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20020917







 午前中、パッキングをしてチェックアウトを済ませてから、13区へ。パリの街路地図を見ると、高層ビルがあちこちに並ぶ13区にも「パサージュ」と名の付く場所がある。たぶん、19世紀的なパサージュのことではないのだろうが、そこには「パサージュ」という語で喚起されるなんらかの特徴が備わっているはずだ。

 イタリー広場のひとつ向こうで降りてあちこちの街路をうろつく。「パサージュ」に出会ったら入ってみる。こういうやり方をしながら13区を歩くと、ここでは、パサージュはまさに抜け道だということに気づく。
 家屋の一部のような門構えもガラスの天井もここにはない。門のかわりにあるのは進入禁止や入車制限の標識であり、石畳の路面であり、マウンドであり、歩行者のみにとっての「抜け道」であることを示すさまざまなしるしだ。
 ガラスの天井の変わりにあるのは、がくがくと変化する屋根の稜線であり、両側の家の庭から塀を越えてしなだれかかっている木々の織りなす木陰だ。

 13区には整然とした7階建ての稜線がない代わりに、前庭のある家、高さの異なるアパート。あちこちに出現するハイライズは、ともすれば威圧的になりそうなところだが、周囲の街の起伏の多さによって、高層は坂に隠れ、坂の切れ間に現れ、独特のリズムを作っている。パサージュは、坂の陰から広場へと、高層の見えぬ場所から高層の見える場所へと続く。


 モンパルナスにあるパリSONYのCSLへ。アタウちゃんにラボを見せてもらって食事。そのあと、与太話をしたり、論文を見せてもらったり、ネットにアクセスさせてもらったりしているうちに、けっこうな時間になった。


 La Chemin Vertの宿に戻る。TGVは16:44発。発車まであと35分、ぎりぎりだ。フロントでタクシーを呼んでほしいというと「どこまで?リヨン駅?ああ、それならメトロにしなさい、その方がやすいよ。10分で着くから」と言われる。
 人のアドバイスは素直に受けるものである。てくてくとヴォルテール駅まで歩いていく。駅まで10分かかった。幸い列車はすぐに来てそそくさと乗りそそくさとナションで降りる。が、乗り換え通路が長いのである。ハードカバーを詰め込んでずっしり重たくなったスーツケースをきゅるきゅる引きずってようやくRERのホームへ。幸い列車はすぐに来てそそくさと乗りそそくさとリヨン駅で降りる。なるほどメトロの乗車時間は正味10分だ。が、乗り換え通路が長いのである。スーツケースをみしみし言わせ、エスカレーターの狭い左側をパルドンパルドンと繰り返しながら駆け上がり、通常ホームからTGVのホームへとくねくね歩いていくと、もうほとんど発車時刻だ。
 乗車口で他の乗客のチケットを点検している車掌と目が合う。
 「ボンジュール」「ボンジュール、ニホンジンデスカ」「はい、そうです」「オゲンキデスカ?」どんなに急いでいるときでも、おげんきですかと尋ねられたらきちんと答えるのが礼儀である。「ありがとう、元気です」。切符を差し出すと、「チョットマッテクダサイネ・・・アー、べるんデスカ、コノレッシャハろーざんぬイキデス。べるんハアッチ。チョットマッテクダサイネ・・・」というと車掌さんは切符と時計をしばし照らし合わせて「アー、モウジカンガアリマセン。イソイデ」。

 あ。ローザンヌ行きに乗ってしまった。

 乗るとすぐに列車は動きだし、明らかにさきほどの車掌の声で放送がある。フランス語・英語・ドイツ語のあとに、「コノレッシャハ、でぃじょん、ふらんノアト、ろーざんぬニイキマス」ときた。TGVで日本語のアナウンスを聞いたのは初めてだ。そして、日本語に直しても、もうベルン行きでないことは確実だ。

 まあローザンヌもベルンもスイスには違いない。乗ってしまった以上、ジタバタしても仕方がないので、いちばん前方の空いている席に座っていると、車掌がまたやってきて、「チョットマッテクダサイネ」と言ってから、他の人の検札を一通り終えると、戻ってきて「コンニチワ」と日本語で話しかけてくる。
 じつはローザンヌ行きとベルン行きは、途中まで連結で走っているのだった。車両の間は行き来はできないが、次のディジョンで5分ほど停車するからそのときにいったん降りてベルン行きに乗り換えられるという。なあんだ。

 それから、彼が独学しているという日本語のことを話したり、自分で書いたというひらがな表やカタカナ表を見せてもらった。制服の胸ポケットには、フランスとイギリスとドイツの国旗のバッジがついている。つまり彼は三カ国語が話せるのだ。そのうち日本語のバッジがつくかもしれない。
 さっきの日本語アナウンスはいつもやるのかと尋ねると、「イエ、アナタノタメニ」と言う。どこでそんな泣かせるニホンゴを覚えたのか。フランス、それはワールド・オブ・エレガンンスの国。車掌さん、ありがとう。車掌さん、日本の女性にモテモテだろうな。


 無事、ディジョンで乗り換え、ベルンに定刻に到着、向かいの電車に乗り換えてトゥーンへ。駅に着くと夜の10時近く。スイスのタクシーは高いから歩いちゃおうかな。川を渡ると車もなく、店はどこも閉まっている。半月が西に傾いている。静かな夜。路地は石畳で、スーツケースを引きずると、にぎやかな音がする。構うもんか。みんな目を覚ませ。トゥーンに来た。三年ぶりだ。

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