ドナルド・クラフトン『ミッキー以前』前書き から

 以下は、ドナルド・クラフトン『ミッキー以前』 D. Crafton “Before Mickey”の前書きを訳したものである。

 クラフトンは映画史家で、この本の他にもトーキー出現前後の映画史の大著 “The Talkies: American Cinema's Transition to Sound, 1926-1931”のほか、フランスのアニメーター、エミル・コールの研究書も著している。いずれも豊富な資料に裏打ちされた、優れた映画史である。アメリカのアニメーション史については1970-80年代に研究が進んで、80年代には『ミッキー以前』の他にもさまざまな本が出版されたが、『ミッキー以前』は、ミッキーマウス登場以前の歴史を扱っている点で特異的で、一次資料の収集も徹底している。なによりアニメーションを単に「マンガが動いたもの」として捉えるのでなく、映画史の本質的な問題として扱っていく視点がすばらしい。ここに訳した前書きでは、1983年の執筆当時におけるアニメーション史研究の状況が語られており、この研究分野がどのようにアメリカで発展してきたがよく判る内容となっている。

 一昔前までは、ブラックトン、マッケイ、ブレイ、エミル・コール、そしてオットー・メスマー、フライシャーといった人々の初期アニメーションを日本で見るのは簡単ではなく、アニメーションの上映会に足を運んだり、ビデオやLDを個人輸入するしかなかった。けれど、いまではDVDによる復刻やYouTubeのおかげで、彼らの作品の凄さを知る機会がかなり増えてきた。初期のアニメーションに魅力を感じて、もっとその背景について知りたくなってしまった人は、まずこの本を読むといいだろう。また、クラフトンは、この本の映像版として『Before Mickey』のビデオ、DVDを出版しており、そこには初期アニメーションの代表作が一通り収められている。  

 本書は、アニメーション映画の起源と初期の発達に絞って書かれた最初の本であり、多くのカートゥーン史が始まる時点で終わる。すなわち、ウォルト・ディズニーが最初に驚くべき成功をおさめる時点である。
 いま、最も広範にわたる研究といえるロンドリーノとポンセットのものでさえ、初期の記述はほんのわずかだ。彼らは初期の作品群を「先人」のものとして重要視しているものの、特別な注意は払っていない。セルとスタジオに関する彼らの議論は、漠然とした技術決定論で覆われており、アニメーション化されたカートゥーンとコミック・ストリップとの「関係」についての一般論があちこちに振りまかれている。映画との関係はほとんど議論されておらず、むしろ、そこから自立したもの、あるいはグラフィックアートの変わり種として扱われている。「個性的」でかつ形式主義的な偏りのせいで、1928年以前のアニメーションの約95%は無関係なものとして誤って捨て置かれている。実際のフィルムや資料に接するかわりに、過去に書かれたものからの逸話や噂を用いて議論が進んでいく。

 私がこの本を書くために調査を始めた1975年の時点では、最も基礎的な作業、すなわち資料をアーカイヴすること、映画やできごとの年代を特定すること、制作や配給環境を学ぶこと、初期の映画の由来を調べることは始まったばかりで、アンドレ・マーチン、ブルーノ・エデラ、マイク・バリアーが先鞭をつけていた。以来、作業はみるみる進んだが、この本を読んでそのほとんどが済んだなどと誤解していただきたくはない。私はまた、歴史家が「単なる事実」を越えて、初期アニメーションが何を目指していたかについて研究して欲しいと思っている。この本で私は初期アニメーション史を当時の工業・文化環境という背景の上に描こうとした。いまでは映画の形式的構造は、多くのものごとに影響されていることが明らかになっている。技術、映画産業(配給会社、観客、「競争」)、他のポピュラー・アートの伝統、個々のアニメーターのパーソナリティ、そして映画制作者の用いる方法と専門的知識を原因とする、何かを物語るときの「慣習」(映画において物語るときに2-5分の短さになること)といった要因がこれに含まれるだろう。この複雑極まる論証の織物をすべて解きほぐしたなどと言うつもりはないが、この分野を研究するにあたって根幹をなしている問題であることは間違いない。

 ミッキーマウス以前にこれほど多くのアニメーションがあったこと自体に驚く人もいるだろう。じっさい、それをたどるのは一苦労だった。この時期に制作された何千ものフィルムのうち、見ることができるのはほんの一握りだ。プリントがもはや残っていないからだ。けれど、商業的に、あるいは研究用のアーカイヴで見ることのできる初期アニメーションは、多くの人が考えるよりもずっとたくさんある。それをできるだけ見るようにし、さらにイギリス、フランス、アメリカで発行された商業雑誌を何十冊も繰った。こうした資料の性質のせいで、いくつかの決断を迫られた。アニメーターの経歴や生涯に関する逸話はほとんどこの本では述べられていない。これはある程度いたしかたのないことで、スタジオ時代には、労働者ではなくシステムのほうが重要だと思われていたのである。まもなく発売されるマイク・バリアーによるアニメーション史の本や、マイケル・ホブスによるマックス・フライシャー伝がこの穴を埋めてくれるだろう。レスリー・カバルガのフライシャー兄弟本やボブ・トーマスによるディズニー本も、彼らの人生を知るためのよすがとなるはずだ。
 本書は、アンドレ・マルタンのような系譜図による方法(訳注:アンドレ・マルタンが1967年のモントリオール万博で展示したアニメーションの系譜図のこと)を採らないため、ややつながりに欠けるかもしれない。レナード・マーチンの「Of Mice and Magic」が発刊されたことは本書の印刷中に知った。これはとても読みやすい本だが、基本的には描かれているのはスタジオ史である。私からすると、個々の映画に関する分析を欠いているように見えるが、この限界は、必要悪に迫られたものと見なせるだろう。また、マーチンの本は、映画の一分野に関する歴史を扱っているものの、それを理論的に分け入って議論しているわけではない。

 本研究では資料を理論的に追うという方法を採ったが、そのためには、あちこちに飛び回らねばならなかったが、それにはフルブライト奨学金、そしてイエール大学の奨学金によって成し遂げることができた。予備調査はロンドン、パリ、ニューヨーク、そしてロチェスターで行われた。

 映画史家に神は微笑むものだ。それが証拠に、私はパリでたまたまジャン・テデスコが支配人だった旧ヴィユ・コロンビエ劇場であるアパートの六階を借りることができた。この劇場は、たくさんの映画の記念すべき上映が行われた場所だ。あとになって、ロッテ・アイズナーから教えてもらったのだが、私の住んでいたのは、アニメーターのパイオニアの一人、ベルトルート・バルトーシュが“L'Idee”を1934年に撮影したまさにその部屋だった。このほとんど現実とは思えない幸運をきっかけに、さらに私はこの研究の資料収集や考察を助けてくれた人々と会う幸運に恵まれた。

 アメリカ式の謝辞の長さはヨーロッパの研究者に冷やかされるものだが、それでもなお、以下の人々がアイディアや情報によって私の思考を助けてくれたことに感謝したいと思う。 ( …後略…)

(細馬宏通訳 Nov. 3, 2010)

アニメーション文献アーカイヴズ on the Beach | to the Beach contents