かが購入したひまわりとわだばゴッホになると、あとえーとなんだっけ、もうそういう役たたずの些末な知識ばかりあり過ぎて、ゴッホといってもどうもぴんとこないのだが、シュヘーフェニンゲンをゴッホがどう描いたかみたくてきたんだぜ、いえー。そうだ、清志郎が「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」って歌う、あの発音が好きなんだ。なんて歌だっけ。車がかばのようにつぶれてる歌だよ。しかし実際の絵を目の前にしてもどうもしっくりこないな。知識がじゃまをしてるんだ。
 説明書きを読んで知識を知識で駆逐してみよう。
 どの職業もいまいちしっくりこないゴッホは、デン・ハーグでやっぱり画家で行こうと思うんだってさ。で、ハーグ派の先生について習ううちに、最初のまとまった油絵を描く。それがシュヘーフェニンゲンの絵だ。それはハーグ派お得意の曇天の海の絵といえばそうなんだけど、ゴッホは、そこでハーグの悪天候の海を見ているうちに、たくさんの灰色を見つけたんだ。それは1882年の夏のことだ。たぶん、ちょうど今頃の海だ。

「考えるに、自然界に黒があるということを誰もがごく当たり前のことだと思っているんじゃないでしょうか。でも、黒はすべての色の中にあるのです。ちょうど白がそうであるように。そして、無限の種類のグレーを作り出し、それが調子や強さのコントラストを生み出すのです。つまり、人が自然界の中に見ているのは、じつは調子とか強さというものに過ぎない。基本色はたった三色、赤黄青です。その「組み合わせ」によってオレンジ、緑、紫ができる。そこに黒や白をまぜあわせると、無限のグレーが得られます。赤いグレー、黄色いグレー、青いグレー、緑のグレー、オレンジのグレー、紫のグレー。緑のグレーひとつとっても、そこにどれだけ多くの異なる色があるかなんてとても言い切れません。種類は無限なんです。」(7月31日のゴッホの手紙)

 絵はどうだろう。ごてごてした筆致だ。パレットで混ぜるのももどかしく絵の上でまぜたような、赤や青の残っている灰色だよ。灰色に塗り潰される前の色が生き残りを賭けて固まったようなこってりした波がおしよせてきて、メスタグのパノラマ画のような落ち着いた、誘うげな絵じゃない。
 ミレーを真似て書いた藁を抱える少年の藁はどこからどこへ続いてるんだろう。みんな青い三角柱に入ったゴッホのポスター買ってるけど、そんなの部屋に飾って大丈夫なのかな。

 帰りに本屋であれこれ物色していると、ジェームズ・タレルの「Kijkduin」という本を見つける。繰ってみると、なんとタレルはデン・ハーグで作品を作っているらしい。そしてKijkduinというのはどうやらデン・ハーグにあるらしい。ちっとも知らなかった。さらに繰ってみると、中に収められた文章にはハーグ派の話にゴッホの話にパノラマの話。ははは、これまでのことがタレルで全部つながったよ。

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Beach diary