The Beach : Feb. a 2002


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20020215

 徹夜でデータを見直しながら原稿。

 失敗する身体は美しい。スピードスケート選手の見事な腕の振りや、回転するスキーヤーの柔かい膝も美しいが、日常のなにげない身振りを失敗するごく普通の人の身体は、じつは微細な時間で見ると恐ろしいほどの論理の転換を生きている。

 人は、失敗することによって、論理と、論理の矛盾を、同時に発見する。無意識にすませていたカテゴリーが一挙に浮かび上がる。カテゴリーは人差し指になり、掌になり、親指になりながら、上昇し、回転し、着地する。そのようなことが、ほんのコンマ何秒かのうちに実現する。




20020214

 漱石が酷薄な自然としての進化を考えるとき、「心細く」なり「つまらなく」なる感覚は『木綿以前の事』に通じる。逆に言えば、漱石はそういう酷薄なものに「なり済まし」てみようとする。



 種類保存のためには個々の滅亡を意とせぬのが進化論の原則である。学者の例証する所によると、一疋の大口魚が毎年生む子の数は百万疋とか聞く。牡蠣になるとそれが二百万の倍数に上るという。そのうちで生長するのは僅か数匹に過ぎないのだから、自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である。人間の生死も人間を本位とする吾等から云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこに悲しむ理窟は毫も存在していないだろう。
 こう考えた時、余は甚だ心細くなった。又甚だつまらなくなった。そこで殊更に気分を易えて、この間大磯で亡くなった大塚夫人の事を思い出しながら、夫人のために手向の句を作った。
  有る程の菊抛げ入れよ棺の中

(『思い出す事など』)




20020213

 夜中、オリンピックを見ようと思うが結局「アッテンポローの鳥の世界」を見てしまう。何度見ても「どうやって撮ったの?」の連続。

 イギリスの森の、朝のコーラスの場面で、カメラは小さな鳥たちを一羽一羽映しながら、それぞれの鳴き声を流す。声を出すたびに、小鳥は白い息を吐く。声の大きさに白くあたためられたかたまり。




20020212

 「ピクミン −愛のうた−」は、ゲーム画面のバックに流れているうちはいいのだが、じっさいに歌手が出てきて歌うと、救いがたいほどイヤな曲になる。「およげタイヤキくん」でも「だんご三兄弟」でもそうだったが、歌い手がじっさいに口をぱくぱくさせて歌い出すと、とたんにただのしみったれた独白としてふるまいはじめる。で、ワイドショーなんかが、その独白の主を「サラリーマン」にして「管理社会」とか「リストラ」とか「デフレスパイラル」とか「ブラックユーモア」とかなんとか分析したりするんだ。ああやだやだ。

 「運ぶ戦う増えるそして食べられる」という歌詞は、食べられる者でも食べさせる者でもない視点をとるからかろうじて成り立つのだ。

 つまり、運んだり戦ったり増えた末に食べられる鈍感さと、運ばせたり戦わせたり増やした末に食べさせる鈍感さの両方を言い当てるとき、そんな風にヒトサマの人生を要約してしまえる世界の酷薄さにかろうじて触れることができるのである。食べられる本人が唄ったらただの哀れみ乞いだし、食べさせる本人が唄ったらただの「改革の痛み」だ。

 では、食べられる者でも食べさせる者でもない者とは誰か。それは、食べる者だ。ただ目の前にあらわれたものを目の前にあるという理由で食べてしまった者だけが、「食べられる」という事態を正しく酷薄に歌えるのだ。




20020211

 さて、無事にアクセプトの通知が来たので6月はテキサスで国際ジェスチャー学会だ。マクニールグッドウィンケンドンといった人たちがプレナリーセッションで話す。

 データの微細な部分をねちっこく語ることのおもしろさを早くから綴ってきたケンドン、現代のジェスチャー論の基礎を切り開いたマクニール、データの中からもっとも人間関係が鮮明に現われる部分を的確に切り出すグッドウィン、それにろう者のジェスチャーの発達や学習場面のジェスチャーを精力的に研究してきたGoldin-Meadowといった人たちの80年代以降の仕事によって、現在のジェスチャー論はとてつもなくおもしろいものになりつつある。

 逃避してiTuneに好きな曲を入れまくってみる。感心するのは、インドネシアポップのマイナーなCDとかでもちゃんとCDDBに登録されててタイトルが検索できちゃうこと。CD総背番号制。
 パソコンに入れる段階で、ついつい聞いちゃうから、入れた後はきかずに終るものも多し。で、なるべく聞かないようにしてフォルダに放り込んでから、次々とかけたのはこんなかんじ。

 FM / Steely Dan
 Doopee time/ Doopees
 I say a little prayer/ Dionne Warwick
 Little Cowboy/ Harry Nilsson
 Milkman/ Richard D. James Album
 My Little Corner Of The World/ Yo La Tengo
 Eclipse/ Joan Gilberto
 Riger/ Hausmeister
 ジングル / はじめてのフランス語
 Premiere Pensee Rose-Croix/ Satie

自動フェイドアウトをかけるといかにもお手軽な「FM」局気分になれる。ちゅうか、山ほどアルバムぶちこんで、サーバ立ち上げれば、これでインターネットラジオできるよな。




20020210

 『ガラスの仮面』にこういうエピソードがある。

 月影先生は劇団の練習生に「はい、いいえ、ありがとう、すみません」の4つのセリフだけを与える。相手のさまざまな発話に対して、練習生は4つのセリフしか使ってはいけない。うっかり4つ以外のセリフで答えたりつまったら交代する。

 練習生が次々と脱落していく中、たまたま現れたライバル劇団の姫川亜弓が飛び入りを申し出る。亜弓は北島マヤを相手に指名し、次々に難題を出す。

 「コーヒーがいい?紅茶がいい?」
 マヤは、コーヒー、といいかけて「いいえ」と答える。「あらコーヒーも紅茶もおきらい?」「はい」「じゃミルクをどうぞ」「ありがとう」「お砂糖は何ばい?」
 マヤはぐっとつまりながら「いいえ」と答える。
「まあお砂糖もいれないの・・・?」

 マヤは4つのセリフを駆使して次々に答え、やりとりは1時間に及ぶ。そしてついに亜弓は、マヤを困らせる質問を思いつく。
 「レコードをかけるわ。どんな曲がお好き?」

 マヤはとっさにレコードケースの方へ歩き出し、レコードを繰り、そして好みのジャケットを探し当てると、亜弓に向かって差し出しながらこう言った。
 「はい!」


 このエピソードがおもしろいのは、4つのセリフを言う方だけでなく、じつは質問を投げる方にとってもこれはレッスンであることが次第に明らかになっていくことだ。
 最初は、マヤが4つのセリフでその場を切り抜けることこそが、このレッスンの目的であるように見える。が、読み進めるうちに、実は、限られたセリフに次々と意味を見出さなければならない亜弓の方こそ、追い詰められているのではないか、という気がしてくるのだ。じっさいマヤだけでなく、亜弓も各コマで「アセ」をかいている。

 たとえば、亜弓の「コーヒーがいい?紅茶がいい?」という問いにマヤが「いいえ」と答える。
 ここで立場は逆転している。じつは、試されているのは、マヤだけでなく、亜弓でもあるのだ。亜弓は、マヤに「はい」と言ってもらうための行為を、新たに探さなくてはならない。コーヒーも紅茶もだめなら、それに代る何かを探さなければならない・・・ここで「じゃミルクをどうぞ」というセリフをつまることなく言えるのは、姫川亜弓が天才演劇少女だからで、凡人ならむしろ質問に窮するところだ。


 これはフィクションの話だけれど、実際に人はこうした状況におかれることがある。

 元弁護士のロブという失語症の患者は、脳の左半球に損傷を受けた結果、半身不随となった。さらに、おそらく言語野にも損傷を受けたのだろう、ロブは「Yes」「No」「And」の3つのことばしか話すことができなくなった。
 この3つの単語が残ったことは興味深い。「Yes」「No」は
隣接ペアの第二部分と呼ばれるもので、相手の質問や発話に答えることばだ。そして「And」もまた、相手のことばや自分のことばに対する順接をなすことで意味を生む。
 いずれも相手があって初めて成り立つ単語だ。

 チャールズ・グッドウィンはロブと看護婦や奥さんとの会話を分析している。(Goodwin, C. 1995. Co-constructing meaning in conversations with an aphasic man. Res. on Language and Social Interaction, 8(3), 233-260.) その結果、ロブは、身振りを交えて相手のことばに応答することで、自分の欲しいものを指定することができることがわかった。

 しかし、ことはそう簡単ではない。たとえば、食事の時間、看護婦が「トースト」をロブにすすめる。

 「トーストにしますか?」「イエス・・・アー、ノー」「チーズ?」「ノーノー」「バター?」「ノー」・・・「じゃあ」「ノー」

 看護婦は最初、「イエス・・・アー、ノー」というロブのとまどうような答えを聞いて、トーストに何をのせるかを次々に問いかけてみる。けれども「イエス」という答えはなかなか返ってこない。
 そこで、奥さんが「イングリッシュ・マフィン?」とまったく別の選択を聞く。このときにはじめてロブは「イエス」と答える。

 「イングリッシュ・マフィン?」「イエス」「イングリッシュ・マフィンがほしいの?」「イエース」「イングリッシュ・マフィン?」・・・「イエース」「じゃ何を乗せますか? ジャム?」「ノー」「バター?」「イエス」「オーケー」

 かくして、イングリッシュ・マフィンとバターが選ばれた。この結論にたどりつくため、最初、看護婦の発話は、トーストをめぐった。そして、ロブのノーの連続が、トースト以外の可能性に相手を飛躍させ、イングリッシュ・マフィンを登場させた。
 では、このとき、奥さんこそがロブの心を読む天才だったのか。
 いや、奥さんだけが一方的に相手の心を読んでいたのではない。ロブは動く左半身の手を動かし、イエスやノーの抑揚や引き延ばしを変えて、自分のことばに変化を持たせている。

 注目すべきは、看護婦が「じゃあ」と言いかけるのと同時にロブが「ノー」というところだ。この絶妙のタイミング。この切れ込むような「ノー」によって、これは単なる質問への否定ではなく、自分の置かれている会話状況に対する不満や満足を表わすことになる。
 つまり、ロブもまた、トーストからイングリッシュ・マフィンへの飛躍を生み出すためにさまざまな手管を用いていたのだ。

 3つのことばしかしゃべれないということは、3つの思考、3つの行為しかできないということではない。思考や行為は自分のことばだけで閉じているのではない。相手のことばに自分のことばを接続すること、会話で思考し会話で行為することで、お互いに意味は「共構築 co-constructing」されていく。


 そう考えるなら、『ガラスの仮面』のいくつかのエピソードで、北島マヤの奔放な演技が相手を窮地に立たせ、亜弓というライバルの登場を招く理由がよく分かる。

 マヤを困らせようとする意地の悪いキャラクターたちは、いずれも、会話が共構築であることに気づかずに、自分のかけた罠にはまっていく。天才である亜弓だけが、マヤとともに会話の共構築を生きることができるのだ。




20020209

 ソルトレイク五輪の開会式。毎回、開会式というのは見るようにしている。よくも悪くも、メディアを駆使した一大イベントには、その時代のメディアのあり方がよく表われるからだ。

 地面の下から照明をほどこすリンクの光の使い方はすばらしく、ねじれを使った聖火台のデザインもおもしろい。モルモン・シティーあなどるべからず。
 『悪の枢軸』と名指しされたイランからは選手が一人、北朝鮮とイラクからはなし。
 子供がランタンを持ってアメリカの歴史を旅するという趣向、とアナウンサーの説明。ならば先住民が病気と殺戮で次々倒れていく「銃・病原菌・鉄』な展開かと思ったが、そうではなく、ごく無難で平和な集団演技が展開された。スティング+ヨーヨーマの非戦歌唱も、「反テロ」戦争に聞こえかねない雰囲気だ。

 後半の音楽はジョン・ウィリアムス。子供主役で花火がどんぱん。なんや、ハリー・ポッターかいな。いかにも大仰な雰囲気の中、聖火リレーは最後はアイスホッケーの「チームUSA」に手渡されて点火。まさに9・11以降ブッシュ政権下の『団結するアメリカ』なイベントだった。

 スティーリー・ダンの「What a shame about me」を繰り返し聞く。メロディを叩き切るようなコード。ポール・サイモンの「時の流れに」に冷水を浴びせるような曲。おめおめと、やってきました新世紀。スティーリー・ダンの歌に出てくる都市の基本は、負け犬から見た都市であり「親父の嫌いなニューヨーク」である。「IGY」のような明るい未来ですら。

 近くの電器屋のオープンセールに行ってマグライトを買ったら無料があたった。ちょっと嬉しかったが、どうせならもっと高いものを買ったときに無料ならよかった。

 さらに原稿。




20020208

 卒論諮問。次々とこなす。原稿。




20020207

 漱石は新聞というメディアに自覚的な作家であった。最初の新聞連載小説『虞美人草』を見てもそのことは分かる。そこでは、季節は違えど、同じ年に行われた東京勧業博覧会の様子が鮮やかに書かれ、新聞紙上を賑わせた勧業博の熱気をなぞっている

 『虞美人草』でおもしろいのは、孤堂先生が新聞を読んでいる次のくだり。


 孤堂先生の車室を通り抜けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に拡げて、小夜子は小さい口に、玉子焼をすくい込んでいた。

   『虞美人草』をいままさに新聞で読んでいる読者に、紙面の裏から不意打ちを食らわせるような仕掛けだ。




20020206

 オンライン版「批評空間」Web Critiqueでのスガ秀実と高橋源一郎の議論を読んで、昨日から『「帝国」の文学』(以文社)と『日本文学盛衰史』(講談社)を読み比べ。

 で、まず、「漱石は大逆について触れたか?」という問題。これはスガ氏が圧倒的に正しい。スガ氏が『帝国の文学』第七章で明らかにしている通り、「思い出す事など」の内容は、朝日新聞紙上の発表時期を考えて明らかに大逆に触れたものだ。

 問題は、両氏がこの事実を踏まえ(あるいは誤解し)どのように、大逆と漱石の問題を語ろうとしているかにある。

 『「帝国」の文学』の本のスガ氏の論旨は、少なくとも視点ははっきりしている。それは、「天皇」制に対する態度と父(という制度)に対する態度とは相似にならざるをえない、という視点だ。したがって、大逆という「王殺し」への態度には、個人にとっての「父」の態度が反映される。
 この視点をとるなら、明治・大正文学にあらわれる「父」には、大逆事件と個人との関係が透けて見えるはずだ。

 だから、漱石が大逆について触れたかどうか、という問題は『「帝国」の文学』ではむしろ出発点に過ぎない。むしろ、その触れ方が、漱石と父親(あるいは養父)、あるいは父親としての漱石にどう表れているかが問題の中心であり、読みどころとなる。


 視点ははっきりしている。が、ぼくはフロイト流の象徴解釈にあまり肩入れしていないこともあって、抑圧的なもの、象徴的なものを「父」性として見なしていく方法には納得いかないところがあった。象徴解釈というのはどこからどこまでが適用可能範囲か、その基準がわかりにくいのだ。

 たとえば、花袋の『生』に登場する抑圧的な母親を「疑似的な父たる母」とする部分。『思い出す事など』で語られる、自然という「残酷な父母」を父と母に分離してその審級を問う部分。『従軍行』の太刀や『彼岸過迄』の洋杖や『道草』の養父の帽子をファルスとする部分。などなど。

 いっそ蓮実重彦の「漱石論」のように奔放にイメージが結合していくのなら、読むこちらも次から次へと連想が進むのだが、あくまで天皇制=父制という論理のもとに解釈は構成されようとするので、どうしても解釈の妥当性が気になる。

 たとえば『明暗』の冒頭の痔の手術の場面に関する次の注もわからない。


 ところで、『明暗』の記述によれば、その痔はファルスのパロディ的代補としての「イボ痔」ではなく、「切れ痔」である。しかし『明暗』における痔の描写のなかには、そこに「瘢痕の隆起」とか、「葡萄状の細菌」(顕微鏡によってみいだされる)といったファルスの代補的イメージも散見される。



 うーん。イボ痔手術、切れ痔経験者としては納得しがたい話だ。あの、いつも肛門が押し詰まって何かが残っているような「イボ痔」感覚が、おちんちんぶらさげてるのに似てるというのだろうか? 「メタファー」じゃなくてデリダの「代補」を使う意味はなんだろう。

 その一方で、


 「自然」主義とは「非−真理」の排除・隠蔽にほかならない


自然主義の狙いを、「もの」を「自然」そして、あるいはnatureと錯視することによって、その危機を回避していく


 など、赤線を引いた場所も多数。




20020205

 クリス・ウェア Chris Ware のThe ACME Novelty Library #15。ちょっとずつ読もうかと思っていたが一気に読んでしまう。全編ズバリ、 「I just wasn't made for these times」(「駄目な僕」)。レコゾウくん/レコスケくんのダークサイドとも言うべき「Rusty Brown / Chakie White」のようなキャラクターですら。
 The tale of tommorowに出てくる丸いモニタがたまらん。インタラクティブな未来とは、フィードバック地獄である。

 今回のおまけはなんと3Dミュートスコープ!確かに浮き出て見える!しかし切り抜いてしまったら裏のジミー・コリガンがばらばらに!もう一冊買うぞ!などと考えてしまう人間には痛すぎる、コレクター気質特集でもある。

 人間にとってすらだだっ広すぎる郊外に生きるネズミ、クインビーのせつない話は、3月にQuimby the mouseとして出版されるらしい。はやくはやく。




20020204

 大阪で会話分析研究会。
 
Goldin-Meadow, S. 1999. The role of gesture in communication and thinking. Trends in Cognitive Sciences vol.3, 419-429.
 を取り上げる。最近のジェスチャー論の簡潔なレヴューになっていて便利。

 このレヴューがよくも悪くもわかりやすいのは、話し手と聞き手をうまく分離しているからだ。逆に言えば、話し手と聞き手が相互関係を起すような(たとえば雑談のような)場で起るジェスチャーの相互関係は扱われていない。KendonやGoodwinが事例研究でねちねちと扱おうとしているのは、この相互関係の複雑さである。

 例によってJRで眠り、南彦根から自転車に乗って一気に酔いが覚める。




20020203

 新潮文庫のCD−ROM版はエクスパンドブックを使用している。エクスパンドブックでは、「注釈マーカー」をオンにすると、注のついているところがいわくありげに青色で光る。いかにも知らないと損をすることが書いてありそうで、ついついクリックしてしまう。
 本だと、いちいちページをめくって注の番号を確かめないといけないのだが、電子本だとクリック一発。こういう点、電子テキストはじつに便利。
 が、漱石の『明暗』や『道草』の注にはどうも納得できないものがいくつかある。

 とくに気になるのは、物語の解釈にかかわる注だ。入試問題の解答のような解釈が多い。たとえばこんなの。

 「彼は仕舞にその針をぷつりと襖に立てた。」→注:「夫婦のたまらないような違和感とあいまって効果をあげているところである」。いや、まあそういやそうなんだけどさ、別に取り立てて指摘することじゃないじゃん。「たまらないような違和感」なんて、説明にもなってないし。こういう解説ってどんな読者に宛てて書いてるんだろう。
 
 というわけで、注を読むのはなるべく避けてたのだが、『道草』の最後のページに盛大にマーカーが付いているのでなんじゃこりゃと思ってクリックしてみる。


「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」→「この作品全体をしめくくる意味のあることば。八十二節の「人間の運命は中々片付かないもんだな」とも照応する」。


 そうかなあ。ぼくの考えは違うぞ。

 この作品を「しめくくる」のは、この健三のセリフではなく、それに続く次の部分だ。そしてそこにこそ意味がある。

 健三の口調は吐き出す様に苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
 「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君はこう云い云い、幾度か赤い頬に接吻した。


 健三が「ぐだぐだした」と呼ぶ赤ん坊と細君が一つの生き物となって健三の説を「ちっとも分りゃしないわね」とはね返す。この力が最後に書かれている点に『道草』の怖さとおもしろさがある。夫/細君というステレオタイプなジェンダー対は破綻しつつある。「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。」という問題は、じつは養父と健三の関係よりも、細君と健三の関係でもっとも深くなる、はずなのだ。「章魚のようにぐにゃぐにゃしている肉の塊り」だった赤ん坊は、やがて物を言うようになり、その名前で呼ばれるようになるだろう。『細君』というジェンダーでしか呼ばれなかった女は、やがて『明暗』で「お延」という名前で語り出すだろう。




20020202

 一月の浅香光代公演で、ゲストとして舞台に引っ張り出されたはかま満緒は、「今日はひとつみなさんに得になることをお話しましょう」と言って、年齢七掛け説なるものを話し出した。
 織田信長は人生わずか50年といった。しかし、いまや人間の寿命は大いに延び、人生80は当り前となった。だからこの高齢化社会では、自分の年齢を七掛けにするくらいでちょうどいい。100才の人は70、90才の人は63、80の人は56、と考えるのがよい。

 その証拠として、はかま満緒は財布の中から千円札を取り出した。
 「このお札の夏目漱石、みなさんいくつに見えますか。まるでおじいさんでしょう。じつは45なんです。」
 会場から、ほー、と感心の声があがった。


 漱石は明治から大正に元号が代わった年の九月、小川一眞の写真館で写真を撮った。千円札に使われたのはそのときのものだ。おそらく偽造を防ぐためだろう、印刷にあたって顔のあちこちが異なる方向の線で描かれており、そのせいでひどく皺の強調された顔になっている。「漱石写真帖」に残された同じ写真では、コントラストはもっと淡く、頬や眉間はよりおだやかだ。

 ぼくには、写真の漱石は実年齢のままに見える。漱石は二月に生まれた。ぼくはこの二月で42になる。この前、膝の屈伸の回数を計ったら肉体年齢は60を過ぎていた。痔は10年来悩みの種で、トイレにマキロンは欠かせない。連れ合いはよく眠り口が悪い。

 漱石は明治の前年に生まれた。だから漱石の年齢は満で数えると明治の年号と一致する。明治33年、33でイギリスに渡り、35で自転車の練習を始めた。37で『吾輩は猫である』の最初の部分を書く。38にその猫伝の続きを書きながら『倫敦塔』、39で『坊ちゃん』『草枕』『二百十日』『野分』を書いた。40の春に大学をやめて朝日新聞社に入り『虞美人草』。41で『坑夫』『夢十夜』『三四郎』、42で『永日小品』『それから』。恐るべき二年間だ。43の年、『門』を書いたあと修善寺の大患、東京に戻り病院暮らしをしながら『思い出す事など』を書き始めた。44で胃潰瘍と痔に苦しみ、45の年の正月から『彼岸過迄』、九月に写真を撮り、痔の手術をした。秋風や屠られに行く牛の尻。年末から『行人』を書き始め、46になり、神経衰弱と胃潰瘍で中断しながら晩秋に完結した。47で『こころ』、48の年の正月から『硝子戸の中』、6月から『道草』、49の年の5月から『明暗』の連載を始め、11月に中断、12月9日に死去。

 静かに、息を確かめるような一年一年だ。ここには七分の十に希釈するようなことは何もない。




20020201

 きのう西元さんが使っていたライトボックスがうらやましくなり、カメラ屋で買ってくる。透かし絵はがきを自作するため。

 絵はがきの多くは、三層の紙から成っている。表書きの層、裏書きの層、そして真ん中の層だ。透かし絵はがきでは、このうち、裏書きの層と真ん中の層に細工をほどこしている。

 透かし絵はがきには、「ダイカット」タイプのものと、「トランスペアレンシー」タイプのものとがある。ダイカットでは、絵のところどころ(月や窓の部分)をカットして穴を開け、真ん中の層に着色する。光に透かすと穴の部分が色づいて輝く。

 トランスペアレンシーでは穴は開けない。だから表からも裏からも透かしは見えない。真ん中の層に色模様が描きこんであって、光をあてたときだけ現われる。

 古いはがきだと、三層が剥がれて三枚になっていることがある。うちにも何枚かそういうやつがある。そこでこの真ん中の層に水彩絵の具で着色してみることにした。紙がやや分厚いせいか、くすんだ色の透かしになった。





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