
神田へ。丸石ビルというおもむきの深い建物の一階には、昔風の受付があって、エレベーターの扉も古風(中身は新しかったけれど)。その三階、あたかも小津安二郎の映画に出てきそうな廊下を抜けて扉を開けると、そこが小出由紀子事務所。昔、作品社から出たダーガーの本を訳しておられたのが小出さん。その小出さんの事務所でヘンリー・ダーガーの部屋の写真展をやっているというのを風の噂で聞いて、ふらふらと覗きにきた。小出さんは実際にダーガーの部屋に入った数少ない人の一人でアールブリュットにも長く関わっておられる。お目もじするのは初めて。
金属の皿に固まった水彩絵の具(ヘヴンではないセヴンの緑、などと、詩的な名前が綴られたものもあるのだとか)。宗教画。電話帳にびっしり新聞の連載コミックを貼り込んだスクラップブック。ポピュラーメカニック。1916年製のタイプライター。長年積み重ねられていたせいかページが圧せられて変形している雑誌(たぶん拾いもの)。雑誌のように堆積しているシカゴの空気のこと。奥の壁には引きのばした写真が張られてダーガーの部屋の一面に見立ててあり、黴臭い空気を少し吸った気がした。
帰りがけにわわわっと入ってきたお客さんの一人に、拾ったアロエをもらう。あちこち葉の折れたアロエの根元に、根っこのかわりに鉛筆の芯が生えている。これは鉛筆なのだという。不思議な人だ。長谷川迅太さんとおっしゃる。アロエを持とうとするのだが、芯が生えているので、どうしても、鉛筆を握る手になってしまう。迅太さんに写真を撮られた。鉛筆を握る手の形のまま、事務所を出て山手線に乗る。
なるほどしげしげ見ると、葉の折れたアロエは生ゴミにされやすそうな風体をしている。しかし、鉛筆握りをすると鉛筆に見えるから不思議だ。
お茶の水から神保町へ。鉛筆をしまう。資料をいろいろ。書泉グランデで発売されたばかりの「東京人」が平積みになっている。こうの史代さんのマンガを書評した号なので、なんとなくうれしい。そういえば、この書評は鉛筆の話で始まるのだった。たくさんの人に読まれるといいなあ。
八木書店の三階で會津八一墨蹟展。會津八一は王維の
行到水窮処 坐看雲起時
(行きて到る 水の窮まる処 坐(そぞ)ろに看る 雲の起こる時)
を何度も書いている。水の字は流れ、坐の字が、ひょいと膝を折って坐っているようにも見える。ある軸では、「雲起時」を「雲生時」と書いてあって、この生の字もいい。
竹藪の夕日涼しき厠かな
麦粉などひとりとり出しくらひけり
もいいなあ。こんなぼそぼそとした歌が軸装されているのでなんだか笑ってしまう。
うめにきてはるかにうみをみるひかな 秋艸道人
大学の図書館から、行動観察をしないかというオファーが来る。じつは図書専門委員会で、図書館の利用状況を調べる話になったときに、ついうっかり、「それ、行動実習でやったらおもしろいと思います」などとクチを滑らせてしまったのである。というわけで、正々堂々と、静かな図書館でフィールドノートを広げ、人々の身振りを観察できることになりそう。いやあ、楽しいオファーだなあ。どうしよう。
図書館といえば、「図書館」。田中亜矢さんボーカルのすてきなバンド「図書館」がついに「図書館の新世界」でデビューしますよ。近藤さん、イトケンさん、宮崎さんの練達の演奏に加えて、アダチさん、宮崎さんのソングライティングがすばらしい。ぼくも及ばずながら賛辞をちらしに書かせていただきました。
このところ、三回生ゼミでは、松本人志の「放送室」を分析している。これはじつにおもしろい題材で、いかに松本人志という人が会話や語りに意識的かということがよくわかる。「放送室」を土台にして「すべらない話」の司会ぶりを聴くのもまた楽しい。全部聴くのは大変なんだけど、ちょっとずついこうかな。