ゲイブラー『創造の狂気』補完計画(1):ディズニー・スタジオの1920年代

細馬宏通

ゲイブラーの書く初期アニメーション史

 第二章、ウォルト・ディズニーがアニメーションを志し始めた頃の時代背景を、原文に沿って訳出しておこう。ゲイブラーのこの記述は、初期のアニメーションの可能性(たとえばメタモルフォーゼの表現)をいささか過小評価しているきらいがあるものの、「早描き芸」とアニメーションとの関係を指摘しているところは、とてもおもしろい。

 1920年、彼がガレージで実験に耽り始めた頃、アニメーションの歴史はまだ20年も経っておらず、さほど進化していたわけではなかった。一つには絵を動かすというアイディア自体があまりにも斬新で、観客を楽しませるには、動きさえあれば他にはほとんど必要なかったからである。
 初期のアニメーター、たとえばフランスのエミル・コールやイギリス生まれのJ.スチュアート・ブラックトンは、ヴォードビルの伝統芸である「早描き(lightning sketch)」のスタイルを真似ていた。これは、イーゼルの前に立ち、講釈をしながら、みるみる絵を描き進めていき、語りの内容に沿って絵の形を変えてしまうという芸だった。映画の本性もまた、静止したイメージの列なりから連続したアクションを産み出すというものだったから、早描きに秀でているアニメーションのパイオニアたちにとっては、有利だった。彼らの映画ではしばしば、始めに絵を描く画家の手をわざと映しておき、そこから魔術のように絵自体を動かす。このような技法を用いたギミックによって、観客の注意を惹きつけ、アニメーションを観るその目をくらましたのだった。基本的に、これら初期のアニメーションがもたらしたのは、動く、という興奮に過ぎなかった。

(Gabler "Walt Disney: The triumph of American Imagination" Ch. 2, p52, 細馬試訳)

 邦訳では以下のように要約されている。
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 動画の製作は二〇年ほど前に始まり、1920年当時にはまだほとんど進化していなかった。初期のアニメーターはフランスのエミル・コールやイギリスのジェームズ・スチュアート・ブラックトンのように、舞台で観客の注文に応じてイーゼルに向かう早描き芸人を真似て、キャラクターの動きをコマ描きしていき、それをカメラに収めた。つまり当時のアニメーターは腕の立つ早描き芸人にすぎず、フィルムにはよく、絵を描くアニメーターの手が映っていた。(『創造の狂気』p.62)
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 しかし、ここには多くの間違いが含まれている。原文にはいくらなんでも「アニメーターは腕の立つ早描き芸人にすぎず」などという否定的な表現はないし、邦訳では、絵を描く手が映っていたことが、意図的な技術ではなく、あたかも稚拙な事故であるかのように読める。「キャラクターの動きをコマ描きしていき」という表現は原文にはない。「コマ描き」とはどういう意味だろう? ちなみに「早描き」芸とは、一つの絵にどんどん線を描き加えて観客の予想をくつがえす絵にしていく芸で、ブラックトンやエミル・コールもこの方法を応用している。「舞台で注文に応じて」という表現も原文にはない。「早描き」芸では、あらかじめ用意した講釈を用いることがほとんどだった。(「早描き」芸については、クラフトン「ライトニング・スケッチ」を参照されたい)。

ウォルトにとってのアニメーション

 第二章、ウォルトが駆け出しの頃、彼がなぜアニメーションに魅了されたかを論じた部分がある。この心理分析はこの評伝の中で何度も繰り返し顕れるテーマなので、訳しておこう。

 アニメーションの製作プロセスは、命を吹き込むプロセスであり、文字通り魂なき動かぬもの(the inanimate)に魂を入れ動かす(animate)ことである。そもそもそれは神をも恐れぬプロセスであり、アニメーターは描く対象に対して神の如きコントロールを当然のように行使する。そして見る者もまた自分がコントロールしているかのような、権力をふるうかのような感覚 a feeling of empowerment に浸される。ウォルト・ディズニーの場合、この権力感の高まりはあまりにも大きく、アニメーションが宗教にとってかわってしまったかのようになった。というのも、大人になってからの彼は正式な宗教にはほとんど関心を示さず、教会にも行かなかったからである。アニメーターは、まさしく自身の世界を作る。それはアニメーターの創造したもう一つの現実であり、その中では、物理法則も論理も通用はしない。
 なぜアニメーションに惹かれるかについてウォルトははっきり言い表したことはなく、曖昧な一般化に終始した。が、彼にとってアニメーションは、二つの意味でまぎれもなく強く甘い誘惑であった。厳格で道徳家で禁欲的な父親の世界に神経をすりへらしている若者にとって、アニメーションは逃げ場を与えてくれた。一方、同じ父親からいつも支配されている者にとって、アニメーションは完全にコントロールできる対象を与えてくれた。アニメーションの中でならウォルトは自身の世界を持つことができた。そしてアニメーションの中でなら、ウォルトは権力者 the power になれたのである。

(Ch.2, p.55)

邦訳にも該当箇所があるが、以下に示すように内容が要約されて異なっている。原文には「since in his adulthood he showed little or no interest in formal religion and never attended church」とあるが、「それまで教会に通ったこともなく」とは書いていない。
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 アニメーションの製作プロセスは、動かないものを動かす、つまり命を与えるプロセスである。無機的なものをコントロールし神の手を加えることによって、動かないものに力を与え能力を授ける(エンパワーメント)ことである。
 ウォルト・ディズニーの場合は、それまで教会に通ったこともなく、宗教にはまったく関心を持っていなかった。それだけに彼にとってエンパワーメントの高まり、つまりアニメーションは宗教に代わるものだった。アニメーターは自分の世界を創造し、自然科学の法則と論理が消滅するもうひとつの現実、つまりイマジネーションの世界を創造するのである。
 なぜアニメーションに惹かれるのか、ウォルトはその理由を自分では説明できなかったが、厳格で道徳家で禁欲的な父親の世界に閉じ込められ、いらだっている若者、この父親から常に隷属を強いられている若者のために、アニメーションは絶対的な支配の力を授けた。
 アニメーションの世界では、ウォルト・ディズニーはパワーそのものだったのである。
(『創造の狂気』p.63)
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ディズニーやアイワークスたちが参考にしたラッツの本

 ディズニーたちは1920年代の駆け出しの頃、Lutzの書いた「アニメイティッド・カートゥーン」という本を熟読し、セル・アニメーションの技法を学んだと言われている。以下はそのくだりである。短い文章だが、アニメーション史上重要なくだりだと思うので、訳しておこう。

 後にウォルトはラッツの本を評して「深みがない」「金儲け目当てになんでもかんでもかき集めたような本だ」と言っているが、同僚たちはみな貪るように読んだと述懐しているし、ウォルト自身にも革新的といえる影響を与えた。かつてスライド社にいたとき、ウォルトは手足の形に切り抜いた紙を動かすという原始的な方法を使っていたが、いまや彼はセル・アニメーションという本物のアニメーションを用いて実験し始めたのである。

(Ch. 2 p.55-56)

 原文には「At the Slide Co. he had been deploying the rudimentary cutout system of animation with moving limbs. Now he began experimenting with cel animation — real animation. 」とあるが、邦訳は次のようになっている。「そして彼はスライド社で、動画から一フレームを抜き取って映像を瞬間的に消す、カットアウトの初歩的な技法を採用し、セルアニメの実験も始めた。」(『創造の狂気』p.63)
 カットアウトとは、「動画から一フレームを抜き取って映像を瞬間的に消す」のではなく、with moving limbsとあるように、ブラックトンが1906年の『愉快な百面相』で用いたような、手足の切り抜きを少しずつ動かして撮影するテクニックのこと。つまり、今までは古色蒼然としたカットアウトをしていたウォルトが、ラッツの本を読んで最新式のセル・アニメーションに目覚めた、とゲイブラーは言いたいのである。

アイワークス参入以後、アリス・コメディの頃

 第三章、アブ・アイワークスがディズニー・ブラザーズ社に参加した直後のくだりを訳しておこう。ここでは、アイワークスのディズニー社への影響と、アリス・コメディ制作時の苦労が描かれている。邦訳p102-104でも同じ部分は訳されているが、原文の要約であり、少なくとも太字になっている部分が省略されている。

 5年ぶりに会ったアイワークスにはさしたる変化はなかった。ただ、彼の名前は綴りが変わっていた。Ubbe Iwwerksから英語風にUbe Iwerksになっていたのである。もっともこのことは、アイワークス以外は気にも留めなかった。彼は相変わらずおとなしく、引っ込み思案で、表情に乏しく、寡黙だった。「単語二つで済む場合でさえ、一つしか使わないのだから」と同僚は彼を評した。けれど、一つだけ、重要な変化があった。カンザス時代からトレーニングを続けていた頃から、彼は、すでに器用で仕事の速いアニメーターになっていた。何ヶ月も経ち、夏になる頃には、彼はウォルトの仕事の負担をますます請け負うようになっていた。一方ウォルトは、自らのアートの才能に疑問を持ち始めていた。「ドローイングで満足のいったためしがなかった」彼は後年レポーターにこう答えている。

 アイワークス自身の変化はカートゥーンにも変化をもたらした。一つには、アイワークスの加入により、アリス・シリーズの重点がアリスからカートゥーンで描かれた相手役へと移ったことだ。夏も終わる頃には、ウィンクラーはウォルトに、もう実写によるオープニングやエンディングをすっかりやめてしまうよう提案したが、のちの映画づくりはより難しくなり高くついた

 もう一つの変化は、ウォルトとアイワークスが実写とアニメーションの合成方法を改良する実験を始めたことだった。これは「マット」と呼ばれる切り抜きによってカメラのレンズを覆い、アニメーションが入るべき領域を撮影しないようにする方法だった。これならアリスを白い防水シートの背景で撮影しなくてもよい。八月にはウォルトはウィンクラーに宛てて「この方法なら、女の子はカートゥーンと演技するときくっきりと映ります。撮影も今後の作品では完璧とまではいかずとも、よりよくなるでしょう。まちがいなく大爆笑がとれるようなものを作りたいと思っています」と請け負っている。

 とにかく優れた映画を作りたいという並外れた欲望に満ちたウォルトは、アイワークスの貢献のもと、絶えざる改良を続けだが、アリス・シリーズの出来はおきまりの映画並みというところだった。ウォルトの実写撮影のコンセプトは、せいぜいアマチュアファン並みだったし「アイワークスのアニメーションはディック・ヒューマー(フライシャー・スタジオのメインのアニメーター)の描くココのような洗練されたドローイングとは比較にならなかった」とあるアニメーターは振り返っている。単に他と比較して撮影やドローイングが未熟だっただけではない。模倣的で想像力に欠けていた。原因はウォルトの経験の浅さによるものなのかもしれないし、イマジネーションの欠如によるものかもしれないが、ほんとうのところはわからない。ともあれ、ウィンクラーはいつも、筋運びやパーソナリティの描写よりもとにかくギャグを盛り込むよう強く要望し、ウォルトにできるだけ他のスタジオのアニメーションを観るように薦めた。が、ウォルトの方は、二月にウィンクラーに宛てた手紙に、ドタバタ喜劇よりももっと違った、洗練されたものをやってみたい、と書いている。

 ディズニー・ブラザーズでは試写室にかけるお金がなかったので、
ロイも含めスタッフ一同は、ヒル・ストリート劇場のプログラムが変わるたびにポール・テリーのイソップ物語の新作を観に行き、そのアイディアを拝借した。「とにかくいい映画を作りたいという一心だった」とウォルトは言っている。「けれど、我ながら先見の明があったというべきだろう。1930年になってもなお、わたしの目標はイソップ物語シリーズのようなよいカートゥーンを作ることだったのだから。」

(中略)

 アリス・コメディのほとんどは模倣であり、ウォルトはウィンクラーにことごとく譲歩し、自身の創造力を彼女の支配下に置いていた。しかし、アリス・コメディには、ウォルト・ディズニーの根源的なヴィジョンが表現されていた。『インク壺から』では、ココは実写の世界で跳ね回るものの、そこはかたくなで弾力に乏しい世界だ。一方アリス・シリーズでは、実写世界の女の子が、自ら編み出したファンタジーへと入っていくが、そこはしなやかな世界である。女の子がどんな無茶な冒険をしようと、最後は彼女の思い通り、ジュリウスのたくらみ通りになり、混沌はやがてコントロールされる。このような状況を作ることで、ウォルトはカートゥーンによる解放と権力のメタファーを産み出した。フライシャーが物質世界の手なずけ難さを示したとすれば、ウォルトは、その人の心理的世界を思いのままに鍛え上げうること、アリスの逃げ込めるような場所へと変えうることを示した。ウォルトの世界では、人は常にとらわれることを避け、現実の割り込みをできるだけ食い止めようとする。どんな困難に直面しても、ウォルトの世界の住人は自由で全能である。その世界にいる限り、その世界が無事である限り、そして現実界と切り離されている限りは。

 しかしながら、不幸なことに、現実はまさにディズニー・ブラザーズに割り込んできた。それも最後には破滅的なまでに。現実は、チャールズ・ミンツという男の形となって割り込み続けたのである。

(Ch. 3, p86-88)

『蒸気船ウィリー』の制作秘話

 ディズニー初のサウンド・カートゥーン『蒸気船ウィリー』の製作過程は、アニメーション史にとって重要な意味を持つ。ゲイブラーの原作には、以下のように詳細な記述があるので訳出しておこう。

 音の具合を確かめるべく、スタッフはまたまた急ピッチで仕事をした。アイワークスによれば、ストーリーは一夜で出来上がり、アイワークス自身は、ミッキー(ウィリー)が蒸気船の舵をとりながら汽笛を鳴らし口笛を吹くシークエンスを数週間で仕上げた。音がカートゥーンと思った通りに合っているかどうか早く知りたくて、ウォルトはアニメーションが全部仕上がるのも待たずに、この場面のインク入れ、ベタ塗り、撮影までやり遂げてしまった。そしてジャクソン(彼はスタッフの中で唯一音楽的才能を持っていた)に彼の得意な『わらの中の七面鳥』とウォルトの選曲した『蒸気船ビル』とをハモニカで演奏させた。

 六月の末の夜八時、ウォルトはスタジオとなっているバンガロウの裏庭に映写機を据えて、そのノイズが音楽をじゃましないようにした。ウォルトのオフィス部屋の窓の外側にはあらかじめ背景の描き込まれたシーツが掲げられ、そこに映像が投射された。ハモニカを持ったジャクソンの横にはウォルト、口まねによる効果音担当としてアニメーターのジョニー・キャノン、その他の数名のスタッフが、オフィス部屋の中、窓越しにシーツの裏から映像を見ることのできる位置に陣取った。ロイが映写機を回し始めると、ジャクソンが音楽を奏で、キャノンが効果音を出し、他のものはゴングの音の代わりにたんつぼを鉛筆で叩いた。すべてはミッキーの動きとシンクロしていた。

(Ch.4, p118)

 邦訳では部分試写とは書かれておらず、以下のように要約されている。
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 六月の夜八時頃、ウォルトはスタジオの裏庭に映写機を据え、撮影したばかりの『蒸気船ウィリー』を窓にかけたシーツに映写した。
 スタッフのひとりがハーモニカを吹き、もうひとりが口笛でサウンドエフェクトをつけ、ほかのスタッフたちがゴングの代わりに鉛筆で壺を叩いてリズムを刻み、ミッキーの動きにシンクロさせた。(『創造の狂気』p.141)
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 原作には訳出の通り、ウォルトがあの有名な口笛のシーンを自らペン入れしたことが記されている。そして部分試写の日には、映写機のノイズと演奏が混じらないようにわざわざ部屋の外から投射し、演奏するスタッフはスクリーンの裏にあたる屋内に陣取って演奏した、というわけだ。ロイとウォルトの兄弟は映写機側とスクリーン側に別れて、この成り行きを見守っている。サウンド・アニメーション創成期にふさわしい、ほほえましいエピソードである。

『蒸気船ウィリー』のあらすじ

 邦訳では『蒸気船ウィリー』について次のように訳されている。

 筋立てとしては、不格好なネコかイヌの船長から脅かされてミッキーが逃げまわり、女ネズミのミニーがホックにぶらさげられて、ミッキーと唄を歌うくらいだった。(『創造の狂気』p150)

 「ネコかイヌの」というのは投げやりに響くし「女ネズミのミニー」という呼称もどうかと思うが、『蒸気船ウィリー』で、ミッキーは「逃げ回る」わけではないし、唄など歌わないし、ましてミニーは、ホックにぶらさげられたまま歌ったりはしない。原文を見るとこうなっている。

 The only plot elements are a hulking cat of a captain who terrorizes Mickey - the intrusion of reality - and whose severity he escapes through his music, and Minnie Mouse, who joins his recital when Mickey swings her aboard with a loading hook.

 原文に沿って訳すなら、たとえば次のようになるだろう。

 プロットの要素と言えばせいぜい次のようなものだ。ごついネコの船長がミッキーをどやしつけ —リアリティの割り込みである— 厳しい船長からミッキーは音楽に逃れる。ミニーマウスはミッキーによってクレーンのフックで吊り上げられて手荒に乗船させられ、彼のリサイタルに加わる。

 「リアリティの割り込み」とは、ゲイブラーによる注釈。これについては、「アイワークス参入以後、アリス・コメディの頃」を参照のこと。

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